皇帝たちが愛でた輝かしき至宝 『ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史』鑑賞レポート

SPICE

2019/11/20 13:30


10月19日から来年1月26日まで東京・上野の国立西洋美術館で『ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史』が開催中だ。日本とオーストリアの友好150周年を記念して行われる本展では、絵画、工芸品、武具など、神聖ローマ帝国の皇帝として数百年にわたって絶大な権力を握ったハプスブルク家の至宝および関連作品計100点が展示されている。ここでは開幕前日の報道内覧会の様子から本展の見どころを紹介。ウィーンの風薫る数々の展示物を通じてヨーロッパの高貴な世界に浸ってみよう。

ヨーロッパで絶大な権威を築いたハプスブルク家


本展の主題であるハプスブルク家は、13世紀に現在のスイスで名を挙げたドイツ系貴族で、15世紀から19世紀初頭まで神聖ローマ帝国の皇位を代々世襲。ナポレオン戦争の敗北で1806年に神聖ローマ帝国が解体された後は、オーストリア帝国(後に、オーストリア=ハンガリー二重帝国)の皇帝となり、長きに渡って繁栄を極めた。これらハプスブルク家が治めた領土を「ハプスブルク帝国」とも呼ぶ。
国立西洋美術館
国立西洋美術館

繁栄の絶頂期とされるのは、スペインを領土に治め、一族がオーストリア派とスペイン派に分かれた16世紀後半から17世紀末までの時代。婚姻政策を巧みに敷いて、最盛期には現在のスペインやドイツの一部を領土とし、他の大陸までその名を轟かせた。ハプスブルク家の歴史とキリスト教の歴史を知れば、中世ヨーロッパの歴史の趨勢が把握できるといわれるほど世界史において極めて重要な存在だ。
展示風景
展示風景

世襲により皇位が繋がれたハプスブルク帝国の歴史は、一族の血脈の歴史でもある。そして数百年にわたる栄華のストーリーの中には、ドラマチックな人生を生きた“主人公”たちが登場。5章立てで構成された本展もそれらの人物を軸に展開される。

“中世最後の騎士”と一族きっての“収集家”


まず、プロローグとなる最初の小部屋には「マクシミリアン1世」の肖像画が飾られている。1508年に神聖ローマ帝国の皇位に就いたマクシミリアン1世はハプスブルク帝国の繁栄の基礎を築いた人物。争いはせず、子息を輿入れさせて領土を得るという婚姻政策の礎を築き、「戦は他国にさせておけ。幸いなるオーストリアよ、汝は結婚せよ」を家訓とする一族の流れを作った。
ベルンハルト・シュトリーゲルとその工房、あるいは工房作 《ローマ王としてのマクシミリアン1世》 ウィーン美術史美術館
ベルンハルト・シュトリーゲルとその工房、あるいは工房作 《ローマ王としてのマクシミリアン1世》 ウィーン美術史美術館

“中世最後の騎士”と呼ばれるマクシミリアン1世は武芸にも長け、右手に笏、左手に剣を持つ肖像からは、この皇帝が帝国の権力の象徴であり、強さの象徴でもあったことが伺える。階段を降りた先に続く最初の大展示室には彼が所有した甲冑のひとつが展示されている。
手前/ロレンツ・ヘルムシュミット《神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の甲冑》 アウクスブルク、1492年頃 ウイーン美術史美術館
手前/ロレンツ・ヘルムシュミット《神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の甲冑》 アウクスブルク、1492年頃 ウイーン美術史美術館

また、この部屋には第2章の主人公「ルドルフ2世」の肖像が飾られている。1576年に皇位を継承したルドルフ2世は、1583年に宮廷をウィーンからプラハ(現在のチェコ)に移し、その際に祖父のフェルディナント1世が集めた芸術コレクションもこの地に移した。彼は歴代の皇帝の中でも芸術収集に熱を上げ、多くの宮廷画家を召し抱えるだけでなく収集家としてパトロン的な役割を果たし、「クンストカマー(芸術の部屋)」という部屋を設けて芸術を奨励した。
ともにラファエロ・サンツィオ(カルトン)、ヤーコブ・フーベルス(父)の工房(織成)《《アナニアの死》、連作〈聖ペテロと聖パウロの生涯〉より》(左)、《《アテネにおける聖パウロの説教》、連作〈聖ペテロと聖パウロの生涯〉より》(右) ともにブリュッセル、1600年頃 ウィーン美術史美術館
ともにラファエロ・サンツィオ(カルトン)、ヤーコブ・フーベルス(父)の工房(織成)《《アナニアの死》、連作〈聖ペテロと聖パウロの生涯〉より》(左)、《《アテネにおける聖パウロの説教》、連作〈聖ペテロと聖パウロの生涯〉より》(右) ともにブリュッセル、1600年頃 ウィーン美術史美術館

