羽生結弦 華麗な演技を支える、崇高な理想への情熱

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創設されたばかりの、国際スケート連盟スケーティング・アワード。その中で、フィギュアスケートの発展に最も寄与したとして最優秀選手賞を贈られたのが羽生結弦選手である。

ソチ五輪・平昌五輪二連覇をはじめ、数々の試合で優勝。2020年2月には、ジュニアも含めた6つのビッグタイトルをすべて獲得、スーパースラムを成し遂げた。2018年には国民栄誉賞まで受賞している。改めて、その足跡と演技を紹介したい。

五輪前から注目されてきた実力の中、拠点リンクが二度閉鎖に2004年。羽生選手は小学4年で初めて出た全日本ノービスBクラス(ジュニアよりさらに低年齢のクラス)で金メダルを獲得した。その直後、拠点としていたホームリンクが経営難で倒産。遠方のリンクに通わなくてはならなくなる。当然ながら、試合での成績は伸び悩んだ。

2010年、15歳で世界ジュニア優勝。
すでに自分を表現することに長けていた彼は、ギャップのあるキャラクターを演じ分けていた。ショートプログラムは前髪を斜めに流し、少し背伸びした、凛々しい中に力強さも感じる「ミッション・インポッシブル」。

一方フリーは、サラサラのマッシュルームヘア(当時憧れの存在だったプルシェンコに影響を受けている)、フリルをあしらったペールブルーの衣装という天使のような容貌で繊細に演じる「パガニーニの主題による狂詩曲」。同じシーズンとは思えない変身ぶりだ。この両極はどちらも成長を遂げ、今の演技傾向にも受け継がれている。



翌2010-2011シーズン、シニアデビュー。
NHK杯で4回転トウループを成功させるなど調子を上げ、2月の四大陸選手権(ヨーロッパ以外の各国が集まる国際大会)で銀メダルを獲得。よいデビューシーズンを終えられた…その直後、地元仙台で、3月11日を迎える。東日本大震災だ。

ホームリンクで練習中に被災した彼は、幸い無事だったものの自宅が被災、一時は避難所での生活を余儀なくされた。再びホームリンクを失ったが、地震から10日後、かつて師事した都筑コーチがいる横浜で練習を再開。復興支援目的のアイスショーに多数出演しながら練習を続け、全日本選手権(2011年)で総合3位に。ニース開催の世界選手権への切符を勝ち取った。



しかし試合直前に右足を捻挫。靴が履けないほど腫れてしまう。初出場、そして翌年の日本選手出場枠がかかったプレッシャーのかかる試合。このときのフリーが「ロミオとジュリエット」だ。

中世ヨーロッパの貴族をイメージする衣装とスリムな体型とは対照的に、血気盛んに高難度ジャンプに挑む。冒頭の4回転をはじめ、素晴らしいクオリティで前半のジャンプを決める。

しかしステップを終えた中盤で転倒。場内は騒然とした後、応援する歓声が響き渡る。すぐに立ち上がった羽生選手は、応援の声に応えるかのようにトリプルアクセルからのコンビネーションを成功させた。

この頃の羽生選手はまだ後半の持久力に課題を抱えていた。前半飛ばしすぎたのか、疲れが見える。しかしジャンプの難易度を下げることなく、果敢に攻める。コレオステップシークエンスに入る直前のポーズでは叫びを上げ、物語のラストシーンに突入していった。

若さゆえの勢い、そして危うさと脆さ。長年彼を指導している阿部奈々美コーチの振付は、羽生結弦の特徴を存分に生かしたものだったが、それ以上にこの演技は、観た人が忘れられない鮮烈なロミオになった。この「ロミオとジュリエット」はソチ五輪シーズンでも違う曲・振付・演技構成で演じられている。その違いを比べるのも面白い。

羽生選手は、普段支えてくれている人たちの尊さを深く感じ、そして向けられた思いを、自分が演技に挑むエネルギーにすることに秀でている。その力は震災後の日々が培い、このニース世界選手権で開花したように思う。

