恋愛に依存しがちな女が(男も)決定的に「持っていないもの」とは

OTONA SALONE

2020/3/26 20:30



『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』、

元祖リバタリアン、アイン・ランド研究の第一人者である藤森かよこ先生の連載。「孤独な人間がそれでも生きていくこと」についてガチトークを繰り広げます。

恋愛して哲学者になると恋愛しなくなる


 

「恋愛について(その1)」において、私は「恋愛というものは、発情期の性欲に刺激されて見る幻影か、孤独な人生からの現実逃避の装置でしかない」と書いた。

「恋愛について(その2)」においては、ある特定の他人を本当に好きになると人間は物事を深く考えるようになり、哲学者にならざるをえなくなるが、恋愛に意味があるとしたら、この一点だけだと書いた。

私は言いたい。恋愛するならば、その質を極めよう。しゃぶり尽くすほど考えて哲学者になろう。そうすれば、結局は、「恋愛というものは、発情期の性欲に刺激されて見る幻影か、孤独な人生からの現実逃避の装置でしかない」という認識にいたる。ついでに、幻想であり、現実逃避でしかないと知りつつ恋愛してしまう人間存在というものは愚かだけれども、寂しくて哀しいものだなあと思うようになる。

さらに、「発情期の性欲に刺激されて見る幻影か、孤独な人生からの現実逃避の装置」ではない恋愛というものもあるのかもしれないが、それは今の段階の人類には無理だろう、いや永遠に無理なのではないかと思い至る。

ならば、もっと幻想度が低くて現実逃避ではないことをしようか、人生は長いようで短いから、時間とエネルギーを浪費はしていられないと思う。

つまり恋愛を契機として哲学者になってしまった人間は恋愛しなくなる。

恋愛遍歴の多い人間というのは国語能力が足りない


 

こう言うと、ぶっ飛ばされるかもしれないが、あえて言う。恋多き女性や女性遍歴が多い男性というのは、ロマンを求める人々なのではなく、単に国語能力が足りないのだ。哲学者になれないのだ。

どこかの俳優ではないが、浮気とか不倫を繰り返す人間は、結婚する前にきちんと恋愛をしていない。絶望に至るまで自分の恋愛を突き詰めていない。それができる国語能力がない。

国語能力の高さと学歴や社会的地位には、あまり連関がない。職種にも関係ない。それは国会中継を見ていれば、よくわかる。

私が大学教員だった頃に、私より10歳くらい年上の男性の同僚が「人間は一生恋をしなきゃだめよ~~」と言っていたが、私は内心で「お前はフランス思想が専門らしいが、単に頭が悪いだけだ」と思ったものだった。

考えるということは頭や胸やお腹の中でぶつぶつ言うことだ。自分と対話することだ。単語や文章が、脳や胸やお腹の中で丁々発止と往来していることだ。これが国語能力だ。

国語能力がない人間は、自分の感じることや思うことを言語化できない。言語化できないことは意識できない。意識できないからといって、存在していないわけではない。意識化言語化できない何かは、あなたの内臓のあちこちに潜んで、あなたの内臓を不快に刺激する。

空腹でもないのにイライラするのならば、なぜイライラするのか、考えられる理由を片端からスマホのメモに入力するなり、ノートにでも書き込んでみるといい。これが自己分析の始まりだ。

国語能力のない人間は、ひとつひとつの恋愛体験を自分なりに分析し、考えを深めて、なにがしかの認識を得ることができない。だから、同じパターンの恋愛をして、同じ失敗を重ねるだけだ。

人生は恋愛で潰しているほど長くはない


 

それでも、500人くらいと恋をして、数をこなすと、さすがに頭の悪い人も、なにがしかの認識を得る。恋愛も500回ほど反復すると、「恋愛はひょっとしたら発情期の性欲に刺激されて見る幻影か、孤独な人生からの現実逃避の装置なのかもねえ?」と気がつく。

人生は長いようで短い。幻影に翻弄され、現実逃避を500回もしているような暇はない。恋愛に苦しんでいるあなたは、とことん、その恋愛をしゃぶり尽くしてください。考えてください。そのうちに、あなたの恋愛依存症は治ります。


馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください 藤森かよこ著 KKベストセラーズ

当記事はOTONA SALONEの提供記事です。

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