42歳日雇い男が“パパ”に戻った日。感じる成長、切ない気持ち

日刊SPA!

2020/6/15 15:53

―[42歳日雇い派遣男のリアル]―

僕はバツイチの独身なのだが、別れたタイ人妻のソム(仮名)との間には2人の子供がいた。その2人とも元妻に親権を取られていたのだが、日雇い派遣で生活していたある日、約1年ぶりに再会できることになった。

◆妻と離婚後、2人の子供と久しぶりの再会

突然、元妻のソムからラインでこんなメッセージが届いた。

「久しぶり。元気?」

なんだ、馴れ馴れしい……。そう苛立ちを感じながらも、もしかしたら子供のことでなにかあるのかと思い、一応、素っ気なく返事をした。

「なんだよ」

「今どこ住んでるの?」

「おまえになんの関係がある」

しかし、その次のメッセージにぎょっとなった。

「パパ。絵里だよ」

ソムではなく、娘の絵里(仮名)だったのである。

「なんだ、絵里かよ。それなら最初からそう言えって」

「今どこ?」

「東京にいるよ」

「私も東京にいるよ」

絵里はもう小学2年生になっていた。まだ自分の携帯は持たせてもらっていないので、母親の携帯を借りてそのアカウントからラインをしているのだという。しばらくラインでやり取りし、今度の日曜日に絵里の3歳上の兄である健人(仮名)も交えて3人で会うことになった。

僕がソムと別れたのは彼女の不倫が原因だった。タイに住んでいたときに他の日本人の男とできていたのである。離婚後、彼女はその不倫相手と再婚し、子供2人を引き取って日本に移住していた。その後、僕も日本に戻ってから子供には一度だけ会わせてもらったのだが、それ以降は会わせてもらっていなかった。

◆いつの間にか流暢な日本語を話せるように…

当日、僕は指定された地下鉄駅の出口近くで待った。約束の時間を少し過ぎた頃に遠くのほうから2人の子供がてくてくと歩いてくるのが見えた。健人と絵里だった。

「おう、久しぶり」

健人はかなりぽっちゃりとした体型になっていた。

「おまえ、ちょっと……というか、かなり太ったんじゃないのか」

「うるせえな。これでも少し痩せたんだよ」

約1年前に会ったときはほとんど日本語を話せなかったのに、もう流暢に日本語を話せるようになっていた。これまで子供とはタイ語でしか会話をしたことがなかったので、なんとなく妙な感じだった。

電車で六本木に向かった。そこで映画を観る予定だった。その車内で健人に日本に来てからの生活について話を聞いた。やはりはじめの頃はほとんど日本語を理解できず、特に学校ではかなり苦労したという。

「絵里は大丈夫だった?」

健人の隣の席に座っていた絵里に話を振った。

「うん、大丈夫」

彼女はそれだけ言葉を返した。もともとはよく喋る明るい女の子だったのだが、やけに口数が少なくなっていた。

六本木の映画館では健人のリクエストでディズニーアニメ映画を観た。上映中、僕はその映画の内容よりも絵里の様子のほうが気になっていた。健人はポップコーンを食べながらスクリーンに釘付けになっていたのだが、絵里はほとんど無表情であまり楽しんでいるようには見えなかった。スクリーンからの青白い光が彼女のそんな横顔をちらちらと照らしていた。

「映画どうだった?」

上映終了後に絵里に訊いた。

「まあ、面白かったけど、あれは健人の観たい映画だったし……」

「じゃあ、次は絵里の行きたいところに行こう。どこ行きたい?」

「んー……」

彼女は黙り込んでしまう。とりあえず3人で六本木通りを歩いた。しばらくして僕のほうからまた訊いた。

「絵里、大丈夫か?」

「大丈夫ってなにが?」

「歩き疲れたなら抱っこするよ」

僕がそう言って絵里を抱っこしようとすると、彼女はそれをバッと振り払う。

「まじでやめて。恥ずかしいから」

タイに住んでいた頃は彼女のほうからよく抱っこをせがんできたものなのだが……。僕は小さくため息をつく。久しぶりに再会できたのだから、絵里とももっといろんなことを話したり、じゃれあったりしたかった。が、会えない期間に彼女との間に深い溝ができてしまったような気がした。

◆あの頃と変わらない笑顔

「私ね……」

長い沈黙のあとに彼女がようやく口を開いた。

「うん、なに?」

「絵を描くのが好きなんだ。だから、絵を描けるところに行きたい」

「絵を描けるところか……」

僕はスマホでネット検索した。

「表参道にお絵描きしながら食事できるカフェがある。そこ行ってみる?」

絵里はうなずいた。そして少しだけ笑顔を見せた。また電車で移動してその店に到着した。店内には色鉛筆、コピック、マスキングテープ……など種々の文房具が豊富に用意されており、それらを自由に使って画用紙のランチョンマットにお絵描きできるのだという。