五輪二連覇、でもずっとチャレンジャー2012-2013シーズン、羽生選手はカナダのブライアン・オーサーに師事、拠点をカナダに移す。
その後の活躍はめざましく、とても書ききれない。五輪二連覇の印象から、世間的には「ずっと勝ち続けている選手」のように思われているかもしれない。しかし、世界選手権をはじめ、勝てなかった試合はたくさんある。ライバルがいて負けることがあるからこそ、彼は常に挑戦者であり、ハードなトレーニングを自らに課し、強くなった。



そして、少年マンガのプロットなら盛り過ぎでボツになりそうなほど試練に見舞われている。もともと持つ喘息の持病と闘ってきた彼だが、遠征先の衛生面からの体調不良、インフルエンザ、尿膜管遺残症、そして膝や足首のケガ……6分間練習での衝突事故は観ている側もつらいものだった。

そして平昌五輪。金メダルを獲得した演技は、痛み止めで激痛と闘いながらのものだったことは、よく知られている通りだ。

ケガが多いのは、もちろん高難度ジャンプに挑戦していることも要因だが、理想の高さ、こだわりから来るところもあると思う。彼は「イメージする」能力が高い。ジャンプであれば自分の跳ぶ瞬間のフォームが見え、360度、主観的にも客観的にもイメージできるという。自分の頭の中には、ディテールまで完璧な動作の映像が浮かんでいるのだろう。その崇高なまでの理想に自分が到達しないと納得できない。そのこだわりは、審査員がこれ以上はないと評価するクオリティに繋がっている。

平昌五輪でも用いたショートプログラム「バラード第1番ト短調」は、羽生選手が最も長い期間取り組んでいるナンバーで、彼の特徴をよく表すプログラムだと思う。

ピアノソロの楽曲というのはそもそも、とても難しい。曲がシンプルな分、演技に粗さ、拙さがあるとすぐに露呈しごまかしが効かないからだ。どの要素も優れている選手でなければ演じきれない。

羽生選手のジャンプは前後の動作まで制御され、限りなく研ぎ澄まされたクオリティだ。とりわけ最初のジャンプは高難度4回転を難なく跳び、波紋が消えていく水面のように何事もなかったかのように流れていく。スピンは高速で、かつ、柔軟性を生かしたバリエーションを多数展開する。ステップシークエンスは高い技術を保ちながら存分に曲を表現する。全体的に工夫に彩られ、ただ滑っているところが一つもない。ショパンの才気溢れる傑作を、全身で演じている。

最初のシーズンで羽生選手はこのプログラムを「デュエット、一緒に奏でているイメージ」と語っている。その後、一番最近では2020年にこの曲で滑っているが、その旋律との同調性はさらに増し、演技には深みが増すばかりだ。

試合を離れても、全力で理想を目指す! 羽生選手は、試合後のエキシビションで、震災に見舞われた被災者への想いを表現するプログラムが多い。「花は咲く」「天と地のレクイエム」「星降る夜 Notte Stellata (The Swan)」など。普段の高難度な要素から離れて、気持ちを伝えることに専念する演技からは、溢れるような感情が伝わってくる。



氷から離れた場でも、インタビュー等のメディア対応、スポンサーCMなど、どんな時も礼儀正しく、自分を支えてくれる人たちへの感謝を忘れない。腕利きのリスクマネジメントコンサルタントでも雇っているかのような、非の打ちどころのない対応と爽やかなルックスだ。

求められることに完璧以上に応えながらも、彼は自らのインタビューを戦略的に活用している。その時の考えを口にすることで記録に残し、後から自分で振り返り練習に生かすのだという。どこまでも全力だ。

ほとんど自らは発信しないプライベートでも、様々な興味へのこだわりは強いようだ。オーディオマニアでイヤホンコレクターなのをはじめ、アニメ、マンガ、ゲーム好きなのも知られている。2019年のアイスショー(※Fantasy on Ice 2019)でのToshIが歌う「残酷な天使のテーゼ」とのコラボレーションでは、感情を込めて踊りながら熱唱する様子が話題になった。

現在(2020年7月)、コロナ禍で、フィギュアスケートの試合がどうなるのかは不透明だが、羽生選手が健康な状態で練習ができていることを祈りたい。

決まれば世界初となる「4回転アクセル」への挑戦を公言しており、期待も大きいが、何より、彼の新シーズンの演技が見られる日を心待ちにしている。
(冴西理央)

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