25歳は大人か子供か?小沢健二が詩的に描く25歳の輝き

UtaTen

2019/10/31 12:00

小沢健二がソロになる前、小山圭吾と組んでいたユニット「フリッパーズ・ギター」。その活動と解散から、小沢健二が多幸感溢れる詩人オザケンとしてブレイクした経緯を紐解きます。

小沢×小山田によるフリッパーズ・ギターとは


フリッパーズ・ギターは、1980年代にイギリスで生まれた、ネオ・アコースティックと呼ばれるギター・ポップの影響を受けた、かなりマニアックなユニットでした。

ネオアコバンドへのリスペクトと、UKポップへのオマージュに溢れた音楽性は、日本の音楽界に新風をもたらします。

また、ベレー帽にボーダーシャツを合わせたフレンチシックなファッション、60’'sの映画を思わせる洒落たMV、ディテールにこだわったアルバムジャケットのアートワークなどで、彼らはファッションやデザイン界にも影響を及ぼします。

特に、ファッション誌「オリーブ」を愛読していたサブカルチャーに敏感な「オリーブ少女」を中心に熱烈な支持を獲得。

しかし、3rdアルバム『ヘッド博士の世界塔』を出してすぐの1991年、突然の解散を発表。人気絶頂期での解散は、妥協なく洋楽路線をひた走った、いかにも彼ららしいエピローグでした。


フリッパーズ・ギターはなぜ解散したか?


フリッパーズ・ギターは、小沢健二と小山田圭吾の学生時代に誕生したユニットです。センスが通じ合う似た者同士だった二人は、ふと気がつけば同じ中古レコード屋や古着ショップにいる、という関係だったはずです。

大好きな中古レコード屋巡りの延長のように、二人はフリッパーズ・ギターとしての日々を楽しみました。

しかし、『ヘッド博士の世界塔』で、洋楽志向の極みへと到達した彼らは、その後、ふと気がつけば遠く離れた別々の場所にいたのです。小山田圭吾は、さらに洗練された人々が集う世界へ、小沢健二は、行き交う人々の声が聴こえる街の中へ。

学校を卒業後、親友が全く別の進路の進むように、二人はいつの間にか、別々の道を歩き始めていました。

25歳のオザケンが紡いだ過去・現在・未来



フリッパーズ・ギター解散後、小沢健二は、1994年のアルバム、『LIFE』のメガヒットでブレイクし、オザケンという略称が世間に定着します。

「渋谷系の王子様」の異名を取ったオザケンの代表曲と言えば、このアルバムからの『ラブリー』や『痛快ウキウキ通り』でしょう。

最初にシングルカットされた『愛し愛されて生きるのさ』は、「王子様」に変身する直前の、悩める小沢健二の姿が投影された、レアな楽曲だと言えます。

わかりやすい日本語で、ありふれた日常生活のワンシーンを描き出し、そのワンシーンに人々の心理を投影する、これが小沢健二の歌詞の特徴です。



夕方に突然降り出したにわか雨は、さっきまで乾いていた灰色のコンクリートを濃いグレーへと変えて行きます。同時にそれは、“あっ、雨だ”と思った人々の心に、ふっとさした影を表現しています。

にわか雨が意外と早く通り過ぎると、曇った心にもサッと陽が射し、恋人に会いたくなってお茶に誘います。スターバックスの日本上陸は1996年なので、この当時「お茶」をするなら喫茶店。これが、小沢健二も含めた若者たちの日常でした。

恋人の家へと向かう途中、過去の思い出に耽りながら「大人になりずいぶん経つ」と歌う小沢健二は当時25歳。

25歳は、果たして大人でしょうか、それともまだまだ子供でしょうか。

20歳の誕生日を迎える10代最後の日、“明日から大人だな”と、誰しもが少し寂しい思いをした事でしょう。

もう10代の時のようなワガママは通用しない。成人式から5年が過ぎた25歳ともなれば、会社で後輩も出来て分別のある行動を取らなければならない。

25歳とは、“自分は大人だ”と、必要以上に思い込んでしまう年齢、と言えます。

これは、歌詞ではない「セリフ」のパートです。「語り」と言ってもいいでしょう。

日本でもラップがメジャーになり始めた90年代にあって、曲の中に、なんと「語り」をブチ込んだ小沢健二。さすがは、東大文学科卒、と唸らずにはいられませんでした。

当時はこの部分が小っ恥ずかしくて、なかなかこの曲をカラオケで歌う勇気の出なかった方も多いかと思います。しかし、齢を重ねた今なら、きっと熱く語れるはず。

なぜなら、この部分が、“自分の未来はどうなるのだろうか”と、模索していた小沢健二と、当時の若者たちの心情を、最もよく表現しているからです。


サザンオールスターズの名曲『いとしのエリー』は、1980年代の人気ドラマ『ふぞろいの林檎たち』の主題歌でした。

「ふぞろいの心」とは、すっかり大人になったと思い込んでいるのに、ふとした時に、『いとしのエリー』の世界に浸っていた少年の心が顔を出す、大人になりきれない25歳のジレンマを現しています。

これは、この歌詞の中で最も美しい部分です。

恋人の家へと向かいながら、過去と現在のジレンマが頭に巡る中、ふと少し先の未来について考えます。これから会う、彼女の事です。

眩しい夕陽に思わず伏せた、長いまつげの影をに落とし、息を切らせ、顔をバラ色に蒸気させながらアパートの階段を駆け下りてくる彼女は、なんて愛しいのだろう。

恋人の存在は、悩める青年に今現在の幸福を実感させてくれます。


恋人だけでなく、家族や友達、身近な人たちからの愛に支えられている現在の幸せ。この幸せな日々の積み重ねが未来へと繋がっている。

それは、ごく当たり前のように見えて、実は奇跡に近い幸運である事が「いつだって可笑しいほど」という歌詞に現れています。

本当は寂しいから会いたいくせに、もう大人だから素直になれない25歳は、常に言い訳を用意しています。

大人でも子供でもない中途半端な25歳。しかしそれは、人生の中でたった一度しか訪れない輝きでもありました。

アルバム『LIFE』が大ヒットを記録した理由は、オザケンという人物と、彼が生み出す音楽の中に、人々が幸せを感じたからです。

フリッパーズ後、模索しながら小沢健二が辿りついたこの曲は、その後開花するオザケンの多幸感のつぼみのような曲でした。

この曲は、「未来の世界へ連れてく」という歌詞の通り、小沢健二をオザケンとしての輝かしい未来へと連れて行ったのです。

TEXT 岡倉綾子

当記事はUtaTenの提供記事です。

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