また、同じ部屋でひときわ目を引くのは、同じ部屋に掲げられた2点のタペストリーだ。一点4メートル四方を超えるこれらは、ルネサンスの巨匠・ラファエロの下絵に基づいて織られたもの。高価なタペストリーは中世の王侯貴族にとって富を表すもので調度品としても重宝された。
アントニオ・スジーニ、ジャンボローニャの作品に基づく《ケンタウロスのエウリュティオンを打ち倒すヘラクレス》 フィレンツェ、1600年頃 ウィーン美術史美術館
アントニオ・スジーニ、ジャンボローニャの作品に基づく《ケンタウロスのエウリュティオンを打ち倒すヘラクレス》 フィレンツェ、1600年頃 ウィーン美術史美術館

さらに先の展示には、ルドルフ2世の時代に描かれ、または集められた神話画や工芸品などの展示が並ぶ。その中では国立西洋美術館が所蔵するアルブレヒト・デューラーの銅版画コレクションも見られる。

肖像画が果たした役割。帝国コレクションの黄金時代


続く第3章は、ハプスブルク家がオーストリア系とスペイン系の二系統が存在した17世紀ごろの作品を展示。鮮烈なカーマインの壁に数々の肖像画が掛けられた一室は、まるで宮殿内にいるかのよう。
展示風景
展示風景

ここには1621年にスペイン国王に就いた「フェリペ4世」と、その娘で幼い頃からウィーンの王室に嫁ぐことが運命付けられた「マルガリータ・テレサ」の肖像がある。フェリペ4世は芸術の奨励者として若き日のディエゴ・ベラスケスを宮廷画家として招き入れ、寵愛した人物である。
左/ディエゴ・ベラスケス《スペイン国王フェリペ4世の肖像》 1631/32年 右/ディエゴ・ベラスケス《スペイン王妃イザベルの肖像》 1631/32年 ともにウィーン美術史美術館
左/ディエゴ・ベラスケス《スペイン国王フェリペ4世の肖像》 1631/32年 右/ディエゴ・ベラスケス《スペイン王妃イザベルの肖像》 1631/32年 ともにウィーン美術史美術館

先のマクシミリアン1世の時代からハプスブルク家には数多くの肖像画が残されているが、中世において肖像画は皇帝が自身を人々の記憶に留めるための重要なツールだった。そして、この時代になると、婚姻関係にもあったオーストリア系とスペイン系の両家にとって許嫁の成長を伝えるための役割も果たした。
ディエゴ・ベラスケス《宿屋のふたりの男と少女》 1618年/19年頃 ブダペスト国立西洋美術館
ディエゴ・ベラスケス《宿屋のふたりの男と少女》 1618年/19年頃 ブダペスト国立西洋美術館

8歳の王女を描いた《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》は、ベラスケス最晩年の傑作。金糸が多用された眩いドレスに身を包み、まっすぐ正面を見つめる王女の姿は、幼くして王家育ちの気品を湛えている。
ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》 1659年 ウィーン美術史美術館
ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》 1659年 ウィーン美術史美術館

これに続く展示にも、ヤン・ブリューゲル(父)の作品に基づく《東方三博士の礼拝》など見るべき名作が多い。特に17世紀のオーストリア大公「レオポルト・ヴィルヘルム」のコレクションは量的にも質的にも帝国コレクションにとって重要なものだ。
展示風景
展示風景

1646年からネーデルラント(現在のベネルクス三国)の総督に就いた彼は、約10年の在任中に千点を超える絵画を収集した。ティントレット、ヴェロネーゼなどのヴェネツィア絵画、ルーベンスらバロック芸術は、現在のウィーン美術史美術館において貴重な作品群になっている。

