アメリカの日常を骨太に表現するナンシー・グリフィスのグラミー賞受賞作『遠い声』

OKMusic

2019/11/22 18:00

ナンシー・グリフィスは日本ではあまり知られていないが、一度でも彼女の歌を聴いたら確実に惹かれてしまう、そんな魅力を持ったシンガーソングライターだ。これまでに20枚ほどのアルバムをリリースしており(ベスト盤は除く)、グラミー賞にも数回にわたってノミネートされ受賞もしている実力派のアーティストである。ヒット曲を連発するようなタイプではないが、滋味あふれる良い歌を提供し続ける稀有な存在であり、アメリカではミュージシャンズミュージシャンとして、多くのアーティストからリスペクトされている。今回取り上げる『遠い声(原題:Other Voices, Other Rooms)』は10枚目となるアルバムで、シンガーソングライターとしては珍しく全曲カバー作品となっている。なお、本作は94年のグラミー賞で最優秀コンテンポラリーフォークアルバム賞を受賞している。

■ヒューマンソングス

いきなりの余談で申し訳ないが、ナンシー・グリフィスの音楽を語る上ではずせないので、しばらくお付き合いいただきたい。70年初頭、渋谷にブリティッシュトラッドやシンガーソングライター系の音楽を聴かせる『ブラックホーク』という喫茶店があった。その店で店長を務めていた松平維秋氏(1999年に逝去、享年53歳)は、売れ線の商業的なフォークやロックには見向きもせず、売れる・売れないにかかわらず、アーティストの内面や人間性が表われたアルバム(いわば純文学作品)を“ヒューマンソングス”と呼び、その手の音楽のみを店で紹介していた。その縛りでふるいにかけると、紹介する音楽は自ずと手作り感のあるフォーク系やトラッド系が中心となる。その時代はキャロル・キング、ジェームステイラー、CSN&Yなど、ちょうどシンガーソングライターのブームであったわけだが、『ブラックホーク』で紹介されるのは(厳密には松平氏が作っていた小冊子『スモールタウントーク』に掲載されていた)、売れているアルバムは少なく、入手しにくいマイナー系のものが多かった。後に松平氏の選ぶ作品群を中古盤屋で血眼になって探すマニアックなファンが増え、売れないレコードが幻の名盤という名で高値となっていた。

70年の中頃からワーナー・パイオニアが『ロック名盤復活シリーズ』と銘打って、復刻させたいアルバムがあればファンのアンケートをもとにリリースするようになり、幻の名盤ブームは落ち着きをみせるのだが、松平氏の信念は“ヒューマンソングス”を愛好するリスナーに引き継がれることになる。“売れる・売れないにかかわらず良い音楽は存在する”という概念を、音楽ファンに再認識させた彼の功績は大きいと言えるだろう。

■ケイト・ウルフの音楽

『ブラックホーク』(松平維秋)の精神の集大成とも言える『ブラックホーク名盤99選』は永遠の名盤として米英のロックやフォークから99枚のアルバムが掲載されたリストで、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』、エリック・アンダーソンの『ブルー・リヴァー』、ガイ・クラークの『オールド No.1』、ボビー・チャールズの『ボビー・チャールズ』、フェアポート・コンべンションの『フル・ハウス』、ボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』など、まさしく名盤と言える定番アルバムが多く選ばれてはいるのだが、その中には僕の耳慣れない作品もいくつかあった。

ケイト・ウルフの『バック・ローズ』(’76)はそんな中の一枚だ。慌てて購入したこの自主制作アルバムを聴いた時、そのシンプルで飾りのないアマチュアっぽいウルフの歌声に思わず引き込まれたのだが、同時に松平氏の言う“ヒューマンソングス”の概念がアメリカでも理解されるのかどうかが、とても気になった。ここでの理解とは、資本主義の権化であるアメリカのポピュラー音楽界において(売れることが良い)、売れない良い歌をリスナーが認知しうるのかという意味である。

70年代半ば、ケイト・ウルフは30歳を過ぎてから自主制作盤でデビューし、売れないまま86年に白血病で亡くなっている。しかし、多くの人気アーティストが彼女の歌をカバーし、87年にはアメリカのある財団がマイナーシンガーを支えるためのケイト・ウルフ賞を制定、96年には多くのアーティストと観客を迎えて『ケイト・ウルフ・メモリアルコンサート』が開催され、今でも毎年行われているのだから、アメリカでも“ヒューマンソングス”の概念は日本と同じように存在するようだ。

