ザッカーバーグ「Facebookがあればイラク戦争を防げた」

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Screenshot: Facebook

じゃあ今の戦争は防げないの?

Facebook(フェイスブック)のCEO、マーク・ザッカーバーグは、今世界でもっとも影響力を持っている人の一人と考えていいと思います。ですが、その力をどれだけ公益のために使ったかと訊かれると、数々のスキャンダルが頭をかすめ、思わず唸ってしまいます。

そんな彼が先日、ジョージタウン大学にて講演を行い、Facebookの過去とこれから、そして表現の自由の旗手としての立場を主張しました。以下は米GizmodoのBryan Menegusによる感想です。


退屈そうなジョージタウン大学の学生たち(一人は携帯を切り損ねてつまみ出された)の前に立ったザッカーバーグは、待ち望まれたスピーチの大半を、彼の情報収集企業の歴史の修正に使いました。

もっと早くFacebookがあればイラク戦争は起きなかった?


中国市場への参入の失敗も、彼によれば表現の自由へのこだわりなのだそう。さらに、新たな監視委員会の設立を、世界中のユーザーの利益を考えた、責任ある企業ガバナンスの一例として挙げました。しかしもっと驚きなのは、彼があと数年早くFacebookを立ち上げていたら、アメリカ最大の失敗の一つと言える、中東で永遠の悪夢のように続く戦争を止めることができたかもしれない、と示唆したことです。

私が大学にいたとき、アメリカはすでにイラクへ戦争に向かい、キャンパスには国への不信感が漂っていました。政府がたくさんの大切な声に耳を傾けずに行動していると感じた生徒は多く、兵士やその家族、国民の精神に及ぼした影響は計り知れませんでしたが、私たちにはどうする力も無かったのです。その時、もっと多くの人に体験をシェアする声があれば、違った結果になったかもしれないと感じたことを覚えています。すべての人に声を与えれば、力のない人にも力を与えられ、時間と共に社会も改善していくという私の信念は、そういった経験に基づいています。

当時、私は自分のコミュニティのためにFacebookの初期のバージョンを開発しており、小規模ながらその信念が実現するところを見てきました。自分たちがどういう人間で、何が大切かを表現する力を得た生徒たちは、より交流イベントやビジネスを起こすようになりましたし、キャンパスの慣例に挑戦することすらありました。そこで私が学んだのは、世界の注目は大規模な出来事や機関に向きがちですが、私たちの生活を変えるような進展は、普通の人々がより大きな声をあげることで起こるんだ、ということです。

それ以来、私は二つのことを行うサービスの開発に注力してきました。一つは人々に声を与えること、もう一つは人々を繋げることです。

実際には、ザッカーバーグは中国の13億人規模と言われる市場を獲得するために、考えつくことをほぼすべてやりました。中国の国家主席、習近平に、彼の当時生まれる前の娘の名付け親にならないかとオファーしたことまであるのです(習は断ったそうですが)。それにFacebookの監視委員会は、連邦取引委員会との50億ドルの制裁金を含めた和解の条件として生まれたものです。つまり、Cambridge Analyticaのスキャンダルが原因で出来たものであって、自制のために自分たちから進んで作ったものではないのです。

民主主義に影響を与えられていない


そもそも、ハーバード大学の女子生徒の見た目を点数づけするために生まれたFacebookが世界で平和に貢献しているという考え自体が馬鹿馬鹿しいのです。表現の自由が不十分だから、あるいは様々な視点の欠如によってイラク戦争が起きたとするザッカーバーグの主張が問題なのは、企業の美化を通り越して完全なフィクションを描こうとしているからです。

現在、Facebookは規制される危険性が今までになく高くなっています。なので、どれだけ馬鹿馬鹿しかろうと、自分たちの存在を表現の自由と結びつけるようなストーリーが必要なのです。その手段としてザッカーバーグは数々の社会的進歩のマイルストーンを挙げるのですが、それが逆に自分たちの戦略の首をしめています。公民権運動、シェンク対アメリカ合衆国事件、ニューヨーク・タイムズ社対サリバン事件、あるいは「世界中で行われた民主主義の戦い」のほぼすべてに共通して、Facebookやその他のソーシャルメディアはほぼ関わっていないからです。

