あいちトリエンナーレ2019展示「注意書き」に込められた意味。この作品が凄い

エキレビ!

2019/10/19 11:00

愛知県で3年に1度開催される芸術の祭典「あいちトリエンナーレ2019」が今週月曜(10月14日)に閉幕した。

愛知県在住の私は、4月にフリーパス(会期中何度でも会場に入場できるチケット)が発売されるとすぐ購入したものの、いざ8月に開幕してからは、地元だからいつでも行けるから慌てることはないとたかをくくっていた。そんなわけで展示をちゃんと観たのは9月以降、3つの会場のうち四間道・円頓寺エリア、名古屋市美術館、豊田市美術館・豊田市駅周辺エリアにいたっては会期終了まぎわになってようやく観てまわった。それでも今回のトリエンナーレには結果的に、主会場である愛知芸術文化センター(愛知県美術館を含む)を中心に合計で10回は足を運んでいる。あいちトリエンナーレが2010年に第1回が開催されて以来、ほぼ欠かさず観てきた私だが、これほど足繁く通い、満遍なく会場を観て回ったのは初めてだ。映像プログラムや演劇などのパフォーミングアーツの公演にも魅力的な企画が多かった。

唯一観られなかったのが、今回のトリエンナーレの最大の焦点・争点となった「表現の不自由展・その後」である。激しい抗議や脅迫にさらされたため開幕3日目にして中止となったのち、閉幕まぎわの10月8日再開された同展だが、私は、見学者を絞り込むための抽選に外れ続け、ついに観ることがかなわなかった。「表現の不自由展・その後」の中止に対しては、トリエンナーレに参加するアーティストの一部が抗議の意を込めて、展示を中断したり内容を変更する行動に出た。それでも、同展の再開にともないそれら展示も再び完全な形で公開されたおかげで、最後の最後で今回のトリエンナーレの全貌を把握することができた。

ここでは、私が観た範囲のなかで、今回のトリエンナーレで気になった作品を、いくつかの切り口から紹介してみたい。


トリエンナーレ全体に
今回のあいちトリエンナーレ全体について、乱暴ながら一言で表すなら、現代アートにありがちな難解さがあまりなく、かなり「わかりやすい」ものだったと思う。その理由は何より、ドキュメンタリー志向の強い作品が並んだからだろう。展示品に映像を使った作品、それもドキュメンタリー志向の強いものが目立ったからだ。今回のトリエンナーレでとくに評判を呼んだ、豊田市の喜楽亭という元旅館の建物を利用した、シンガポールのホー・ツーニェンによるインスタレーション「旅館アポリア」も、名古屋の円頓寺商店街の雑居ビルで公開された日本の男女2人組・キュンチョメの一連の作品も、また愛知県美術館の広い一室に展示された田中功起の「抽象・家族」にしても、いずれもドキュメンタリー色の濃いものであった。

戦争末期に神風特攻隊「草薙部隊」の隊員たちが出撃直前に泊まったという喜楽亭でのホー・ツーニェンの展示は、そうした旅館の記憶を踏まえつつ、映画監督の小津安二郎や漫画家の横山隆一の戦時プロパガンダへの関与、京都学派と呼ばれた一群の学者たちと海軍の関係などをモチーフにした映像を、各部屋で上映するというもの。古い日本家屋のたたずまいを損ねないように上映装置を設け、建物の記憶をよみがえらせつつ、戦争への人々のかかわりを考えさせられる意欲作であった。連日、入場制限がかかり、私が会期も終わりがけに行ったときには見学するまで20分ほど待っただろうか。最終日には長蛇の列ができたらしい。

キュンチョメの作品は、生まれながらの性別への違和感から、別の性で生きることを決め、名前も変えた人たちに取材したもの。「声枯れるまで」という映像作品では、性別を超えた人たちがインタビューに応えたあと、自分で決めた名前を繰り返し叫ぶ。同じく映像作品の「私は世治」では、性別を男に変えた元女性が、母親と一緒に毛筆を手にし、元の名前に新しい名前を上書きする様子が描かれる。いまなお娘の変貌に困惑を隠せない母親に対し、当人が子供のころ受けた抑圧を訴えるなど、両者のやりとりがなかなかスリリングだった。

キュンチョメの展示も、入場希望者には整理券が配られたのだが、連日、会場の閉まる数時間前には配布が終了してしまうという人気ぶりだった。私も3度目の正直で、最終日にようやく入場できた。

田中功起の「抽象・家族」は、日本育ちで、母語も日本語ながら、海外にルーツを持つ人たちが共同生活を送りながら、おのおの差別体験を含め生い立ちを語り合う様子を撮ったドキュメンタリー映像を中心に、人々が一緒に描いた抽象絵画などをあわせて展示するというインスタレーションだった。この展示は「表現の不自由展・その後」の中止に対する抗議から、しばらく部屋の外から一部しか見られなかったが、同展の再開にあたり、再び全体が公開されるにいたった。会期終了間際には、多くの人が映像に見入っていた。

