懐古ヲタク集まれ!「嵐のバックダンサー時代」のお話をしましょう。 #ジャニオタですが何か?

 

ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に毎週ジャニーズが登場するというステキ企画「WAになっておどろうプロジェクト」。新たな振付を、”屋良っち”こと屋良朝幸さんが担当するというではないですか。

屋良さんといえば、ジャニーズJr.黄金期をがっしり支えた人気メンバー。朗報を耳にするなり、瞬く間に私の心は、1990年代後半にタイムスリップいたしました。

■黄金期とは?


1999年のコンサートパンフレット。シンプルisベスト。

 

いつを「黄金期」と定義するかは、人によって解釈が異なるでしょう。個人的な体感としては、1994~1999年が「黄金期」ではないかな、と思っています。

剛健コンビがドーンと君臨したころが、いわば創世期

 

略歴としては以下。
95年:怪談トリオが人気を博す。
96年:『愛LOVEジュニア』(テレビ東京系)放送開始。
97年:『アイドルオンステージ』(NHK BS2)が『MJ』(※ミュージック・ジャンプ、松本潤ではない)となり、次第にJr.主体の番組へ。
同年:舞台『Stand By Me』『KYO TO KYO』……(以下、泣く泣く省略しますがテストには出します)

そしていよいよ98年4月。ゴールデンタイムバラエティ『8時だJ』(テレビ朝日系)放送開始。あの日から、Jr.の人気はもはやオタクだけのものにあらず。

 

まさに大黄金期到来。ジャニーズ、華の元禄。

 

テレビドラマやバラエティ番組に「Jr.個人」が進出する。なんならJr.メンバー主演で映画が制作される。とてつもない人気でした。

今ほどメディアも多様ではなく、当時はまだまだテレビ世代。クラスのほとんどが「8J」を見てた。うちの父も見てました(余談中の余談)

99年に訪れたのデビューが、黄金期の区切りのひとつであったように感じています。

その嵐がもう20周年を過ぎたというのだから、時の流れは早いなあ。そりゃあ私も、何度目かの干支が迫ってきますよね。目前すぎてふるえています。

2020年末をもって一旦、活動休止を予定している嵐。彼らは大黄金期を支え、のちのJr.にバトンを繋いだ大切なメンバーです。

今回は、そんな嵐のメンバーを中心に、Jr.黄金期のお話を。

 

黄金期を生きたすべての人。

今宵は「ジャニーズジュニアワールド」、あるいは「素顔」シリーズを観ながら、忘れえぬ「あの日々」を思い出し、ともに泣きましょう。

もちろん、BGMは『世界は僕らを待っている』(ジャニーズJr.初のオリジナル曲)でお願いします。

本当に、今からでもぜんっぜん遅くないから、黄金期メンバーで「世界は~」をレコーディングしてリリースしてくれませんかね。
めちゃくちゃ買いますし、めちゃくちゃ売れますよ、とある層にピンポイントで(私だ)

もうね、カラオケで。泣きながら歌いたいんです(切望)

それくらい、青春なんですよ。
城ホや横アリにもしも砂があったら、一粒残さず持って帰ってる。なくてよかったよね、砂。

 

■当時レアキャラだった大野智さんと櫻井翔さん


ジャニーズジュニア名鑑。ほぼ全員の名前言えた。それくらい読み倒した。教科書より読んだ。

 

大黄金期(勝手に呼んでる)には京都で舞台『KYO TO KYO』を頑張りながら、98年”ローコン”こと『ALL ジャニーズJr. 1stコンサート’98』や1999年のコンサート(各『素顔』『素顔2』収録にあたる)に出演した大野さん。

ご本人は「自分のうちわがないかも」「みんな俺のこと知らないかも」なんて、デビュー前後に語っていたこともありましたけど。そんなことあるわけがない。

当時のオタクは強めに頭打っていろんなこと忘れても、口座番号と大野智は忘れない。

年齢や芸歴が少し違うだけでこうも違うのか!ってくらい、立ち振る舞いが堂々としていて。でも、あれは大野さんのオーラですよね。単に先輩だからとかじゃない。(※大野さんはV6岡田准一さんよりも先輩。ただし解釈には諸説あり)

やはり歌が上手なので、必ずマイクを持っている人だった。大野さんの『朝日を見に行こうよ』、大好きなんですけどおかわりしていいですか?

