八神純子の『素顔の私』は時代の節目に生まれた日本ポップスの傑作

OKMusic

2020/3/25 18:00

3月25日、“CITY POP BEST SELECTION”シリーズの第一弾作品のひとつとして、八神純子がMOON RECORDS時代に残した楽曲をまとめたアルバム『MOON YEARS』がリリースされた。八神純子と言えば、「みずいろの雨」で鮮烈にシーンに現われた時のことを覚えている方も多いのではないかと思う。当コラムでは、やはりその「みずいろの雨」を含む2枚目のアルバム『素顔の私』をピックアップしたい。個人的には40年以上振りに聴いたのだが、今も色褪せない作品…というよりも、新たな発見が多々ある極めて優秀なアルバムなのであった。

■邦楽シーンのパラダイムシフト

シングル「みずいろの雨」のヒットによって八神純子が音楽シーンのメインストリームに踊り出たのは1978年のこと。歌番組『ザ・ベストテン』への初登場が同年10月で、その「みずいろの雨」は11月から翌1979年1月まで9週間連続でランクインした。筆者は当時まだ中学生で、その音楽性などを理解できるはずもなかったが、子供ながらに彼女の登場はシーンの潮目を変えるようなインパクトのある出来事であった──そんな印象が残っている。それというのも、その同じ年に、藤山一郎や美空ひばり、村田英雄の流行歌を手掛けた昭和を代表する作曲家、古賀政男が亡くなっている。氏の逝去が1978年7月で、史上二人目となる国民栄誉賞を贈られたのがその翌月。昭和の大作曲家と入れ替わるかのように八神純子という新星が登場したかたちであった。まぁ、そうは言っても、それが中学生に実感できたわけもなく、潮目を感じたきっかけは古賀政男の追悼番組を観たことであった。

親と一緒にその番組を観るともなしに観ていたら、そこに八神純子のインタビューコメントが差し込まれていた。その番組が放送されたのは、古賀政男の死後、「みずいろの雨」のヒット後であったわけだから、1978年の年末か、もしかすると年が明けてからのオンエアだったかもしれない。放映時期もその内容もほとんど記憶にないのだが、その中で八神純子のインタビューショットがあったことはよく覚えている。彼女が冷静かつ客観的に話している(ように思える)姿がとにかく印象的だった。何よりも印象に残っていることは、彼女以外に出演していた人たちは概ね“古賀先生”と敬称を付けていたのに対して、八神純子は古賀政男のことを“彼”と呼んでいたことである。時代が違うのは当然として、その出自や系統が昭和の流行歌とまったく異なることは、ブラウン管に映る彼女の佇まいからも伝わってきた。というか、自分はそんなふうに感じた。

また、今回調べてみて“あぁ、そうだったなぁ”としみじみ思ったところなのだが、1978年というと、その年の日本レコード大賞はピンクレディー「UFO」で、沢田研二は「LOVE (抱きしめたい)」で最優秀歌唱賞を獲得した年である(ちなみにジュリーはその前年に「勝手にしやがれ」で日本レコード大賞を受賞)。郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の所謂“新御三家”も依然人気があったし、もちろん山口百恵も現役のトップアイドルであった。その一方で、俗に言うニューミュージックが台頭したのもこの頃である。“ロック御三家”と呼ばれた(らしい)世良公則、Char、原田真二もチャートに名を連ねていたし、松山千春の「季節の中で」が大ヒットし、アリスが「チャンピオン」をリリースしたのも同年だ。何よりも大きいのは、サザンオールスターズのデビューである。シングル「勝手にシンドバッド」が与えた衝撃はここで説明する必要もなかろう(分からない人はググればすぐ分かる)。

そう考えると、1978年は日本の音楽シーンで──少なくとも流行歌の分野でパラダイムシフトが起こった年と言って差し支えないがない気はする。その中において、八神純子の存在は決して小さいものではなかった。パラダイムシフトの原動力のひとつとして作用したと言っても過言ではなかろう。この時期、松任谷由実も中島みゆきもすでに音楽シーンにおけるポジションを確立していたが、ともにテレビでの露出は極端に少なかった。『ザ・ベストテン』への出演にしても、両名ともランクインはしたものの、ユーミンの生出演は一度だけ、中島の出演は終ぞ実現することがなかった。

