カレー沢薫の時流漂流 第63回 部下が定時に帰ったら? それ、退職のシグナルですよ


とある人材育成向け通信教育のテキストに載っていたという「部下が辞めそうなシグナル」がネットで話題を呼んだ。

ブレーキランプ5回点滅「ヤ・メ・テ・ヤ・ル」のサインを出したあと、そのまま会社に突っ込んでくるという、大変わかりやすいシグナルもあるが、もっとさりげない所で「辞める」信号は出ているという。

まず「何を言っても素直に返事をする」。

言わば「いいとも」の観客状態だ。これは、素直になったわけではなく、もはやこの会社や上司に何を言っても無駄と見切りをつけているため「それでいっすよ」となっている、ただの投げやりである。さらに、職場に合コンさしすせそを導入してきたら「いよいよ」と思った方が良い。

次に「会議で積極的に発言しなくなる」。

これも上記と同じ、意見しても無意味だし、会社を良くしようなどという気概もないので、ひたすら録画した妖怪ウオッチのことを考えている状態だ。

そして「上司との対話が減る」。

そもそも上司との対話などあまりしたくない気がするが、辞意を悟られないようにさらに避けるようになるという。上司が場にくるたびにトイレに行くようになったら、退職か膀胱炎を疑った方が良い。

また「必ず定時に帰るようになる」そうだ。

どうせ辞めるのだから当然残業する意欲もない。さっさと帰って録画した妖怪ウオッチを見ている、もしくは外部の人間と会って転職活動をしている可能性がある、とのことだ。

最後に「スッキリとした表情をしている」。

悟りの境地だ。もう辞めるのだから、どんな理不尽があってもアルカイックスマイルである。もはや気持ちが会社という檻から脱しているため、上司が何を言っても「ウッホウッホ」としか聞こえず、「檻の中でゴリラが暴れてる、微笑ましい」としか思わないのだ。

以上である。

一見すると「部下が素直で従順になり、さらに愛想まで良くなった」と感じるかもしれないが、ただ会社から「解脱」しているだけの可能性が高いので、退職を疑った方が良い、とのことだ。

笑顔で「そうですね」としか言わないBOTと化した部下を「態度が良くなった」と思う上司は、まず上司の才能がないと思うが、内容的には「なるほど」と感じる点も多い。

しかしこの「退職のシグナル」にも、大きな違和感がなかっただろうか、ネットでも特にその点が話題になっている。

むしろその違和感に気付かない方が、別の意味で「ヤバいシグナル」かもしれない。
○現実問題、定時に帰っていたら査定は下がる

答えは「必ず定時に帰るようになる」である。

みんなすっかり忘れてしまっているが、「定時」というのは「帰って良い時間」である。つまり「定時に帰る」というのは「普通」なのだ。

しかし、このテキストによると「定時に帰る」というのは「仕事に対する意欲を失った人間がする異常行動」なのである。

確かに、少し前に「わたし、定時で帰ります」という小説原作ドラマがあった。よく考えてみたら「腹減ったから飯を食います」程度の当たり前の事しかいっておらず、わざわざ宣言するほどのことではないのだ。

しかし現代日本においてはこれが「すごく挑戦的なことを言っている」ように聞こえてしまうのだ。どちらかというと職場がその感覚になっている方が「異常シグナル」なのである。

私の他の担当編集にも「新人が定時で帰る上に、その後ヨガにも行っていやがる」とお冠の者がいた。

手前も定時で帰れよ。

仕事なんか定時でおっぽりだして、デカダン酔いしれ暮らせばいいじゃないか、白い壁に堕天使ってかいて!?と言おうかと思ったが、まず無職にそんなこと言われたくないだろう。

それに、担当が怒っているのは、仕事もないのに家に居場所がないから無駄に会社に居座って残業しない若者をディスるおっさん精神からではない。

その新人が定時で帰った分、担当および他の者が、さらに残業しなければいけなくなっているから怒っているのだ。

いくら定時で帰るのが普通であり、咎められることでないとわかっていても、実際に誰かが定時で帰ったことにより、周囲にしわ寄せがくれば、どうしても「定時で帰る奴ディス」が起こり「定時で帰るのは空気が読めない奴の異常行動」になってしまうのである。

定時で帰る人間が悪いわけではないのはもちろん、それに文句を言う人間にも言い分はある。つまり、どっちが悪いわけではなく、恒常的に誰かが残業しないと絶対終わらない量の仕事が存在し続けている職場環境が悪く、それが定時で帰ることを「異常」にしてしまっているのである。
○ニッポンの職場よ、どこへ行く

また日本には「長時間やることがやる気の証」と勘違いしているところがある。よって残業する社員はやる気があり、定時で帰る社員は仕事に対する意欲がないと見なしてしまうのだ。

しかし仕事の能率と言うのは疲れれば当然下がるのである、遅くまで残業してやった仕事のクオリティというのは総じて低く、ミスも多くなりがちだ。仕事も夜のプロレスも長ければ良いというわけではない。

よって定時に帰る社員を「やる気がない」と見なすのは社員のやる気を余計削ぎ、辞表提出までのタイムをさらに縮めてしまうだろう。

だから定時で帰るのは退職のシグナルではなく「欠勤や早退が増えた」あたりにしておくのが良いのではないか。

だが残念なことに、日本の会社でのその行動を取るようになったら「退職」ではなく「病(ビョウ)」の可能性の方が高いのである。

あと「スッキリしたような顔をしている」というのも、「会社ではクソが詰まったような顔をしているのが普通、明るい顔をしている奴は異常」という意味である。

日本の職場は静かに狂っている。

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