このほかにも、難民など社会的に迫害を受けた人たちが自らの体験を語ったのを、男女の俳優が再現した南アフリカ出身のキャンディス・ブレイツの映像作品「ラヴ・ストーリー」や、アメリカの非営利報道機関であるCIR(調査報道センター)による、社会問題をポップな感覚でとりあげてみせた一連の映像など、ドキュメンタリー的要素を持った作品は今回のトリエンナーレで枚挙にいとまがなかった。今回初めて設けられた映像プログラムでも、東海テレビの『さよならテレビ』やカンパニー松尾の4時間以上にわたる大作『A Day in the Aichi』などドキュメンタリー作品が多かった。ちなみに『さよならテレビ』は、東海テレビのドキュメンタリースタッフが自局にカメラを向けた作品で、昨年放送されて以来、今回1年ぶりに一般公開された。おかげで放送時に録画に失敗して見逃した私も、ようやく視聴がかなった。来年には、放送時にはなかったパートを追加して、東京のポレポレ東中野などミニシアターでの公開も決まっているという。

ここにあげた映像作品に登場する人々が口にする言葉に、難解さはみじんもない。平易な言葉ながら、そこには私たちの心に訴えかけるものがあった。今回のあいちトリエンナーレが65万人以上という過去最高の入場者数を記録したのは、何よりもそうした「わかりやすさ」ゆえではないだろうか。まさに「情の時代(Y/Our Passion)」というテーマにふさわしい結果だったといえる。

元アンジュルム・和田彩花が見たトリエンナーレ
会期中、9月14日には愛知芸術文化センター(愛知県美術館もここに入る)にて「MUSIC&ARTS FESTIVAL」と題するイベントが催され、劇団やミュージシャンによるライブが行なわれた。そのなかには、今年6月にアイドルグループ・アンジュルムを卒業した和田彩花によるトークライブも含まれた。和田は現在、大学院で美術史を学び、東海ラジオで美術について語る番組も持っているだけに、このときも今回のトリエンナーレの芸術監督・津田大介を相手に、トリエンナーレで印象に残った作品をはじめ美術について熱く語っていた。

それを聞いていてとくに印象に残ったのは、和田が現代アート(とくに今回のトリエンナーレで展示されている作品)について「理解はできないかもしれないけれど、それまで知らなかった事実を知ることができる」と語っていたことだ。こうした捉え方は、まだバブルの余韻を引きずっていた90年代初めに現代アートに関心を抱くようになった私にはちょっと驚きだった。それというのも私には、現代アートは、どこか自分のセンスや知性をひけらかすためのツールのような位置づけにあったことは否めないからだ。そういうものが和田には一切なく、アートを通じて何かを学ぼうという意識が強いことが新鮮に思えた。

今回のトリエンナーレのテーマを的確にとらえたという意味でも、和田の「理解はできないかもしれないけれど、知ることができる」という発言ほどふさわしいものはないと思う。私も含め、きっと多くの観客が会場を訪れて、理解はできないまでも、さまざまなことを知ったに違いない。

現在の社会のありさまをユーモアにくるんで提示
真面目な、硬い作品が目立つ一方で、ユーモアを感じさせる作品も結構あった。なかでもインパクトがあったのが、中国の葛宇路(グゥ・ユルー)の、その名も「葛宇路」という作品だ。

「路」とは中国語で道や通りを示す語である。ここから葛宇路は北京市内の無名の道路に自分の名の表した交通標識を勝手に設置した。これが何年も撤去されないどころか、道路もいつしかその名で世間にも周知され、宅配便の送り状や駐車違反の切符などに掲載されたり、さらにはGPSを使った地図サービスにも反映されるにいたる。しかし、葛宇路自身が美術展で公表したため、この行為が市の当局にもバレてしまう。標識は撤去され、その様子は彼と仲間たちの手で記録された。その後、当局によって当該の道路には別の名がつけられたという。

あいちトリエンナーレでは、葛宇路がかつて北京市内に設置した標識が再現され、円頓寺銀座街(四間道・円頓寺エリア)の一角に置かれたほか、付近の元店舗内では、標識が撤去される様子を収めた記録映像が、「葛宇路」の名が記された送り状など証拠の品々とともに展示された。またそれを報じるニュースからアナウンサーらが「葛宇路」と言っているところだけをつなぎ合わせた映像作品も流されていた。

高度に管理された現代の都市では、個人が場所の名前を決めてしまうことはほぼ不可能だ。名づけとはいまや権力や大資本によってのみ許された行為ともいっていい。それは、無味乾燥な市名がいくつも生まれた平成の大合併や、あるいは山手線の新駅名「高輪ゲートウェイ」が決まる経緯などを思い出してもあきらかだろう。ただ、中国は日本ほどには管理が進んでいなかったのか、葛宇路はその隙をついて、街の一角を自分の名前で“占拠”してみせたのである。それが痛快だった。社会の管理化に抗うという意味では、日本の高度成長期における赤瀬川原平らのハイレッド・センターにも通じるものを感じた。

