藤原竜也と鈴木亮平が小学生を演じても違和感がない理由

wezzy

2019/10/25 13:45


 劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンタテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、ときに舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

先般、教員同士によるいじめ問題が発覚し世間を騒がせました。いじめの内容の陰湿さもさることながら、被害教員へ反抗するよう児童をあおり、本来庇護するべき子どもたちを巻き込んで傷つけるような行為があったことに、大きな憤りの声があがっています。

学校のような閉じられた環境ではいじめが起きやすいといわれていますが、そうした状況でもたらされる争いの構図や感情は、年齢は関係なく普遍的なものだと改めて実感し、驚くばかりです。

現在全国公演中の舞台「渦が森団地の眠れない子たち」は、学校と同じく閉鎖的な環境である団地に住む、子どもたちの物語。藤原竜也と鈴木亮平が半ズボン姿の小学生役でダブル主演し、現代社会の抱える問題を描いています。
ふたりの周囲に残る震災の影
 小学6年生の田口圭一郎(鈴木亮平)は大震災で被災し、母の景子(奥貫薫)と4年生で陸上の有望選手である妹・月子とともに、丘の上の森のそばにある巨大な渦が森団地に引っ越してきます。引っ越してきたその日、どこを向いても同じような建物に自分たちの部屋が分からなくなってしまった兄妹が出会ったのは、自転車に拡声器やトランシーバーを積んだ団地のガキ大将、佐山鉄志(藤原竜也)。

渦が森団地には景子のふたごの姉の美佐枝が住んでいましたがふたりは折り合いが悪く、圭一郎たちは美佐枝と会ったことがありませんでしたが、鉄志は美佐枝の一人息子。圭一郎が従兄弟だと知った鉄志は、彼を親友として自分が「キング」を自称して率いる団地の仲間内で特別扱いしますが、見たことのない世界を夢想して絵を描くことが好きで内向的な圭一郎は、乱暴でうるさい鉄志のことを好きになれず、親友のフリを続けていました。

いつもの仲間で野球をしていたとき、ティーンモデルのダイアナの気を引きたい鉄志の指示で圭一郎はダイアナの顔にボールを当ててしまいますが、圭一郎をかばうために鉄志は別の子どもに責任をなすりつけます。ダイアナに謝れなかったこと、親同士を巻き込む事態になったことにおびえた圭一郎が、鉄志以外のメンバーを呼んで相談しようとしたことがばれ、圭一郎は「親友」から一転、いじめられる対象になってしまいます。

今作は、劇団「モダンスイマーズ」の作・演出を手掛ける蓬莱竜太が書き下ろし、演出も担当しています。日常生活のリアルさや多人数の物語の緻密な描写に定評がある蓬莱が、藤原と鈴木に当て書きしたというキャラクターが小学生というのは意外ですが、それこそが映像ではできない、舞台ならではのマジック。鉄志の屁理屈ばかりこねるウザさや支離滅裂さ、その場しのぎのウソを大人について感情でごまかす圭一郎のずるさは、わざとらしく子どもぶった演技をしなくても、実年齢はアラフォーのふたりが実際にこどもにみえるリアルさです。
アラフォー俳優が子どもを演じる意味
 一見すると仲間に囲まれて慕われているような鉄志は、おもちゃやお菓子、現金をばらまいて周囲を言いなりにしています。その原資である、美佐枝がふんだんにあたえているおこづかいは、地震の際に夫が亡くなったと詐称して得た多額の保険金。団地内でも詐欺だとうわさになっていますが、美佐枝は金を鉄志に与えるだけでその素行に構わず。しかし唯一、嫌いな景子の息子である圭一郎にだけは負けるなと鉄志に言い聞かせます。景子への感情には、双子なのに自分は親から放置され、景子は愛されて育ったという鬱屈が隠れていました。

圭一郎は、大震災のときに忍び込んだ遺体安置所となっていた体育館でたくさんの人間の亡き骸を見た経験から、自分の存在感に希薄さを覚えています。虫や小鳥、そして一匹の小さな猫を殺してその死体を絵に描くことで、なんとか自分を保てていました。

圭一郎と月子は、両親が子連れで再婚したステップファミリー。小さいときからともに暮らしているため特別な感情はありませんが、血のつながりがなくても兄妹として親密なふたりに対し、血縁者に恵まれず唯一の従兄弟である圭一郎に執着している鉄志は言い合いに。そのために月子が交通事故にあい、陸上選手の夢を断たれてしまいます。

憎まれ口をたたきつつも、おもちゃも自転車も自分の足もあげると号泣してわびる鉄志を、美佐枝はどなりつけますが、圭一郎が泣きながら叫んだ言葉は「そっちがバカっていうから鉄志もバカって言うようになるんだ!」。ひとりは寂しい、お金もいらないという本音を鉄志が明かせていたのは、圭一郎にだけ。鉄志の子どもらしいウザさ全開のなかでも、親に求めても得られない血縁という安心感を圭一郎に見出した切なさを行間ににじませる藤原の存在感はさすがですが、自分を見てくれない母親に対し「ごめんなさい」「かあちゃん、一緒に帰ろう」というかすれた声は、大人を演じるときと変わらない哀愁の漂うものでした。

社会のルールや対面のために取り繕うことを覚えた大人より、子どもは未熟がゆえに、本質的です。大人が作り出し与えた歪みが大きく反映してしまうのもそれゆえ。とはいえ、暴力や嫉妬、執着などの感情もまた、人間の本質。アラフォー俳優が演じる子ども役は、年齢ではなく「人間」であることの意味の体現でもあるのかもしれません。

当記事はwezzyの提供記事です。

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