『分島花音の倫敦philosophy』 第六章 最近のロンドン 自己表現と自分の過去について

SPICE

2020/7/31 18:00


シンガーソングライター、チェリスト、作詞家、イラストレーターと多彩な才能を持つアーティスト、分島花音。彼女は今ロンドンに居る。ワーキングホリデーを取得して一年半の海外滞在中の分島が英国から今思うこと、感じること、伝えたいことを綴るコラム『分島花音の倫敦philosophy(哲学)』第六回目となる今回はロンドンに戻った分島が語る自分の過去と自己表現についてー

再びロンドンに戻り1ヶ月が経ちました。季節は夏。日の出は5時台、この所晴れの日が続き、夜は8時過ぎまで明るく、9時になり漸く日が落ちます。昼間は摂氏20℃前後を保ち、爽やかな風が吹くと心地よい涼しさを運んでくれます。

私が初めてロンドンに来たときもこの夏の時期でした。澄んだ青い絵具を塗った高い空に、掴めそうなくっきりとした白い雲が連なり、そのコントラストはいつぞやに見たヨーロッパの壮大な絵画の風景そのものでした。街灯や店先のあちこちに色とりどりの花が咲き、緑は青々としていて、街全体の彩度が一気に上がり、長い冬が明けたことを皆喜んでいる様に見えます。

コロナ禍ではありますが、ロックダウンが開けて営業を再開する店が増えたことに比例して、街にも少しだけ活気が戻ってきた様に感じます。(例年と比べると観光客も少なく寂しい雰囲気は否めませんが)

自己隔離期間中、私は天国の様な日差しを窓越しに感じながら、早く外に出たくてソワソワしていました。7月の10日以降日本からイングランド到着後の隔離が不要とのニュースを受けていざ外の世界を巡ると、冬とは全く違う天気の心地よさに、外に出られる自由を痛感したことも相まって深く感動しました。

毎日丁寧に生きられる余裕はないけれど、確かに日本では、こんなにも日々を恋しく思えていませんでした。自堕落に生き、過ぎていく時間に焦りを感じながらもベストとは言い難い自分の状況に慣れてしまい、立ち止まってその生温さをやり過ごす時期もあります。

自分の立場や状況を相対的に比較してしまって、焦って、そこからどう前に進むかという事だけに思考が奪われてしまっていました。人や社会との繋がりでいつも苦労をして、幸せを実感している時でさえ「私は永遠に幸福になってはいけないんじゃないか」と楽しい気持ちでいる自分を肯定できない時もありました。

撮影:分島花音
撮影:分島花音

今思えば、私は幼い頃から自分の心をうまくコントロール出来ない子供でした。物心つく前から音楽を与えられていたので、コミュニケーションの中心はいつも音楽でした。普段喧嘩の絶えない父も母も、私が良い演奏をしたときは二人とも穏やかで褒めてくれていたので、音楽を手放したら家族や自分への評価全てを失ってしまうかもしれないという不安がいつも頭の片隅にありました。

協調性が無く、みんなが当たり前の様にこなせることができなくて、理由無くどうして突然悲しくなったり苦しいのか分からなくて毎日の様に泣いていました。私には音楽があるのに。音楽があるのにどうして満たされないのか。

子供の頃は、私に音楽や表現の術が与えられたのは、この生まれながらの慢性的な悲しみや苦しさから少しでも解放される様、神様が特別な魔法をくれたからなのだと思っていました。だから音楽を表現する人は、皆何かしら人や社会との間に絶対的な隔たりを感じていて、皆協調性が欠陥していて、皆孤独から永遠に逃れることができない人たちなんだと思っていました。そういう人しか表現する魔法は得られない。だから自分は特別なんだと。そうやって自分の欠けている部分を正当化して、気持ちの均衡を保っていました。

でも実際そんな訳がなく、素晴らしい表現力を持った音楽家やアーティストでも結婚して子供を持ち、母になり父になり、音楽というフィルターを通さなくても一人の人間として必要とされ、認められる事ができる。音楽を表現しなくても、生きていける人になる事だってできる。苦しまずにものが生み出せる人がいる。音楽を表現せずとも満たされている人生があり、その上で音楽を表現する人もいる。

私は特別でも何でもなかった。苦悩や孤独を、表現する術と引き換えにしたと思い込んでいるだけで、物心ついた時から音楽や表現のフィルターを通さなければ、家族とも、社会とも、世界とも心を通わせることができないただの人間だった。
撮影:分島花音
撮影:分島花音

そして今も、私は自己表現以外の自分の価値を見出せずにいます。私が私自身を、音楽も絵も生み出せなくなって楽器も歌も奏でられなくなった自分を、それでも自分だと、愛せると思える様になる時は、多分死んでも来ないと思います。よく「何でもできていいね」と言われるけれど、私からすれば総じて皆『表現』なのです。生まれた時から表現することを優先されてきました。「うまく弾けなくてもいいから表現をしなさい、表現者になりなさい」と。私にはこれしかなくて、これが私の全てなのです。唯一の、社会との繋がりなのです。空っぽになってしまうのが怖くて、必要とされなくなるのが怖くて、これを使命と錯覚するのです。今も、この先も、外の世界との関わりが切れてしまわない様に表現の衝動に火を灯し続けているのです。
撮影:分島花音
撮影:分島花音

そんな幼い頃に育った考えはなかなか曲げられずとも、海外というのは私に未知のパワーを止めどなく与えてきます。ロンドンに来たことは、自分の人生で必要な時間だったのだとつくづく感じる出来事ばかりです。

ロンドンに暮らし始めた時もそうでしたが、旅行で訪れることとその国に暮らすことは感覚がだいぶ違います。きっと何年も暮らしているともっと変わってくるのでしょうが、異国に暮らすことは、私にとって刹那の煌めきを深く感じるという愛しさを、改めて実感する事でした。帰路に着くまでの道のりや近所の散歩が見慣れた風景になっていく。観光だったら見過ごす様な日々の変化に気付き、慈しむ。遠回りして、時間をかけて、寄り道をして目的地を目指す。優しい店員さんのいる、美味しかったカフェ。日曜日しかやらないフラワーマーケット。絵に描いたような可愛らしい小道。また行こうと思える。自分の中に『次の日』があると思える。

それは限りある日々の中の贅沢を実感する瞬間でした。人生はトランジェントなのです。あっという間に過ぎていく。その一瞬をどれだけ大切に思えるかで、自分の未来が変わっていきます。魅力的な街に生きている実感と焦りを与えられながら、私はその刹那を表現する使命を、より一層感じているのです。

文・撮影:分島花音

当記事はSPICEの提供記事です。

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