「永遠の愛」はあるのか問題



愛とは何か。

愛の定義を考えるのは決して難しくはありません。適当にきれいな言葉やそれっぽい言葉でうまいことを言っておけば、それなりに多くの方にご納得いただけることでしょう。

しかしそんなことをしても、それは言葉遊びでしかありません。そもそも、これまでにあまりにも多くの人がそれっぽい愛の定義を語ってきたにもかかわらず、いまだに明確な定義が決定していない時点で、愛の定義など極めて曖昧でさほど意味の無いものであるのは間違いないでしょう。

■愛とは何か? 愛の定義に悩んでいる貴方へ

世の中には愛に関する名言がいろいろありますが、個人的には言葉遊びでしかないと思っております。

例えば、「愛は真心、恋は下心」といった言葉。

漢字を使った上手な表現だとは思いますが、あくまでも「上手な表現」でしかないでしょう。

「愛は好きでありたい、恋は好きになってほしい」。

これまた上手な言い回しだとは思いますが、こういった言葉を好む方は恋に恋するような傾向があるため、そもそも人を好きでありたいだけでは? と感じます。

「愛は見返りを求めない、恋は見返りを求める」。

よく耳にする言葉ではありますが、私はこれが一番嫌いで御座います。

これは愛を定義する言葉ではなく、相手に対して「見返りを求めるなよ?」と脅すセリフでしかないのです。要するに「お前は俺を愛しているんだから、見返りなんていらないよな?」という言葉でしょう。

もちろん言葉遊びは楽しいことですので、愛の定義について言葉遊びをすること自体を否定するつもりは御座いません。

しかし、もしも貴方様が本当に愛の定義で悩んでいるのであれば、言葉遊びをしている場合ではないでしょう。

言葉遊びで物事が解決するのは物語の陰陽師の世界だけで御座います。残念ながらこの世界の多くは言葉遊びではなく、行動でしか物事は解決いたしません。

これは大前提ではありますが、そもそも恋人やパートナーとの関係が順風満帆な時に「愛とは何だろうか」なんて思う人はそうそうおりません。悩んでいるからこそ、このページにたどり着いたのでしょう。つまり、貴方様と相手の関係性は今、壊れつつある。

相手の態度に疑問や不安を感じて、本当に自分を愛してくれているのか不安になっている。もしくは自分の気持ちが冷めていて、本当に相手を愛しているか不安になっているのではないでしょうか。

そうやって、相手との関係性において「愛とは何か」と悩んでいらっしゃるのであれば、答えは1つしか御座いません。

その関係性が冷めつつあるのは間違いないので、愛の定義探しなんていう言葉遊びをする前に、関係が冷めてしまった原因を考えた方が良いでしょう。

■愛に寿命はあるのか

「サバの生き腐れ」なんて言葉もある通り、サバはすぐに腐ります。

常温保存でもしようものならば、数時間で腐り始めるレベルでしょう。特にこれからの季節は食品が腐りやすくなるので、皆様くれぐれもご注意くださいませ。

そんなサバであっても、冷蔵庫に保管しておけば2~3日くらいは鮮度を保てます。また締めさばにして冷凍すれば2週間くらいは日持ちするでしょう。さらに缶詰保存をすれば3年くらいは平気だそうです。

もちろん正確な時間は商品の消費期限をご確認くださいませ。ここで紹介させていただいた内容は、あくまでも私が食品売り場で確認した数字であり、参考程度のもので御座います。この内容を信用してサバにあたっても、当方では一切責任は取れません。

少し脱線しましたが……ともかく、非常に腐りやすいサバでも調理法や保存方法を工夫すれば消費期限が延びるのは間違いないでしょう。

私は愛もこれと同じだと思っております。

どんな方法で保存しようともサバがいつかは腐るのと同じように、全ての愛はいつか必ず終わります。永遠の愛など存在しないと思っています。

しかし相手との相性や、付き合ってからの行動でその寿命を延ばすことはできるでしょう。そして愛の寿命が命の寿命を上回った時、私たちはその愛を永遠の愛と“錯覚”するので御座います。

例えは悪くなりますが、若くして恋人が亡くなった場合などはこの錯覚がよく起こるといえるでしょう。

愛の寿命が1年しかなかったとしても、それより前に命の寿命が尽きてしまえばその愛は永遠であったかのように見えるのです。

しかしそれは「見える」だけに過ぎません。もしも亡くならずにいたら、1年で別れてしまっている可能性だって十分に存在するのです。

全ての愛には寿命がある。

工夫次第で愛の寿命を多少延ばすことができても、無限に延ばすことはできません。どんな方法で調理をし、保存をしようとも、サバはいつか腐るのです。

そしてこのことを心に刻んでいるからこそ、愛が長持ちするというのは間違いありません。

サバはすぐに腐るからこそ、人類はこうしてサバを長持ちさせる調理法を考えたのです。

それは愛も同じ。危機感があるからこそ、人は愛を長持ちさせるための努力ができるのです。危機感がなければ人は努力などいたしません。

愛は必ず終わる。

しかしそのことを心に刻んでいれば、愛の寿命が命の寿命を超えることもあるでしょう。

■終わる愛にも意味がある

前述した通り、愛には寿命が御座います。

このようなことを言うと必ずといっていいほど、「絶対に終わりを迎えるなら、最初から愛さない方がましだ」と言う方がいらっしゃいます。おっしゃりたいことは分かりますが、その考えはあまりにも危険でしょう。

私は、いまだに人類が不老不死になったというニュースを聞いておりません。もしかしたら私が無知なだけかも知れませんが、おそらく人類はまだ死から逃れることはできていないでしょう。

人間は私の知る限り必ず死ぬのです。つまり人生は必ず終わるのです。

それならば生きていない方がましでしょうか?