社会的な緊張が高まると、私たちが脊髄反射的に行うのは表現の自由の制限です。自由な表現からくる進歩は欲しいけど、緊張を避けたいからです。

平和的な抗議をしたことで不当に投獄されたマーティン・ルーサー・キング・Jrがバーミンガム刑務所から送った有名な手紙を見てもそれがわかります。ベトナム戦争中に行われた、大学キャンパスでのデモの弾圧もそうです。第一次世界大戦中の自分たちの立場について米国内の意見が真っ二つに割れ、当時の最高裁が社会党首のユージン・デブスに対し、反戦を訴える演説は犯罪であると判断したこともそうです。

私たちは今、新たな岐路に立っています。まずは、決して楽な道ではありませんが、より大きな進歩への長い道のりには、自分たちに挑んでくる考え方に正面から向き合わなければいけないということを理解した上で、これからも表現の自由のために戦い続ける。あるいは、コストがかかりすぎるから諦めるか、です。

この主張のミソはもちろん、「意見がもっと多様であったなら、上記のような過ちは起きなかったかもしれない」ということです。技術家主義者にありがちな、「悪質な意見に対抗できるのは良い意見」という考え方ですね。「殺人を防ぐには善人に銃を持たせるべき」というのと同じ感じです。

自由の代弁者どころかその逆では?


しかしもっと不安なのは、Facebookが自分たちを表現の自由の権威と位置付けていることです。少なくとも、上記の3つの例で言えば、政府より公平だと考えているのでしょう。ザッカーバーグは、社会的な進歩とやりたい放題の資本主義の間に誤ったイコールを引いた上で、「落ち着けよ。君らは公民権を支持するの?それとも反Facebookなの?」と尋ねているようです。ベトナム戦争への反発や公民権運動は、強制的に徴兵されることや有色人種に対して同等の権利を認めないことへの反動であり、それを単純に表現の自由に対する規制の問題とする彼の解釈は、それそのものがより根深い問題です。



マーティン・ルーサー・キング・Jrの娘、Bernice King氏のツイート。「ザッカーバーグが私の父に触れた、『自由な表現』のスピーチを聞いた。政治家による誤情報戦略によって、父が直面した問題をFacebookにわかりやすく説明してあげたい。これらのキャンペーンは彼の暗殺の下地となったんです」

しかも、それだけ(Facebook上での)表現の自由を謳っていながら、講演後の質疑応答ではジャーナリストによる質問を禁じ、ジョージタウン大学の生徒の質問は事前に審査していました。そういうことをするから、彼自身の発言に対する真剣度が疑われてしまうのです。

ただ、ひとつだけ彼が正しい点があります。現在社会的緊張は高まっており、その一部の原因はソーシャルメディアですが、多くは米国やそれ以外の国で広まる貧富の差によって生まれています。現在米国人の感じている無力感や怒りの多くの原因は、データや労働力から可能な限りの価値を絞りとることを考えついた資産家たちです。ブッシュ政権が何千人もの国民を死ぬために祖国から引き離し、10年以上に渡るほぼ無差別な虐殺を生み出したのを見て、ザッカーバーグは同じように感じたと主張します。今日、ザッカーバーグと彼のような人々が私たちを監視し、私たちの行動を考えつく限りの方法でマネタイズすることに対して、こちらができることはほとんどありません。

Facebookができる前から、人々には声がありました。もちろん、Facebookが無くなってもあるでしょう。そして表現する力は、Facebookが表現をどこまで支配しているかで増えたり減ったりするものではないし、むしろ逆だと言えるかもしれません。ザッカーバーグのぎこちないパフォーマンスや、ロボットのような仕草を笑うのは簡単です。強大な力を持つわりに驚くほど誤った決断をする彼は、風刺されて然るべきです。

しかし、そんな見た目の裏には間違いなく、世界で最も危険な男が隠れているのです。回を増すごとに声高く心理操作を行おうとする彼の行動は、歴史上での彼の悪役としての立場をより強固なものにしています。

当記事はギズモード・ジャパンの提供記事です。

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