昨年、彼女の未発表ライヴ録音(79~82年)『Live in Medocino』がリリースされた。このアルバム、これまでにリリースされたライブ盤より出来が良いので興味のある人はぜひ聴いてみてほしい。

■ナンシー・グリフィスのデビュー

1953年生まれのナンシー・グリフィスはテキサス州オースティンで育つ。小さい時から音楽に親しみ、14歳頃から近所のコーヒーハウスでライヴ活動を行なっている。フォークリバイバルの洗礼を受けているので、基本的にはフォークやカントリーの影響を受けているが、文学(特にアメリカ南部の文学)や演劇も好きで、そのことが彼女の音楽を特徴あるものにしている。大学卒業後は幼稚園で教師をしていたが、78年にウルフと同じく自主制作盤『There's a Light Beyond These Woods』でデビューし、当初からツアーやフェスに参加するなど積極的な活動を行なっている。曲を書き溜めて、4年後に2ndアルバム『Poet in My Window』(’82)をリリースすると、フォーク系専門のインディーズレーベルとして知られるフィロレコードから声がかかり契約することになる。

■メジャーでの成功と葛藤

フィロレコードはもっと大きいルーツ系レーベルのラウンダーレコードから全米配給されていたから、3rdアルバム『Once in a Very Blue Moon』(’84)をリリースすると、その独特のヴォーカルと内省的かつ文学的な楽曲が評価され、グリフィスの名前は徐々に広まっていく。このアルバムは彼女の資質からすると少しポップな仕上がりではあったが、歌はもちろんオリジナル曲の出来映えも素晴らしい。続く『The Last of the True Believers』(’86)は前作よりも一段とスケールアップした内容となり、初期の代表作と言える作品となった。人気カントリーシンガーのキャシー・マテアが「Love at the Five and Dime」をカバーし、全米カントリーチャートで3位を獲得するなど、このアルバムはグラミー賞にノミネートされる結果となる。このアルバムは業界でも認められ、メジャレーベルのMCAレコードと契約が決まり、彼女はオースティンからカントリーのメッカであるナッシュビルへと移住している。

翌年にリリースされたメジャーデビュー作の『Lone Star State of Mind』(’87)では、3曲のシングルヒットを生む。収録曲の「From a Distance」(ジュリー・ゴールド作)はベット・ミドラーがカバーして全米1位を獲得するなど話題を呼び、大きなセールスとなった(全米カントリーチャート23位)。グリフィス本人は自分の音楽を“フォーカビリー”(フォーク+ヒルビリー:今で言う“アメリカーナ”)と名付けていたのだが、明らかにこのアルバムはナッシュビル産のカントリーであった(もちろん彼女の個性は生かされていたのだが)。

周囲からも彼女はカントリーシンガーとして受け止められていたはずで、皮肉なことに売れるもの以外はダメというナッシュビル的(=商業主義的)な方法論に巻き込まれていく。以降、MCAから『Little Love Affairs』(’88)、『One Fair Summer Evening(Live)』(’88)、『Storms』(’89)、『Late Night Grande Hotel』(’91)など秀作を次々にリリースし、他のアーティストにヒット曲も提供するなど、彼女はナッシュビルでスターとなっていくわけだが、フィロレコード時代のサウンドを愛するファンからすると、ナッシュビル産カントリーは彼女の本来の音楽的資質とは明らかに合わないと感じていた。

おそらく、MCAに所属していたどこかの時点で、彼女自身も自分の立ち位置に違和感を覚えたのだろう。ある日、友人のカントリーロックシンガー、エミルー・ハリスとグリフィスは、亡くなったケイト・ウルフの曲を歌い継いでいくべきだと考え、トリビュートアルバムを作ろうと話し合うのだが、いつの間にか話は大きくなり、ケイト・ウルフだけでなく、何名かの歌い継ぐべきシンガーの曲を取り上げる企画になった。そうすると、いつの間にか大きく変わってしまった自分の音楽の軌道修正をすべきだと考えるようになる。結局、MCAとの再契約はせず、シンガーソングライター系の音楽のことをよく知っているエレクトラレーベルに移籍する。

■テキサス独特のヒューマンソングス

グリフィスは数多いテキサスのシンガーソングライターを改めて聴き直し、自分の音楽を見つめ直す作業に入る。テキサスはニューオリンズと似て、独自の音楽が花開いている。フォークでもカントリーでもロックでも、他の地域にはない独特の個性にあふれているのだ。特に、オースティンという街には60年代から数多くのライヴハウスやミュージックホールが点在し、学生と音楽の街として知られている。現在、世界中が注目するカンファレンス&フェスの『SXSW』(サウス・バイ・サウス・ウエスト)もオースティンの風土や環境があったからこそ、この地で始まったと言えるだろう。

