倉本聰氏 ドラマはスポーツの熱狂にかなわない、でも上回る作品目指して書き続ける

 【倉本聰直言 やすらげないッ! 下】倉本氏は「我々の作るドラマの感動は、なぜスポーツが与える感動に勝てないのか」との命題を早くから掲げている。

 昨年、列島を沸かせたラグビーW杯について「ルールも分かってない人の方が多いのに盛り上がりが凄かったでしょう。この熱狂にはどうしてもかなわない」。ただ、その熱狂を上回る作品を作るという情熱は「まだあります」と、改めてモチベーションをかき立てられている。

 主宰劇団「富良野GROUP」最終公演となった2017年の「走る」では、約40人の演者に、サッカー1試合分に当たる十数キロほどを実際に走らせた。死んだ姉を思う男性や戦後を振り返るサラリーマン…それぞれの走りを人生と重ね、意義を問うた。そこまでしても「スポーツの熱狂は、僕らの世界にはない」と断言する。

 それを最も強く感じたのは1985年、プロ野球・阪神タイガースが日本一になった時だ。「スタジアムにみんなが集合して、同じ喜びを分かち合うのは凄いと感じた」

 4万5000人の観衆やメディアを通したファンが一体となる感覚。「長嶋茂雄の引退や、ボクシングの海老原博幸がチャンピオンになった時もそうだった」と振り返り「それは少なくとも舞台ではないことだし、テレビドラマでもない。それが悔しい」と語る。

 今夏に予定されていた2度目の東京五輪は1年程度の延期が決まったが、前回の東京五輪があった64年は高度経済成長真っただ中だった。

 自身も脚本家として独り立ちして間もなく、脇目も振らず駆け抜けた。「だから当時はあんまり見てない。コマネチ、アベベ、円谷幸吉くらい」と話すが、開催されれば「今回はテレビで見るでしょうね」。年を重ねた今、スポーツの生むエネルギーや感動に向き合うつもりだ。

 「最近、一日眠いんですよ。国会中継を見てたって分かる。世の中が本質を見失ってきているんですよ」。枝葉ばかりを議論し、環境問題や文化の成熟などが置き去りになり「人間の“地べた”が揺らいでいる」と話す。

 日本人が、日本という国がいつまで必死に美しく走れるのか。その大切さを伝えられる作品を「これからもずっと、書き続けていく」。それが倉本氏の人生を懸けた命題だ。=終わり=

 ◆倉本 聰(くらもと・そう)本名・山谷馨。1934年(昭9)12月31日生まれ、東京都出身の85歳。東大文学部卒。59年、ニッポン放送入社。仕事の傍ら、脚本家として活動を開始。77年に北海道・富良野に移住。ドラマの代表作はフジテレビ「北の国から」シリーズなど。13年に本拠地移転10年目を迎えたプロ野球・日本ハムを応援する「Fighters Family」に加入するなど北海道を本拠にするスポーツチームとの交友もある。00年紫綬褒章、10年旭日小綬章。

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