そうした状況下で、毎週のように人気歌番組に出続けた八神純子は、女性シンガーソングライターの存在とその勃興をお茶の間に印象付けることに寄与したのではないかと思う。件の古賀政男追悼番組には桑田佳祐や原田真二も出ていたような気がすることに今気付いたのだが、八神純子の印象だけが強く残っていたのは、その時の佇まいもさることながら、あの時、彼女が女性シンガーソングライターの頂点にいたことを無意識に理解していたからのではないかと、これも今思った。作曲家はもとより、シンガーソングライターにおいてもまだまだ男性中心であった音楽シーンに、新しい時代が到来したような気分にさせられたのだろう。これが個人的な見解であることは承知の上。でも、案外共感してくれる人は多いような気はする。

■赤裸々で前向きなリリック

それでは、まずはその女性シンガーソングライターの観点から、2ndアルバム『素顔の私』を見ていこう。本作には「みずいろの雨」も収録されているが、そのシングル発売が1978年9月で『素顔の私』は1979年4月リリースと、凡そ8カ月のインターバルを開けての発表であったことからすると、満を持してのアルバムだったとは言える。自分は購入した覚えはないけれど、クラスの友達が持っていて、それを聴かせてもらった記憶が薄っすらある。薄っすら…というのは当時ピンと来なかったからであろう。だが、約40年振りに聴いてみて、“そりゃ中学生男子にはピンと来ないわけだ”というのが正直なところだ。当時♪ああ みずいろの雨~なんて無邪気に口ずさんでいた歌詞は以下の通りである。

《ああ みずいろの雨/私の肩を抱いて つつんで/降り続くの…/ああ くずれてしまえ/あとかたもなく 流されてゆく/愛のかたち》《やさしい人ね あなたって人は/見ないふりしていたの 私のあやまち/ひとときの気まぐれ 通りすぎるまで/忘れてよ 忘れてよ 愛したことなど》《とがめる言葉なら 素直に聞けたわ/ほほえんでいただけのなつかしい日々/傷ついたその分 淋しい目をしてた/もどれない もどれない あの日の二人には》(M4「みずいろの雨」)。

《私のあやまち》、《ひとときの気まぐれ》となかなかパンチの効いた言葉が並んでいる。何かあった…とかいうのではなく、してはいけないことをして関係が破綻した…という内容である。子供には分かり得ないことであるし、正直言えば、今もこの歌の背景を100パーセント理解できているかと言えば、甚だ自信はない。同様にM6「アダムとイブ」の歌詞もなかなか意味深である。

《まるで アダムとイブ/赤い リンゴの誘惑/ああ 不思議な味 二人を/ああ とりこにしていた》《人の心の 奥の奥に/赤い リンゴは 住みついてる/神の怒りに ふれた扉/今も ひきずる 都会の夜》(M6「アダムとイブ」)。

はっきりとしたシチュエーションを描いているわけではないけれども、これもまた元気はつらつとした歌詞でないことは確かだろう。人によっては、週刊文春のスクープ、俗に言う“文春砲”のテーマ曲のような内容と受け取るのではなかろうか。

まぁ、上記2曲は三浦徳子の作詞であるから(作曲は八神純子)、それが即ち彼女が表現したいものではなかったのかもしれないが、アルバムタイトルである『素顔の私』から想像するに、赤裸々と思われる表現も本作に必要という判断があったのだろう。八神純子作詞のナンバーにしても、赤裸々というか、情熱的であったり、エモーショナルであったりする内容が目立つ。

