沢山の“見えないこと”がある世界で彼女の表現が捉えるもの/イ・ランさんインタビュー

wezzy

2020/8/10 09:00



<また誰かが死んだみたいに泣いた/仁川空港でも成田空港でも/泣くのはよそうとお互いしっかり約束しておいて帰り道はずっと/いつまた会えるのか/何の約束もなく/ひょっとしたら今日以降はもう会えない/大切な私の友達たちよ/みんなで同時に死んでしまおう/その時が来る前に/まず先手を打ってしまおう>
歌詞対訳:清水博之(雨乃日珈琲店)

韓国に暮らし、日本のカルチャーシーンでも注目を集めるシンガー・ソングライターでアーティスト、イ・ランによる楽曲「患難の世代」の一節である。

この曲はもともと2015年に制作され、以来彼女の重要なライブレパートリーとして演奏されてきたが、このたびリリースが予定されているニューアルバムのタイトルトラックとして音源化が実現、今年6月に先行公開された。

「患難の世代」誕生から5年、新しい感染症によって大きく変化する世界に身を置きながら、隣り合わせとなった死の存在を実感する現在、私たちはまさに背を向けようもない“患難”(悩みや苦しみ、困難に直面すること)を経験している。

私たちの社会が、日常が揺らいでいく状況下、“患難”と対峙することはどんな意味をもたらすのか──そんな問いを聴く者に与えるこの曲を通じ、イ・ランがいま伝えたいメッセージを聞いた。

イ・ラン
韓国ソウル生まれのマルチ・アーティスト。2012年にファースト・アルバム『ヨンヨンスン』を、2016年に第14回韓国大衆音楽賞最優秀フォーク楽曲賞を受賞したセカンド・アルバム『神様ごっこ』をリリースして大きな注目を浴びる。2019年には柴田聡子との共作盤『ランナウェイ』とライブ・アルバム『クロミョン ~Lang Lee Live in Tokyo 2018~』を発表。さらに、2018年にはエッセイ集『悲しくてかっこいい人』を、2019年にはコミック『私が30代になった』を本邦でも上梓。その真摯で嘘のない発言やフレンドリーな姿勢、思考、行動が韓日両国でセンセーションとシンパシーを生んでいる。

――前回の取材では昨年の11月に新宿の喫茶店で顔を合わせてお話をお伺いさせていただいたのですが、今はこうしてオンラインでのインタビューとなって。その頃には想像もしていなかった状況となりました。

イ・ラン 本当にそうですね……

――今年6月にランさんが新しくリリースされた「患難の世代」はもともと2015年に制作された楽曲ですよね。今のタイミングでこの曲を音源化することについて、どんな思いが込められていたのでしょうか。

イ・ラン 「患難の世代」を作った5年前、私は大切な人や友達との別れから感じた悲しみをこの曲に込めました。今は多くの人がコロナのせいで大切な人に会えなくなったり、死ぬときも病室に入れないから一人で最期を過ごさなければいけなくなったりしていますよね。そういう人たちに向けて、この曲を公開したかったんです。

――現在、世界の色んな場所で「あの時があの人に会う最後だったんだ」と別れの悲しさを抱えている人が沢山いると思います。

イ・ラン そうですね。私たちに出来ることは、こうして曲を作って聴いてもらうことだと考えています。この曲の一番最後には、オンニ・クワイア(Unnie Choir、性の多様性とフェミニズムを支援する合唱団)の皆さんと私の叫び声が収録されていますが、私はその声によって聴く人がトラウマを抱えるぐらいの感情を与えたかったんです。

――トラウマ的な感情、確かに。そのパートに至るまでは、オンニ・クワイアの皆さんとランさんが合唱されているのを聴いていて一緒に歌いたくなるような気持ちになるのですが、最後の叫び声が始まったとたん様々に入り乱れた感情が沸き上がってきます。

イ・ラン 「怖くて一回以上は聴けない」という反応もありましたし、また「久しぶりに自分も大声を出したくなった」と言った人もいましたね。

――どんな意図から、トラウマを与える表現を目指したのでしょうか。

イ・ラン 2014年に韓国でセウォル号という船が沈没した事故がありました(2014年4月16日、韓国南西部沖合を運行していた旅客船セウォル号が転覆し、死者299名行方不明者5名の大事故となった。犠牲者の中には修学旅行中だった多くの高校生も含まれている。過剰積載や経験に乏しい船長を含む乗客員、悪天候といった悪条件下で出航を決行した船会社の経済優先による人命軽視が取り沙汰された)。
 あの事故は、多くの韓国人の中の何かを変えたと思います。私自身は被害者の方々に会ったことはないけれど、あのニュースを見てから彼らの最期の瞬間を想像して眠れなくなってしまったほど凄く辛かったんです。
 でも、今の韓国では「セウォル号の話はやめよう」と言う人も凄く多くて。特に、犠牲となった生徒たちの通っていたタンウォン高校がある地域では“ネガティブなイメージがついてしまうから”と、その話題を避けようとする雰囲気が強いんです。
 だけど辛いことを避けたり忘れようとするのは、決して何かを良くする方法ではないと、私は考えています。だからこの曲を通じて、私が想像した“セウォル号の声”や何かの最期に聴こえる音を表現することで、それらと向き合うことが出来たらと思ったんです。