“女帝”マリア・テレジア。そして帝国の終焉へ


そして、第4章の主人公となるのが、帝国史に燦然とその名を刻む“女帝”「マリア・テレジア」とその末娘「マリー・アントワネット」である。マリア・テレジアは18世紀前半の皇帝・カール6世の娘。彼女は実父から皇位を継いだ夫のフランツ1世の影で政治力を発揮する一方、5男11女もの子を産み育てた“肝っ玉母さん”でもあり、長きに渡って帝国の実権を握った。それに加えて、彼女は帝国コレクションの再整備と市民への公開にも力を注いだ。
マルティン・ファン・メイテンス(子)《皇妃マリア・テレジアの肖像》 1745-50年頃 ウィーン美術史美術館
マルティン・ファン・メイテンス(子)《皇妃マリア・テレジアの肖像》 1745-50年頃 ウィーン美術史美術館

展示室を入って右手に掛けられた“女帝”の肖像は、ハンガリー王、ボヘミア王、オーストリア大公の王冠を背後に配し、当時のプロイセン王から「ハプスブルクの大いなる男」と恐れられたほどの権力をまざまざと主張している。
マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》 1778年 ウィーン美術史美術館
マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》 1778年 ウィーン美術史美術館

マリー・アントワネットは14歳の時に政略結婚でフランス王室のルイ16世に嫁ぎ、フランス革命の後に斬首刑となった“悲劇の王妃”。異常なまでの浪費癖や数々のスキャンダルなどドラマに満ちた生涯を送った彼女だが、お抱え画家に描かせたという肖像は、その持って生まれた美しさに光が当てられ、透き通るように白い肌と気品あふれる表情は、思わず息を飲む優美さだ。
ヨハン・カール・アウアーバッハ《ホーフブルクで1766年4月2日に開催されたオーストリア大公女マリア・クリスティーナとザクセンのアルベルトの婚約記念晩餐会》 1773年 ウィーン美術史美術館
ヨハン・カール・アウアーバッハ《ホーフブルクで1766年4月2日に開催されたオーストリア大公女マリア・クリスティーナとザクセンのアルベルトの婚約記念晩餐会》 1773年 ウィーン美術史美術館

また、当時の栄華を伝えるものとして、オーストリア大公女マリア・クリスティーナとザクセンの公子アルベルトの婚約記念晩餐会の様子を描いた絵画も必見。中央の皇族を無数の貴族たちが囲む風景は一人一人の表情までしっかり描かれ、祝宴を愉しむ人々の声まで聞こえてきそうな印象だ。
ヴィクトール・シュタウファー《オーストリア・ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像》 1916年頃 ウィーン美術史美術館
ヴィクトール・シュタウファー《オーストリア・ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像》 1916年頃 ウィーン美術史美術館

そして、最後の展示室は、実質的な最後の皇帝「フランツ・ヨーゼフ1世」と、その妃の「エリザベト」を中心にハプスブルク帝国の終焉を伝える。約70年に渡って帝国を治めたフランツ・ヨーゼフ1世は“世界一美しい大通り”と呼ばれるウィーンの環状線・リング通りを築き上げた功績などで知られる。
ヨーゼフ・ホラチェク《薄い青のドレスの皇后エリザベト》 1858年 ウィーン美術史美術館
ヨーゼフ・ホラチェク《薄い青のドレスの皇后エリザベト》 1858年 ウィーン美術史美術館

一方で“シシィ”ことエリザベトは、皇妃という立場でありながら宮廷を飛び出して旅に出た自由の人。絶世の美女として知られ、暗殺者の手にかかって悲劇の死を遂げるなど魅力的かつ衝撃的な人生はミュージカルや映画の題材にもなっている。このドラマチックな二人のストーリーを経て本展の幕は閉じる。

なお、本展の音声ガイドは女優の花總まりと声優の梅原裕一郎が声を担当。二人の素敵な声とオーケストラ音楽のBGMで来場者の気分を盛り上げてくれる。

数百年に及ぶハプスブルク家の歴史はここでは伝えきれないほど長く煌びやかなストーリーに満ちている。ぜひ会場を訪れて、その高貴な世界を堪能してみてほしい。『ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史』は、東京・上野の国立西洋美術館で来年1月26日まで開催中。

当記事はSPICEの提供記事です。

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