【氷川教授の「アニメに歴史あり」】第20回 「再話」としての劇場映画とその可能性

アニメハック

2019/10/5 19:00

(C) 山本鈴美香/集英社・TMS
 2019年10月28日から第32回東京国際映画祭が開催される(11月5日まで)。本年はVFX(特撮)を交えた「ジャパニーズ・アニメーション部門」の「THE EVOLUTION OF JAPANESE ANIMATION/VFX」として大幅に拡張し、氷川は昨年に続いてプログラミング・アドバイザーに就任した。その全体像は別途語るとして、今回はアニメ映画の重要変化点としてシンポジウムを交えて立体的に上映する「白蛇伝 4Kデジタルリマスター版」「エースをねらえ! 劇場版」「AKIRA」という極限まで絞りこんだ3本のうち「エースをねらえ!」について、前回の内容「テレビ番組から映画にすること」 に関連付けて語ってみたい。

まず、東映動画が商業アニメ拡大のきっかけを作った映画「白蛇伝」(1958)を取り上げるなら、そのカウンターとなった1960年代の「虫プロダクション」と「テレビアニメ」が重要と考えた。しかし「映画祭」であるから、テレビシリーズ「鉄腕アトム」やそれを劇場化した作品は最適解ではない。では、青年層への拡大のきっかけとなった「劇場版 宇宙戦艦ヤマト」(77)か「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(78)はどうか。「テレビ総集編」の前者は映画として特筆すべきことに乏しいし、後者は「続編」で「単独で完結」という要素が薄い。
 こうした検討を経て、むしろ「1979年」を「重要変化点」としてとらえたいと思うようになった。名作・傑作が1年のうちに次々と現れ、アニメの歴史を次のステージへ導いた「プレ80年代」であり、今年はその40周年記念にも当たっている。
 検証すると、まず高畑勲監督の「赤毛のアン」、宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」は「東映動画の文脈」に回収されるため、優先度を下げた。富野由悠季監督の「機動戦士ガンダム」、りんたろう監督の劇場版「銀河鉄道999」、そしてこの出崎統監督の「エースをねらえ!」は「虫プロの文脈」だが、「ガンダムシリーズ」は映画祭で特集済みである。残った「999」と「エース」を並べ、ここは商業的成功より「テレビアニメの手法で映画が撮れることを実証した」という点で重要と考えた。事実、細田守監督や下田正美監督ら、この作品をレファレンスにしている作家は多い。
 何よりも「映画的でありたい」という願望が自覚的なものという点に、今こそ着目すべきだと考えたのだ。劇場公開時のパンフレットへの寄稿「『エースをねらえ!』という一つの作品が今、スタッフの机の上からあるいは心の中から走り去って行って」の中で、出崎統監督はディズニーの「白雪姫」の名を挙げ、旧来のフルアニメーション的なものへの決別を宣言している。「アニメである前にフィルムでありたい、と思うし、アニメである前にドラマであってほしい……と思う」と明記しているのだ。この「フィルムでありドラマでありたい」という願望は、りん監督、富野監督とも共通するものだが、この時期にここまで明言している出崎アニメにこそ歴史的再注目が必要だと、問題提起を込めつつセレクションしたのだった。
 同じ文章では「少なくともこの『エースをねらえ!』が特別アニメーションでなければならないという意味――はない。けれど数少ない『あいうえお』と身振リ手振リを混じえて、とにかくそれしかない僕達の『アニメーション語』でこの作品を造リ上げた」という述懐がある。この「アニメーション語」こそ「日本式リミテッドアニメ文法」のことである。ディズニーから東映動画を経て日本に導入された「フルアニメーション技法」とは対極にあるがゆえに、「鉄腕アトム」という実証でテレビでの量産化を可能とし、そして虫プロの若き先鋭的な映像派の中で磨きあげられた「映像言語」で日本独自と言える。
 現在でも、この「アニメーション語」は業界標準的に使われている。それは「セルと背景という平面素材を使って、いかにリッチな映画的時空間を獲得するか」という追求のための演出技法である。鮮烈で印象的な絵をフレームより大きく描いて繰りかえしで見せるカメラワーク、突如として動きを永遠の時を内包する静止画に変えるハーモニー処理、マルチスクリーンなどを併用したカッティングによるリズムカルな画面転換、入射光・透過光・パラがけなどを多用して空気感とともに光と陰影を対比する撮影処理などなど……。今や常套句となった「日本流アニメーション語」の最初の集大成が「エースをねらえ!」の映画化だったのだ。

もうひとつ、この作品に注目すべきことがある。前回述べた「テレビのフィルムによる総集編」ではなく、「テレビのエッセンスを濃縮、再構築した新作フィルム」なのである。「銀河鉄道999」とも共通しているが、「構成」の点で差がある。「999」は娯楽映画黄金期に多用された「串ダンゴ方式」である。主人公が故郷を離れて旅だった後、ダンゴのような事件の固まりがいくつか起きて、旅路が「串」として体験性をつなぎ、最後は故郷に戻って幕切れとなる定型だった。
 「エースをねらえ!」は、もっと直線的で不退転、不可逆な緊張を積みかさねて、成長物語を輝かせている。それは、1973年のテレビシリーズ全26話で一度語られた物語の「再話」が可能としたものだった。もちろん山本鈴美香による原作の存在は大きいが、かつて半年かけて毎週積みかさねた物語から取捨選択する視点によって、たった88分という上映時間に驚異の疾走感が宿ったのだ。
「テニスの素人同然だった岡ひろみが天才選手・お蝶夫人に憧れ、宗方コーチに才能を見いだされ、挫折を乗りこえてお蝶夫人と戦うに至る」という成長の主軸に加え、淡い恋愛感情、導師の死などなど「映画の神話性」に必要な要素も満載である。そして「過ぎてみれば、たったこれだけの時間だった」という体感ごと「青春」の表現となって、「映画らしさ」が輝いているのだ。「時間の体験性を使った光と闇の芸術表現」という点で、孤高と言っていい高みを獲得した映画である。
 「映画にする」とは「限られた時間、限られたフレーム(空間)に現実を切りとり濃縮する」という行為を意味する。実写映画で「編集(カッティング)」が重視されているのは、撮影後にそれを再度吟味するからだ。この「エース」の劇場版では「ここからダブルスの大逆転になる」と予感させたところで時間を断裂させて試合のアクションを大胆にカットしたり、テレビ版にあった「赤いバラの挑戦」のエピソードになりかけて中断したりして、早く駆け抜けるだけでなく緩急をつけている。こうした「一回撮った素材にクオリティ基準を再設定して映画に編み直す」という一連の演出が、「何か作者だけの基準で驚くべき取捨選択が成されている」という観客側の緊張感を醸しだして、「映画的感興」を高めていくのである。
 ともあれ「映画祭」とは「映画とは何か」という本質を問い直す絶好の機会である。そうした観点で厳選したという点も含め、映画祭を楽しんでいただきつつ、その中でも最も注目して欲しい作品「エースをねらえ!」に大勢の方がご来場いただきたいと願っている。(文中敬称略。「東映動画」は「現:東映アニメーション」)。

当記事はアニメハックの提供記事です。

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