作家が住む社会のありさまをユーモアにくるんで提示したといえば、セルビア出身のカタリーナ・ズィディエーラーの「Shoum」という作品(名古屋市美術館に展示)も面白かった。これは、英語を知らないセルビア人の二人の男性が、イギリスのニューウェイヴ・バンドTears for Fearsの80年代のヒット曲「Shout」を聴きながら、その歌詞を書き起こしていく様子を撮った映像作品だ。

何やら、英語の不得意な日本の中高生が、好きな洋楽をカタカナで起こしていくのと似たものを感じるが、そこにはズィディエーラーの生まれた旧ユーゴスラビアの複雑な事情が反映されている。旧ユーゴはは6つの共和国から成る連邦国家であり、国内では4つの言語、2つの文字が使われていた。それが1990年代に国が分裂して以降は、少なからぬ人々が母国語で生活することがかなわなくなっているという。ズディエーラーはそんな状況を、悲観的でない方法で提示するべく、この作品をはじめさまざまな形で模索している。

展示に付された「注意書き」に込められた意味とは?
説明を読んでようやくそのおかしさに気づかされる作品もあった。澤田華の「Gesture of Rally #1805」という作品は、写真やスケッチのほか、ウェブサイトからプリントアウトした情報など複数の要素からなる(愛知県美術館に展示)。一見しただけでは、統一性のない、情報の羅列のように思われるが、そこにはちゃんと意味があった。

最初に提示されていたのは、ありふれたオフィスを撮った写真である。よく見ると、そこに置かれた観葉植物の葉の上には、青みを帯びた正体不明の物体が写り込んでいた。澤田はその正体を探るべく、その物体だけスケッチしてみたり、立体物として再現してみたり、あるいはネットショッピングのサイトで形状の似た商品を探してみたり(そのなかには丸焼き用の鶏肉や青いジェルボールなどがあった)と、さまざまな方法を用いる。展示はその検証の過程を示したものだったのだ。それを知ると、じわじわと笑いが込み上げてくる。センスとしては、「デイリーポータルZ」などあの系統のウェブサイトにも通じるものを感じた。

名古屋市美術館で展示された桝本佳子の一連の陶芸作品は、SNSで多くの人が写真をあげるなど、今回のトリエンナーレでもとくに人気のあった作品の一つだ。雁や鹿、あるいは五重塔や埴輪などさまざまなものが飛び出したかのような壺や器は、たしかに見ているだけで楽しい。

私はさらに、作品の解説パネルと並んで、作家によるこんな注意書きが付けられていたことにニヤリとしてしまった。そこには「以下の方は、観覧中に気分が悪くなる可能性がありますのでご注意ください」という一文のあと、「やきもの恐怖症の方/鳥恐怖症の方/魚恐怖症の方/釣りを嫌悪されている方/町並みを見ていると気分が悪くなる方/イカ・瓜類にアレルギーをお持ちの方/ごちゃごちゃしているもの恐怖症の方/花木恐怖症の方/埴輪恐怖症の方/斜塔恐怖症の方/あらゆる事を恐れている方」と列記されていた(埴輪も魚も花や木も作品のモチーフとなったものだ)。単なる冗談とも、あらゆることに配慮せねばならない現在の社会に対する皮肉ともとれるが、あとで振り返るにつけ、どうもそれだけではないような気がしてきた。

上にあげられた恐怖症やアレルギーを持つ人は、少数派ではあるが確実に存在するはずだ。そう考えれば、注意書きもけっして無意味ではない。くだんの注意書きはまた、すべての人が不快に感じない美術作品など存在しないという示唆のようにも思える。たとえば、ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」の微笑を怖いと感じる人はきっといるだろうし、巨大な物に対し恐怖症のある人には、奈良の大仏もミケランジェロのダビデ像も恐怖の対象以外の何物でもないはずだ。ほかならぬ私も、先端恐怖症の気があるので、博物館などで日本刀が展示されていると、見られないことはないものの、ちょっと速足になってしまう。しかしだからといって、「おおやけの場で刀を展示するな」などと主張しようとは思わない。考えようによっては、本来は人殺しの道具である日本刀を公立の博物館や美術館で展示するなどけしからんと訴えることもできそうだが、そんな人はめったにいないだろう。それは一体なぜなのか? そんなふうに突き詰めていくと、美術作品を評価したり展示することの意味についても考えざるをえなくなる。深読みにすぎるかもしれないが、私はあの注意書きをそんなふうに解釈した。

今回のあいちトリエンナーレでは、ここまであげた以外にも、私が印象に残った作品がまだまだたくさんあるし、さまざまな要素が見てとれた。というわけで記事を延長して、後編に続けたい。
(近藤正高)

当記事はエキレビ!の提供記事です。

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