テキサスのヒューマンソングスとしては、タウンズ・ヴァン・ザント、ガイ・クラーク、ジェリー・ジェフ・ウォーカー、レイ・ワイリー・ハバード、マイケル・マーフィーなど、カントリー系フォークシンガー(所謂アメリカーナ)が多く、日々の生活に密着した泥臭い歌を作る部分で、グリフィスには共感することが多かったと思われる。

■本作『遠い声』について

収録曲は全部で17曲。アルバムのトップに置かれているのは、この企画の骨子となったケイト・ウルフを代表する名曲「ロッキーを越えて(原題:Across the Great Divide)」で、グリフィスのウルフへの想いが明白に感じられる。コーラスには盟友エミルー・ハリスが参加している。テキサスの吟遊詩人タウンズ・ヴァン・ザントの「トゥカムズ谷」は辛苦の中で亡くなっていく女性のことを歌った悲しい内容で、「ロッキーを越えて」と同様、グリフィスが長い間歌い継いでいる曲だ。ディラン作の「スペイン革のブーツ」は遠く離れた恋人に宛てた手紙の内容を歌った曲で、ディラン自身がハーモニカで参加している。

イギリスのシンガーソングライター、ラルフ・マクテルの格別美しい曲「フロム・クレア・トゥ・ヒア」、カナダのシンガーソングライター、ゴードン・ライトフットの「テン・ディグリーズ・アンド・ゲティング・コールダー」は明るい曲だが、みすぼらしいストリートミュージシャンのヒッチハイカーを好意で車に乗せた女性が、彼の行く末を案じるという内容が歌われる。

他にもフォーク界の大御所トム・パクストンの名曲中の名曲「ホエア・アイム・バウンド」や、ライ・クーダーの名演でも知られるウディ・ガスリーの「ドレミ」、カーターファミリーの大ヒット「アー・ユー・タイアード・オブ・ミー・ダーリング」、そしてジェリー・ジェフ・ウォーカーの名唱で知られるマイク・バートン作「ナイト・ライダーズ・レイメント」など、有名なナンバーも収められている。

本作でグリフィスは確実に自分の居場所を見つけ、新世代のオルタナティブ・フォークシンガーとして、また、職人的なシンガーソングライターとしての立ち位置を確立した。本作『遠い声』は90年代にリリースされた数多くのポピュラー音楽のアルバム中でも際立つ名作だと思う。なお、本作の続編『Other Voices, Too (A Trip Back to Bountiful)』が98年にリリースされている。

最後に、日本を代表する詩人・随筆家である長田弘氏(2015年に逝去、75歳)が名著『アメリカの心の歌』(岩波新書、1996。その後、Expanded editionがみすず書房から刊行、2012)の中で本作について触れているので、少しだけ紹介しておく。

~(前略)同時代の歌の光景をつくったシンガーソングライターたちの歌をふりかえって、それらをいわば「私のアメリカ」の歌としてうたいなおして集大成したアルバム。歌によって歌を再定義するこころみといっていい(後略)~

TEXT:河崎直人

アルバム『Other Voices, Other Rooms』

1993年発表作品

\n<収録曲>
1. ロッキーを越えて/ACROSS THE GREAT DIVINE
2. フェニックスの女/WOMAN OF THE PHOENIX
3. トゥカムス谷/TECUMSEH VALLEY
4. スリー・フライツ・アップ/THREE FLIGHTS UP
5. スペイン革のブーツ/BOOTS OF SPANISH LEATHER
6. サウンド・オブ・ロンリネス/SPEED OF THE SOUND OF LONELINESS
7. フロム・クレア・トゥ・ヒア/FROM CLARE TO HERE
8. ホエア・アイム・バウンド/CAN'T HELP BUT WONDER WHERE I'M BOUND
9. ドレミ/DO RE MI
10. ジス・オールド・タウン/THIS OLD TOWN
11. カミン・ダウン・イン・ザ・レイン/COMIN' DOWN IN THE RAIN
12. テン・ディグリーズ・アンド・ゲッティング・コールダー/TEN DEGREES AND GETTING COLDER
13. モーニング・ソング・フォー・サリー/MORNING SONG FOR SALLY
14. ナイト・ライダーズ・ラメント/NIGHT RIDER'S LAMENT
15. アー・ユー・タイアード・オブ・ミー/ARE YOU TIRED OF ME DARLING
16. ターン・アラウンド/TURN AROUND
17. ウィモエ(ライオンは寝ている)/WIMOWEH

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当記事はOKMusicの提供記事です。

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