新連載「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」第1回■岩下悠子『漣の王国』書き出しから持っていかれた

エキレビ!

2019/9/9 10:00



文章が美しい。
物語に引きこまれる。
小説としての仕掛けに感心する。
今まで作品に触れたことがない作家の本の場合、この三つの要素のどれか、もしくは複数を満たしているかどうかを気にしながら読む。
美しい、と言ってもいわゆる美文でなくてもいい。リズムや用語、行間に漂う情感など、その作家独自のものがあればいいのだ。
物語は波瀾万丈でなくてもいい。ページターナーでなくても、逆に先に進むのが困難な障害の多い話でもいい。読まずにいられない気持ちにさせてくれればいい。
仕掛けはどんでん返しのようなプロット上のものとは限らない。読者の予想を上回る、作家の構想力のようなものが垣間見られればそれでいい。
そういう作品に出会ったとき、あ、この人の小説をまた読みたいな、と思うのだ。この作家さんを応援したい。そういう気持ちになる。
デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたいと思う。


美しい生き物を、この上なく美しく描く
恥ずかしながら、『漣の王国』(東京創元社)という小説で初めて作者の、岩下悠子という名を知った。第23回城戸賞を授与された脚本家であり、小説家としては2017年に『水底は京の朝』という初の作品集を上梓している。『漣の王国』が2冊目の小説で、4篇を収めた中篇集である。


巻頭に2ページの短い「序章」が置かれている。「後年自殺した綾部蓮が最終泳者であった」という書き出しにまず気持ちを持っていかれた。天才泳者と騒がれた綾部が400メートルフリーリレー決勝で勝利する場面を作者は僅かな字数で魅力的に語る。「大きな掌が果実をもぐように水を掴み」「飛び散る飛沫がすべて花弁のように見え」るという表現は、このあとに続く第一話でゴータマシッダールタに関する挿話が語られることと思うと、宗教的な含みさえ感じさせる。
『漣の王国』という題名に通じる一文は、早くもこの序章の中に現れる。

──レースの後、地響きに似た歓声の底で、彼はゴーグルを額に押し上げると、きらめく水面に仰臥して、しばし何かを見つめていた。プールの水は千々に乱れ、ガラス壁を透かして降る太陽光の粒子が、綾部の端整な顔にも広い胸板にも、金色の縮緬を広げていた。ガラスの彼方には山々の稜線が波打ち、その襞の間から、美しい凶兆のように、白い塔が天を目指して聳えていた。
誰もが目を奪われるその美しさは、自分が浮く水面を統べる王者のものである。そのさまを目に焼きつけたもう一人の泳者・遠山瑛子が、そのまま第一話「スラマナの千の蓮」の主人公となる。
綾部と同じ大学の水泳部に属する遠山は、ろくに練習もしないのに結果を残す綾部に憧れる。「綾部にかき乱された水はいつも幸福そうに見える」「綾部の周囲の水だけが嬉しげに歌唱を続けている」と、憧憬の念を抑えきれないのである。遠山の後輩である医学部生の猫堂は、綾部に心を奪われたために彼女はフォームを崩してしまっていると指摘し、流体力学に基づいてそれを修正してやると宣言するのである。仏師の息子でもある猫堂は、ノミが木の中から仏の姿を彫り出すようにして、遠山瑛子の真の肉体を浮かび上がらせようとする。その場面が、まるで密教の秘事を見ているかのように官能的だ。
猫堂がその指導と引き換えに遠山に求めたのは、フェンスの向こうから水泳部の練習をいつも見つめている、北里舞に関する調査だった。北里の挙動は、妊娠の兆候を示していた。その胎内に宿っているのが誰の子かを、同性の口から確認してもらいたいというのだ。遠山に思いあたる男は一人しかいなかった。怠惰な水の王であり、異性を周囲にはべらせるのに慣れていて、遊び半分で領土を拡大しようとする男、綾部蓮しか。

宗教的なモチーフが物語を綺麗に融合
「スラマナの千の蓮」「ヴェロニカの千の峰」「ジブリルの千の夏」と続く「ミステリーズ!」(東京創元社)掲載の3篇は、人の心を縛るものに関する謎解きの物語と言っていい。それぞれ仏教における悟り、キリスト教における信仰の純粋性、イスラム教における教義の絶対性という、宗教に絡めたモチーフが置かれているのは、各話で誰かの妄念について語られることになるからだ。各話の背景に登場するのが前出の綾部蓮で、特に「ジブリルの千の夏」では、敬虔なイスラム教徒である留学生・ライラの心を乱す悪魔の役を割り振られている。たぐいまれな才能を持ちながらも努力することを知らず、蠱惑的な美貌を悪く用いて周囲の人々を堕落させるのが、綾部蓮という存在なのだ。しかし猫堂が主役を務める最終話の「きみは億兆の泡沫」では、綾部本人にまつわる謎が解かれることになる。
一口で言えば、空虚さに関する小説ということになるだろうか。綾部蓮こそ空虚そのものであり、彼を血肉の通った人物として描くためには、実際よりも少しだけ世界が美しく見えるような現実感の基準を作り上げ、悪魔のような面影にきちんと陰翳を持たせる必要があった。その難業を見事に成し遂げたという意味で、作者は讃えられるべきである。文章が、美しい。そしてその文章だからこそ成立する謎が本作では描かれている。
綾部の空虚さに対置する形で描かれる各話の女性たち、特に泳ぐことで自らを実現していく遠山瑛子や、異文化圏の友人・ライラとの親交を通じて確固とした自我に目覚めていく松尾朝子らのいきいきとした表情も忘れがたい。恵まれた資質を持ちながらそのことに倦んでいるようにしか見えなかった綾部と、限られた才能しか持ち合わせることがないが、そのことに絶望せずに自分という肉体を生きることを止めなかった人々の物語でもあるのだ。

(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)

当記事はエキレビ!の提供記事です。

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