その理屈が正しいのなら、人類はみんなまとめて今すぐ自殺をした方が良いでしょう。もしかしたら、そんなことを言っている宗教もあるかもしれませんが、少なくとも私の信ずる神はそんなことを言っておりません。

たとえ愛が終わったとしても、愛し愛されたことに意味があるのです。

それに愛の場合、時には命の寿命を上回ることもあるでしょう。寿命があることに変わりはありませんが、命の寿命を上回った愛は、「永遠の愛」と見分けが付かないのですから。

■本物の愛とは何か

本物の愛だとか偽物の愛だとか、そんなことをおっしゃる方も少なくありません。

しかし愛の定義すら曖昧なのに、一体どうやってその愛が本物なのかを見極めているのでしょうか?

100歩譲って、その人には本物と偽物を見極めることができているとしましょう。しかし、愛の種類を「本物」と「偽物」の2種類だけに分類してしまうのはあまりにも大雑把過ぎないでしょうか。

そして何よりも、「本物の愛」などという言葉は得てして害になるのです。

なぜならば、愛を「本物」と「偽物」に二分してしまうと、本物以外は全て偽物という極めて短絡的な結論になってしまうからで御座います。

その上、「本物の愛」なんていう言葉は「無償の奉仕」や「無限の奉仕」そして「一瞬の迷いも無い愛」を求めるのです。

そんなものは存在いたしません。永遠に無償で尽くす人などおりませんし、迷わない人間もいないのです。

それなのに「本物の愛」という言葉を使う人間は「本物の愛ならば何でもできるよな?」と、いつでも人を試すのです。

街中でかわいい人や格好いい人をチラ見しただけで、偽物の愛と言いだす。

1回ご飯を作らなかっただけで偽物の愛と言いだす。

見返りを求めただけで偽物の愛と言いだす。

もしも、本物の愛などというものが存在するとすれば、それは愛でなく、信仰であると私は思います。

■「本物の愛」なんて言葉は使わない

本物という言葉を使うと0か100という思考になりやすいのです。すると、ほぼ満点である99点すら、0点と同じ「偽物」となってしまいます。

そんなことは御座いません。99点のものには99点の価値があり、0点には0点の価値があるのです。

世の中のコラムニストや扇動者は得てして0か100かの言葉を使いたがりますが、それがなぜか分かりますでしょうか?

答えは、0か100かの言葉は信者を作る上では都合が良いからです。

センター試験の現代文を学んだ方ならお分かりいただけることでしょう。

・全部

・絶対

・必ず

・全て

・一つも~ない

こういうフレーズが付いている選択肢は大体が間違いなのです。

もしも教祖になりたいと考えている方がいらっしゃるのであれば、こういった言葉を使うのは有効かもしれません。

ですがそうではない場合、人生の大切な場面ではそんな言葉を使ったり、そんな言葉に耳を貸したりするのはあまりにも危険でしょう。

これは私の考えですが、「本物の愛」なんて言葉は得てして人をだますために使う言葉で御座います。誰かをだまそうという悪意を持って使うのであれば止めはしませんが、それ以外では使うのはやめた方が良いと思います。

■愛とは「ある」と信じるもの

永遠の愛は無いだの、本物の愛は無いだの、いろいろと言いましたが、私の言葉を全て信じてしまうのも、それはそれで問題でしょう。

というのも、我々人類は絶望しやすいのです。ですので「本物の愛」が無いと本気で信じてしまうと、人生を悲観する人が出てくるでしょう。

確かに私は「永遠の愛」も「本物の愛」も存在しないと思っておりますが、仮にそれが真実であったとしても、真実が人を救うとは限りません。

むしろ真実は大抵の場合、人を傷つけるものなので御座います。

ですので「本物の愛」や「永遠の愛」が“あるかもしれない”と信じるのは、精神衛生上良いことかもしれません。おそらく希望が無い人生より、希望がある人生の方が幾分か幸せなことでしょう。

しかし問題はここからで御座います。

「あるかも知れない」くらいに考えているのは精神衛生上良いでしょう。ですが、本当に「本物の愛は存在する!」と確信してしまうのは危険で御座います。

要するにこれはサンタクロースと同じようなものなのです。

12月に街中にいるサンタクロースを見て「あれは偽物だ。サンタは本当はいないんだ!」なんて叫ぶのは愚か者でしょう。空気が読めない上に、誰も幸せになりません。

しかし大人になって、街中にいるサンタクロースが本物だと思い込んでいる人がいたら、それはそれで少しヤバいでしょう。

大人は街中にいるサンタクロースが偽物であると理解しつつ、あえて口にしないで楽しむものなのです。

事実を事実と口にするのは、子どものやることで御座います。

嘘を事実と口にするのは、狂人のやることで御座います。

あくまでも事実は事実として受け止めつつ、時には嘘を口にするのが大人の対応といえるでしょう。

だからこそ「本物の愛」も「永遠の愛」も、「まぁ、あるかもね」くらいに軽く「信じて」おけば良いのです。

もちろん私は教祖では御座いませんので、今回の回答が絶対の正解とは言いませんが。

(ラブホの上野さん)

※画像はイメージです

当記事はマイナビウーマンの提供記事です。

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