 

 

櫻井翔さんは、学業をしっかり優先されていて、無遅刻無欠席で高校を卒業。おめでとうございます(約20年越し2度目)
テスト期間中はお目にかかれなかったけど、雑誌ではソロぺージもあったし、コアな人気がありました。

豆からギャル男まで、少年の貴重な成長期を見せてもらった……。ピアスやカラコンなど、ビジュアル面でJr.に革命を起こした人じゃないかな。(いつの間にか世間で”ダサキャラ”扱いになっていてビックリした)

櫻井さんといえば『8時だJ』の「パンまたは白湯うどん」の件を語り継ぎたい。

ああいう秘めたハングリーさを垣間見れるのが「ジャニーズJr.」という戦国を愛す醍醐味でしたね、本当に。

 

■それぞれの場所で輝いていた嵐

黄金期にも、いくつかユニットがあったけど、今ほど明確ではなくて。ときには大きい子も小さい子も、同じ衣装で同じ曲を踊るんです。シンメも、固定されているようでされていない。

先週マイクを持っていた子が今日は後ろだとか、シンメが違うとか、わりと普通でした。

個人的に「バックで踊る姿」を見るのが好き(なんか職人っぽくないですか?)だったので、担当がマイクを持たない日も、後輩の後ろで踊っていても、あまり気にしなかったんですけど。

ナイーブになるファンはいましたし、メンバーもそうでしたね。
やっぱりマイクを持つために、真ん中で踊るために、みんなレッスンを頑張っているし、応援しているので。

シビアな世界だなと、今でも思います。

 

あくまで私的見解ですが、Jr.全体でパフォーマンスするときには、相葉雅紀さん・二宮和也さん・松本潤さんは2列目くらい、櫻井さんはもう少し後ろ(ちょっと治安悪めチーム)というイメージ。(大野さんは京都)

たとえばNHK『アイドル☆スーパーステージ~レッツゴーヤング98』のワンコーナーで、前者3人は光GENJIの『COCORO』フォーリーブスの『踊り子』を歌うチームなんですけど、櫻井さんは治安悪めなメンバー(※中身は良い人たちです)と、大人っぽい衣装で東山紀之先輩の『Before Fight』を歌っていた。

個々には交流があっても、定位置の毛色は違いましたね。

相葉さん、二宮さんはともにバック転が出来たし、前にも後ろにも立てる。オールラウンダーだなって個人的には思ってました。

二宮さんは「ぼーっとしてる」キャラを、相葉さんは「スーパーアイドル相葉ちゃん」の愛称を、番組でつけてもらって。20年以上経ってなお「相葉ちゃん」って呼ばれているのを見ると、なんだか感慨深いです。

ツモユン……じゃない、マツジュンは小さくて声も高くて。「脱カワイイ宣言」とかしてましたけど、その発想がかわいいことに気付いてないのがかわいい。自分がかわいいことに一生気付かなくて良いです。

でもあっという間にかっこよくなってしまって(成長期こわい)、Jr.単独のコンサートが定番になってからは、音響や演出にすでに興味を示していた。

やっぱり10代に出会う刺激って大切なんだなぁ、その人を形成するものなんだなぁとつくづく思います。

 

■嵐デビュー決定。1999年、あの朝


懐かしの8cm CD。それぞれの名前が記されていますね。


初代の会員証。こちらにも5人の名前が。

 

誰がデビューしてもおかしくなかった黄金期。それでも、そのとき選ばれたのは「嵐」の5人で、そこに”もしも”はないんだと思う。(ただしクエスチョンズになっていた可能性はある)

あの瞬間が運命の分かれ目になって、今は別の道を生きている人もいるし、のちにデビューを掴み取った人もいる。

それでも、当時あの場所にいた全員の記憶に「黄金期」のステージがあって、彼らを追いかけてきた私たちも同じ「青春」を共有している。学校でもなく部活でもなく、ステージこそ青春だった。

そんな日々を思い出せばふと、泣けてきます。

 

そんなジャニオタですが、何か?

 

WRITER

  • シンアキコ
  •        

  • 80年代生まれのフリーライター 。まるっと事務所推し。ジャニーズという文化を愛しています。著書に『なぜ90年代J-POPはあんなにアツかったのか?』(出版:株式会社NOTE-X)

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