西島義則の鬼気迫る大減量。平成12年SG第5回オーシャンカップ

日刊SPA!

2020/2/26 15:49

―[江戸川乞食のヤラれ日記S]―

<江戸川乞食のヤラれ日記S> =ここでは昔の話をしよう・4=

これはまだボートレースが競艇と言われていた時代の話。

個人的な感想なので異論は多々あると思うが競艇の頃から現在まで、東京に関しては「地元プール」という意識が希薄な気がしてならない。

漠然と、東京東部と千葉が江戸川、東京西部と神奈川が平和島、23区外と山梨が多摩川なんだろうかというイメージになってしまう。

とはいえ、江戸川に関しては古くは「江戸川の星・望月重信」「江戸川の若大将・桑原淳一」「江戸川鉄兵こと石渡鉄兵」を筆頭に江戸川を「地元」と称する選手は多々いるが、それ以外にも江戸川(波乗り)巧者で多く斡旋される選手であれば東京以外の選手にも異名をつけることが多く、多摩川では時折「是政の○○」みたいな異名をつけられて紹介される選手もいないことはないが、平和島ではどうだろう?

江戸川は例外としても、あまり前面に押し立ててなにか紹介をするという形は少ない感じで、むしろ「地元」を前面に押し出し選手に背負わせるような物語は西へ行くほど強いような気がする。

◆SG開催と地元選手の絡みは話題に事欠かない

サッカーや野球の試合などではホームでの試合は有利で、アウェイでの試合は不利とよく言われるが、同様に競艇でも地元選手に有利だといわれていた。

それゆえに、客の方も攻略法として「迷ったときは地元選手から買え」という指摘が現在でも有力である。

斡旋回数が多く走る機会に多々恵まれている分、遠征勢よりも水面に慣れている。

というのがいちばんの理屈である。

それと……オケラの泣きごとかもしれないが、確かに地元優遇の番組というのもあったという気もしていた。

客の声は無視するとして、その地元で開催されるSG競走。

そしてその晴れ舞台に出場できるというのはやはり優勝候補として注目されるのは地元の有力選手であることが多く、過去の地元選手に絡んだ因縁話などが地元開催に華を添える。

平成12年(’00年)のSG開催場のうち、第5回オーシャンカップ競走が宮島競艇場で開催されることが決定された。

宮島競艇場でのSG開催は平成10年(’98年)の第8回グランドチャンピオン決定戦競走以来2年ぶりの開催だったが、この時の優勝者は佐賀の上瀧和則、地元の広島勢は北川幸典が優出2着という結果だった。

この時の開催は、一部のマニアックなオールドファンの間で、ある種の因縁を感じていた優勝戦でもあったという。

宮島競艇場がはじめてビッグレース(当時からのSGの通称)が開催されたのは昭和36年(’61年)の第7回モーターボート記念競走(現・ボートレースメモリアル)で、その時の優出メンバーの中に、北川幸典の父親である北川一成(当時22歳)が地元の期待を背負い優出していたのだ。

しかし結果は5着に敗れ、優勝は当時24歳だった佐賀の松尾泰宏であった。

それ以降宮島ではビッグレースが開催されておらず、37年目のこの日、宮島競艇場でのSG優勝戦の舞台で再び展開される佐賀vs地元広島という対戦。しかも地元広島からは前回敗れた父親の息子。果たして父の無念を晴らせるか? そんな図式で優勝戦の話で盛り上がっていたという。

結果は上記の通り、2枠上瀧がインを奪い、そのまま外からのまくりを完封して逃げ切り、対する北川も6枠6コースから果敢に1M最内を差して猛追するも舳先がかからず2着惜敗に終わった。

そして宮島競艇場第5回オーシャンカップ競走、再び地元をめぐるエピソードが紡がれた。

◆地元を意識した西島義則の大減量

平成12年(’00年)6月。下関競艇場での第10回グランドチャンピオン決定戦競走優勝戦。初日からピット離れに関係なく枠番より内側を狙う強烈な前ヅケを見せ、結果全レース1、2コースからのスタートを見せ準優まで5勝3着1本で優勝戦まで勝ち上がり、優勝戦もフライング艇のまくりを寄せつけず堂々の押し切り勝ちを見せ、自身3度目のSG制覇をなしとげた。

この時点で注目は次の宮島でのビッグレース、SG第5回オーシャンカップ競走。

注目はこの時期ならではの2000番台のベテランvs植木道彦を筆頭に台頭する3000番台の世代交代、そしてそれ以上に地元の西島義則のSG連覇と地元競艇場でのSG制覇か? という図式が期待されていた。

そんな中、誰もが発表された西島の体重を見て驚いたに違いない。

出走表に書かれた前検日に計測された西島の体重は51kg。身長166cmと競艇選手としてはやや大柄の部類に入る西島は普段は55kg前後、不調のときは58kgまで体重が上がった状態でレースをしているがこの開催ではそこから4kg落としての出走となっていた。

「まるで昔の野中じゃねぇか……。西島のヤツ、本気で勝ちにきているな」

「そういえば前の下関は52kgで走ってたっけ。重量調整かかるまでは落としてなかったけどよ、40歳近いのに無茶しすぎじゃないか?」

(当時の最低体重は男子50kg)

1kg体重差があると艇の伸びが1艇身違うと言われている世界、この頃よりさらに前の1980年代までは選手の間で減量合戦が当たり前に行われ、野中和夫は159cmの体格を42kgまで落として優勝したものの、表彰式では優勝カップを抱えられないほどフラフラになっていた。