――辛いことって避けたいし忘れたいからなかなか進んで対峙できないものですけれど、それでは何も解決しない。だからこそ「患難の世代」のラストパートで、聴く人の心に傷跡を残すような音を表現したのですね。

イ・ラン 私は死ぬことについて考えたいし、人とも話したいんです。5日前、私の友達がガンで亡くなりました(イ・ランと深い親好があり『患難の世代』MVのタイトルデザインも手がけられていたイ・ドジンさんが7月12日に逝去した)。彼の最期の瞬間まで私は一緒にいたんですけれど、その時、一人の人が死ぬ瞬間ってテレビドラマや映画みたいに綺麗じゃないし短くないんだなと思ったんです。現実の人間って、凄く辛そうな姿を見せながら時間をかけて逝くことも多いんですよね。でも、そういう光景ってどこにも表現されていないから、まるで“無い”ことになっている。
 それって死ぬことだけではなくて、例えば障がいを持っている人は東京やソウルの街中ではあまり見ることはないし、貧しい人たちやセクシャルマイノリティの人たちも見えないようになっている世界だと思う。そういう色んな沢山の“見えないこと”がある世界で、私は死ぬことについて表現したいんです。

――死ぬことについて、ランさんが考え表現されていることはこれまでの作品を通しても伝わります。「文藝」(河出書房新社)夏季号「アジアの作家たちは新型コロナにどう向き合うのか」特集内では、「実は“コロスウイルス”というものが、コロナ19が現れる前からずっと存在してきたんじゃないのか。私と友人たちは以前からずっと死につづけてきたみたいだ」という文章を寄せられていましたよね。それを読んで、コロナウイルスによって本当の“ウイルス”、つまり私たちがずっと見ないようにしてきた社会の問題点が目の前に浮かび上がっていることを実感する現状があるなと思いました。

イ・ラン “コロスウイルス”って、どんなものだと思いますか?

――うーん。色々と思い浮かびますが、今はお金を稼ぐシステム自体に殺されていっている感覚があります。家に留まって感染予防したいけれど、外に出ないと生活もままならないし。

イ・ラン うん。韓国でコロナウイルスが一気に拡がってしまった地域って、貧しい人たちが住んでいるところが多いんです。例えば宅急便を仕分けする日雇い労働者や、テレフォンオペレーターの人たちって狭いスペースで密集して働かなきゃいけないから、お互いに感染しちゃう。そういうことを考えると、私も経済の問題が大きいなと思います。
 でも、コロナによって出来なくなった経済活動も多いから、PM2.5(大気汚染物質)の量がいつもより減って韓国の空気が綺麗になっていたりもするんですよ。

――前回のインタビューでランさんは、経済活動がどんどんと加速化していくなか、労働者のほとんどが誰も幸せになっていない現状から「社会を強制的に停止させるストップボタンを押さないといけないんじゃないか」ということを仰っていましたよね。その後、パンデミックという思わぬ形で社会のストップボタンが押されました。

イ・ラン うん、ストップボタン。私は、人間の病気もある意味では、身体や心にとってのストップボタンだと思うんですよ。この前ガンで亡くなった私の友達を見ていても、ストップボタンが押されたら本当に止まるしかないんですよね。他に選択肢がない。いくら「嫌だ、元気なままがいい」と普通に生活しようとしても、動けないから。
 今は社会全体がストップボタンを押されている状況だけれど、さっき話したとおり私たちは辛いことを見ないようにしたり忘れようとしたりするから、それを受け入れられなくてどうしたらいいのか分からなくなってしまっているし、今までやってきた行動を続けようとしている。

――それでも、例えば先ほどの宅急便の日雇い労働者や、テレフォンオペレーターの人たちがお互いに密集したスペースで働き続けていることなど、様々な面において問題点を直視し、変えていかないといけない局面にいますね。

イ・ラン 移動手段やコミュニケーションツールはどんどん便利になっていっているけれど、それって結局、既存の社会にあるシステムの延長線上での発展でしかない。その延長線上にない新しいものが今求められているのに、私たちは生まれてからずっとこういう社会で生きてきたから、違う形を想像しようと思っても難しいんですよね。