テーブル席に着いて料理とドリンクを注文した。それから絵里は席を離れ、店内の文房具をゆっくりと見てまわる。その間に僕の注文したコーヒーが運ばれてきた。

僕はそのコーヒーを見てふと思い出すことがあった。タイに住んでいた頃、僕がマグカップでコーヒーを飲んでいると、絵里はよくふざけてその中に物を投げ入れてきたものだった。あるとき、彼女が手に消しゴムを持って近づいてきたので、僕は慌ててマグカップの飲み口を手で塞いだ。

「ねえ、その手どかしてよ」

「やだよ。その消しゴムを入れるつもりだろ」

「入れないよ。そんなことするわけないじゃん」

「消しゴムっていうのはね、字を消すためのものであって、コーヒーに入れるものじゃないんだよ。それは知ってる?」

「うん、知ってる」

「だから、絶対にその消しゴムを入れないって約束して」

「うん、約束する。だから、その手どかして」

「本当に約束だよ」

「わかったって。しつこいな」

僕はマグカップの飲み口から手を離した。すると、絵里は僕と交わしたその約束を秒速で破って消しゴムをポチャリと投げ入れる。そして僕のほうに顔を向けて「きゃはははは」と笑うのである。

そのときのことを思い返してふふッと笑みがこぼれた。しかし、絵里が僕にそういういたずらをしてくることももうないのだろうか……。一抹の寂しさを感じながらコーヒーを一口啜った。

しばらくして料理が運ばれてきたので絵里を呼んだ。彼女はコピックなどのペンを何本か持って戻ってきた。絵里が注文したのは「お絵描きオムパスタ」というメニューで、ケチャップでお絵描きができるようになっていた。彼女はケチャップを手に取り、そのボトルの先端を卵生地に向ける。いったいどんな絵を描くのだろう……。その手の動きをじっと見つめた。彼女が最初に書いたのはひらがなの「う」だった。

う? そしてそれに続けて書いたのは「んこ」という文字。彼女は顔を上げて言った。

「絵を描くと思ったでしょ?」

そして「きゃはははは」と笑う。僕のコーヒーに消しゴムを入れたときと同じ笑みだった。それに釣られようにして僕も笑った。僕と健人が食べている間、絵里は食べることよりもお絵描きに夢中になっていた。描いているのは最近の漫画風の絵柄の女の子だった。

「絵里は漫画も描くの?」

「四コマ漫画とかは描いてるよ」

「パパも小学生の頃によくノートに漫画を描いてたな。さっきのうんこで思い出したけど、『うんこぶりぶりマンの大冒険』って漫画を描いたこともある」

「それはどんな話?」

「便器に流されそうになったうんこがトイレから脱出して、外の世界を冒険しながらいろんな敵と戦う話」

「そのうんこはどんな攻撃をするの?」

「うんこを投げる」

それに健人と絵里は爆笑した。

「じゃあ、自分がなくなっていっちゃうじゃん」

「そうだよ。攻撃するたびに少しずつ自分がなくなっていく。そして最後は完全に消滅してしまう。そういうちょっと悲しい話なんだ」

やがて絵里はひとりの女の子の絵を描き上げた。それは僕が小学生の頃に描いていた漫画なんかよりも遥かに上手だった。

◆子供との別れ際に…

店を出ると、好きな漫画やゲームなどの話をしながら帰路についた。その頃には絵里も昔のようによく喋るようになっていた。そして最初の待ち合わせ場所であった2人の家の最寄り駅に到着する。家のほうに向かって歩いていると、その途中にあった歩道橋の前に来たところで健人が言った。

「もう家の近くだからここまででいいよ」

母親に僕を家に近づけないように言われているのかもしれない。僕のほうも元妻やその夫と鉢合わせて嫌な思いはしたくなかったので、そこで別れることにした。

「じゃあ、またな」

「うん、また」

2人は歩道橋を上がっていく。

「ちょっと待って」

僕はその背中に向かって呼びかけた。すると、絵里だけが足を止めて振り返る。

「ん、なに?」

「いや、別になんでもないけど……」

彼女に向かって両手を広げた。抱っこするのも嫌がられたのだから、これも嫌がられるかもしれない……。そう思ったのだが、彼女は階段を下りて僕の胸に飛び込んできた。僕はその小さな体をぎゅっと強く抱きしめた。彼女は階段の数段上にいたので、ハグするのにちょうどいい高さになっていた。

「じゃ、元気でな」

「うん」

絵里は僕から離れると、健人を追いかけるようにして夕闇に染まる階段を勢いよく駆けあがっていった。<文/小林ていじ>

―[42歳日雇い派遣男のリアル]―

【小林ていじ】

バイオレンスものや歴史ものの小説を書いてます。詳しくはTwitterのアカウント@kobayashiteijiで。趣味でYouTuberもやってます。YouTubeで「ていじの世界散歩」を検索。

当記事は日刊SPA!の提供記事です。

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