その後、度を越した減量合戦に歯止めをかけるために男女ともに平成元年(’89年)から最低体重制が設けられ、現在では平成27年(’15年)の11月より現行の『男性51kg、女性47kg』に落ち着いている。

不安と期待が入り交じる初日ドリーム戦、西島はまさかの転覆失格。選手責任外の判定ではあったが、この時点では早くも戦線離脱かと思われていた。

しかし、2日目からの西島は初日の転覆などなかったかのような快進撃を続け、4日目までの5走を13112の成績で予選突破。準優戦も1枠にいた植木道彦をどかし、インを奪取したあげく.07のスタートで植木ほか5艇を完封する逃げを見せ、優勝戦へ駒を進めた。

◆優勝戦は住之江賞金王を彷彿させる三つ巴の死闘に

平成9年(’97年)7月20日

SG第5回オーシャンカップ競走 12R 優勝戦

1 小野 信樹 32歳 岡山 A1

2 西島 義則 38歳 広島 A1

3 島川 光男 35歳 広島 A1

4 古場 輝義 40歳 富山 A1

5 植木 通彦 32歳 福岡 A1

6 今垣光太郎 30歳 石川 A1

(年齢・級別は当時・県名は所属支部もしくは出身地)

戦前の予想は西島=植木とSG初優出で1号艇の小野信樹の2着目を狙った2=5 2-1が人気筋。

抜群のピット離れを見せた2号艇西島だったが、1号艇小野信樹の必死のイン主張によって枠番通りの2コース。4号艇古場輝義と6号艇今垣光太郎が回りこみ、3号艇島川光男をどかしてそれぞれ34コースに、5号艇植木道彦はコース争いに一切参加せず。すんなり6コース回りで進入は1246/35。

1周1M、コース競りの余波で小野と西島がスリット立ち遅れ、3コースからまくる古場の上からトップスタートを切った同じ地元広島の島川がまくり、古場を引き波に沈める。

古場のまくりと、満を持して小野と西島の競る狭い空間に植木が神業的なまくり差しを決め、小野は古場の作った引き波と、速度差のありすぎる差しでできた引き波にもまれ勝負権喪失。1周バックでは植木と島川の一騎打ち、西島は3艇身ほど遅れて3着を航走していた。

いままでのパターンだと外併走の島川が植木にさばかれて脱落、植木の前回SG予選落ちのリベンジと誰もが思っていたが、展開のアヤか島川の策略か、それとも植木の失策か、これらが絡まり、運が西島に向かい始めていた。

植木から避けるように外へ流れていった島川に植木が併走し、2M内側を大きくあけるような先行2艇の航跡を西島は見逃していなかった。

その間に3艇身近く差を詰め、引き波のないまっさらな2Mを先マイ、西島の2Mターンの初動に気づいた植木が差し込む交差旋回。伸びのいい島川が再び最内を差し三つ巴のまま2周ホームを駆け抜け、優勝は3艇に絞られる。ここでも植木は島川をマーク、2周1Mまで島川の舳先(へさき)を必死に抑え込む。

競り合いで艇の速度を落とした植木、島川がターンマーク手前でセリをやめると、植木の旋回が大きく膨らむ。その内側をまるで1周1M植木が見せたまくり差しを再現するかのように、島川と植木の間を差し込む西島。

植木の上を行く高速旋回を見せ、そのままトップに躍り出ると植木に競る隙を与えずにそのまま1着でゴール。SG通算V4、前回のグランドチャンピオン決定戦に続くSG2連覇が確定した。

◆優勝戦結果

1着 2 西島 義則② .33

2着 5 植木 通彦⑥ .24

3着 6 今垣光太郎④ .27

4着 4 古場 輝義③ .25

5着 3 島川 光男⑤ .21

6着 1 小野 信樹① .31

連単 2-5 550円 1番人気 決まり手:抜き

「本場は盛り上がってるみてぇだな」

「あ、あれ、西島のよく言ってる柿木村のおじいちゃんかな?」

「地元選手が優勝すると、ここまでしてくれるってぇことだ」

「しかし、地元の客にしてみりゃ美談だろうけど、なんだろ? このタイミングで出てこられると、なんかぜんぶ西島を優勝させるための仕込みに感じるぞ?」

「ばっきゃろ、お前舟券とれたんだろ? 素直に一緒に感涙しておけ」

開催後、一部の心ないオケラから西島の優勝(SG連覇)は明らかに地元優遇番組の結果だという声も聞こえてきていた。

確かに、昔から地元選手を優遇する開催や番組は多々あったと思う。具体的な開催やレース名を出すのは控えるが、舟券をとっても釈然としない気持ちになったレースはいくつもあった。

しかし、今節の西島は自分のベストであろう体重から大きく落とし、優勝戦には植木と同じ体重50kgまで体重を落とし勝負に出たのだ。

それだけで十分だろう。

そんな西島義則が今年(令和2年)の2月12日から開催されたG1・中国地区選手権競走の出場者インタビューで意味深な言葉を口にした。

「中国地区選手権で宮島を走るのがこれが最後だと思うので……」

これは近々引退を示唆しているのか、それとも単に持ち回り制の地区戦で次に宮島が回ってくる4年後に出場条件を満たせていないかもしれない、という意味なのか。

競艇がどんどん遠ざかっていく。そんな言葉を感じずにはいられない。

※平成22(’10)年度以前の話題につき当時の名称にて表記しております

※本文中敬称略

―[江戸川乞食のヤラれ日記S]―

【江戸川乞食】

シナリオライター、演出家。親子二代のボートレース江戸川好きが高じて、一時期ボートレース関係のライターなどもしていた。現在絶賛開店休業中のボートレースサイトの扱いを思案中

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