――新しいシステムってどういう場で生まれるものなんでしょうか。

イ・ラン そうですねぇ……。私は学生さんたちに作曲の方法を教えるワークショップを開いていて、そこで感じたことがあります。クラスの中で自分達の話をし合う時間があるのですが、みんな楽しいことしか話さないんですよね。「日常は辛いから、チェジュ島(韓国の南端に浮かぶ島、人気リゾート地として知られる)に行って海や星を見たり、日本旅行をしてヒーリングするのが好き」なんて言ったりする。でも、私は「あなたが辛いこと、逃げたいことについてもっと話して下さい」とリクエストします。
 このリクエストって、わたしが「患難の世代」のラストパートでトラウマを与えるような表現にしたかったことと全く同じ意図なんですよ。あなたがチェジュ島に逃げても、辛いことに向き合わない限り辛いことはそのまま何も変わらない。それで、今みたいにコロナウイルスのせいでどこへも移動できず、逃げる場所が無くなってしまったらどうするの? 心が大変なことになっちゃいます。

――なるほど。逃げることについてだけを考えているから同じシステムがずっと続いてしまっている。

イ・ラン そうです。例えば、東京の通勤電車ってとても辛いでしょう。私はいつもあれに乗るとしんどくて思わず“ワー!”って声が出てしまうんですけれど、変な目で見られちゃいますね(笑)。でも、あんなにギュウギュウにされたらどうしても声が出ちゃうんです。みんな電車に乗っているときは「この時間は私の人生ではない」って自分に催眠術をかけているみたい。誰も幸せそうに乗っている人なんていないのに、「東京の通勤電車は辛いものだから」で考えが止まっているような気がします。
 でも本当に、あれしか移動手段って無いのでしょうか? あれに乗らないと働きに行けないのでしょうか? 電車に乗っているときも人生ですよ。それに、あんな状態になっている電車にはガンの人や障がいを持っている人、あと小さな子供がいる人たちは危険で乗れないじゃないですか。そういうふうに、彼らは社会によって透明人間にされていっているんじゃないかな。一人で立って歩ける人、自分に催眠術をかけられる人だけがあの電車に乗って仕事に行くことができる“普通”の人たちなわけですから。でも、そんなの全然普通じゃないと思う。

――それってかなりコロスウイルスですよね。“普通”とは名ばかりのウイルス。

イ・ラン そうそう。今まで“普通”に排除されてきた人たちにとって、もともと世界はコロスウイルスでいっぱいだったわけです。だから「元の生活に戻りましょう」というのも違うと思う。コロナより前の生活はそもそも普通ではないし、これからの基準にもならないから。

――チェジュ島の話ではなく、ギュウギュウの通勤電車について考えて話す必要がある。

イ・ラン そうだと思います。でも、一人で考えても何も出来ない無力感で終わってしまうから、他の人と一緒に辛いことについて話したり考えたりすることが大事です。「患難の世代」のレコーディングでオンニ・クワイアの皆と合唱したり叫んだりしたことも、私にとって凄くいい経験になりました。
 あと最近、私は保険会社で働き始めたんですけど、その仕事が本当に面白くて。もともとはガンの友達の治療費をつくる方法を考えるために医療保険について勉強したんですが、それがきっかけとなって、今では色々なお客さんと一対一でお話して、それぞれの人生で心配していることや大変なこと、病気のことについて話しながら、その人が一番安心できるような保険のプランを一緒につくっています。

――決まったパターンの保険プランを紹介するのではなく、その人の人生に合った方法を考えていく。

イ・ラン 社員に業績を上げさせようとする保険会社が一方的に商品を売り付けているようなイメージもあるけど、本当は保険ってそれぞれの人生に合わせて一緒につくっていくものなんですよ。それぞれが抱いている未来への不安に向き合って、安心できるお金のプランを探すのってその人の人生に参加することだから、責任も感じると同時にとても大事なことだと思うんです。
 保険や自分がかかるかもしれない病気について考えている人ってあまりいないから、自分が入っているプランがどういう内容のものなのか分からないままの人も多いんですよね。でも、病気を治すためのお金って人生に関わることなので、人それぞれに合うベストなプランを考えてつくるべきです。
 あとは病気にも色々な種類があって、よく知られているものもあれば、お医者さんもまだ分かっていないものもある。病気にもマジョリティとマイノリティがあるんですよ。だからマジョリティの病気だけじゃなくて、マイノリティの病気のための保険も作らないといけません。

――なるほど。保険のプランをお客さんと考えることも言わば“他の人と一緒に辛いこと、不安、痛みについて話したり考えたりする”機会と言えるわけですね。

イ・ラン そうです、自分じゃない人の立場になって何かを考えることが大切だと思う。前のインタビューでは、翻訳家の斎藤真理子さんと話しているうちに“嫉妬”というネガティブな意味を持つ文字に女偏が使われていることから、漢字の持つセクシズムやミソジニーについて知って、性別を限定しない新しい漢字を作ろうということになったという話をしましたよね。言葉だけではなく新しいシステムも、人々が「これが問題だと思う」「これが便利だと思う」とそれぞれの視点を持ち寄って話し合いながらつくるものです。

(取材・構成/菅原史稀)

当記事はwezzyの提供記事です。

あなたにおすすめ

ランキング

ランキングをもっとよむ

注目ニュース

注目記事をもっとよむ

あなたにおすすめ