《あなたのための バースデイソング/歌いつづるの/命の炎が もえるまま》(M1「バースデイ・ソング」)。

《明日に向かって行け/哀しみを 乗り越えて/朝焼けに ほほを染めて/あなた 輝いてほしい》《いつもの あの笑顔/明日は よみがえるよう/一度だけの 人生/あなたらしく 力強く》(M2「明日に向かって行け」)。

《幸せに なるために/たそがれの 街を 心あふれ出す/想い出 抱いて 離れて行くのよ/いつだって 一緒に居て/うかれた 感じで 話してくれた/あなたの 胸から 今は ひとり はばたく》(M5「夜間飛行」)。

M5「夜間飛行」辺りは、所謂ロストラブソングではあるものの、《はばたく》という言葉からは前向きな印象があって、失恋歌特有のウエットさは軽減されているようでもある。これらに女性解放的な指向とその意識があったかどうかは分からないけれども、そのニュアンスは感じるところだ。少なくとも男性に寄り掛かるようなスタンスは、これらの歌詞からはうかがえない。

■今も新鮮な唯一無二なサウンド

『素顔の私』収録曲に前向きさであったり、エモーショナルさを感じるのは、そのメロディーセンスと、彼女の歌声によるところも大きいと思われる。その歌声はシルキーと言えばシルキーなのだが、滑らかで艶やかというだけでなく、芯の強さが感じられる。高音域に突き抜けていくメロディー展開が多い中、それが消え入るような感じではなく、耳に残り続けていく印象があるのは、間違いなく特徴的な歌声にあるだろう。コンポーザーとしてそうしたメロディー作りを意識していたとも思われる。スローなナンバーでは大分ねっとりとした歌唱を聴かせ、この辺は好き嫌いが分かれるところだと思うけれども、どちらにしてもそれは彼女のシンガーとしても実力、スペックを否定するものではない。

もうひとつ、本作において特筆しておかなければならないのは、そのサウンドの豊潤さであろう。ラテンフレーバーがありながら、1970年代のディスコティックなストリングス、ブラス、シンセと多彩な音がゴージャスに配されつつ、それでいてしっかりとまとまっているM4「みずいろの雨」。そして、これまたラテンをベースにしつつ、ブラスやギターにはソウルテイストがあって、その上、昭和の日本らしさもちゃんと加味されているM2「明日に向かって行け」が顕著だろう。オリジナリティーが発揮されていると言おうか、唯一無二な印象が強い。

M1「バースデイ・ソング」はアーバンでAOR的なカラーなので、そのイメージで聴き続けていくと、いい意味で裏切られる。中学生の時にはそんなことをまったく意識しなかったので、今回しばらくぶりに聴いて、これはいい発見だった。全体的にベースラインはグルービーだし、間奏やアウトロで聴こえてくるギターはメロディアスなものが多い。レコーディングメンバーを調べたら、元愛奴の青山 徹(Gu)、元はっぴいえんどの鈴木 茂(Gu)、元ティン・パン・アレーの林 立夫(Dr)、そして高橋幸宏(Dr)、後藤次利(Ba)といった伝説的なミュージシャンがそこに名を連ねていた(これらの人たち以外にも多数のミュージシャンが参加)。後藤次利はアレンジャーとしてM5「夜間飛行」とM7「そっと後から」を手掛けている。ほとんどのアレンジを手掛けているのは大村雅朗で、その確かな仕事っぷりも逃せない。日本のレコード=“和モノ”を廻すDJにとっては早くから名盤認定されていたとも聞く。時代を経ても新鮮さを失わないということは、そこに注入されたものが変に偏っていなかった何よりの証拠だろう。八神純子の残した作品はその後も音楽シーンに影響を与え続けている。不世出の女性シンガーソングライターと呼ぶことに何ら躊躇はなかろう。

TEXT:帆苅智之

アルバム『素顔の私』

1979年発表作品

\n<収録曲>
1. バースデイ・ソング
2. 明日に向かって行け
3. 揺れる気持ち
4. みずいろの雨
5. 夜間飛行
6. アダムとイブ
7. そっと後から
8. ハロー・アンド・グッドバイ
9. 渚
10. DAWN

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