「いだてん」ムッソリーニにオリンピック譲ってもらおう作戦大成功!だが真に戦うべきはIOCだった33話

エキレビ!

2019/9/8 09:30

先週9月1日放送のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」第33話には、イタリアの独裁者ムッソリーニ(ディノ・スピネラ)が登場した。外国の指導者(首相、大統領、国王、皇帝など)が大河ドラマに登場したのは、2001年放送の「北条時宗」に大元の皇帝クビライが出てきて以来ではないだろうか。


ムッソリーニ、オリンピックを東京に譲る
ムッソリーニが登場したのは、1940年の東京オリンピック招致に向け、嘉納治五郎(役所広司)が、最有力候補だったローマに開催を譲ってもらうべく時のイタリア首相だった彼に直談判するという奇策を思いついたからだ。だが、当の嘉納は持病の腰痛(脊椎損傷と診断される)が再発して当分動けなくなり、代理として招致委員会から、イタリア大使の杉村陽太郎(加藤雅也)と伯爵の副島道正(塚本晋也)が派遣された。イタリアでムッソリーニから開催権を譲ってもらったあと、ノルウェー・オスロでのIOC総会に乗り込むという段取りだ。嘉納は担架に乗せられながら、すでに用意していたオスロでの最終スピーチの原稿を、そばにいた田畑政治(阿部サダヲ)に託す。

1934年12月、日本を出発する前に副島は、すでに準備の進むローマからオリンピックを譲ってもらうのは難しいと悲観的だった。しかし嘉納からスピーチ原稿を預かった田畑は、イタリア大使の杉村が副島とムッソリーニが面会する算段をつけてくれたことに希望を見出す。田畑自身も記者として副島に同行することになる。

年をまたいで1935年1月、いざムッソリーニとの会見を前にして、副島が長旅がたたったのか急病で倒れてしまう。一人でムッソリーニと対面した杉村は、副島が病気を押して会見にのぞもうとしていたことを強調、これにムッソリーニは何を思ったのか「サムラ~イ!」と両手を頭上に掲げて叫ぶと部屋を出ていった。

副島は重篤から何とか生還し、後日、医者から30分だけならとの約束で、再び杉村とともにムッソリーニとの面会にのぞむ。早く着きすぎて予定の時間までまだ15分あったが、思いのほか早く執務室のドアが開くと、ムッソリーニから直々に「SAMURAI」と呼ばれ、部屋の中へと招かれた。まず副島があらためてオリンピックの概要を説明、国民も熱望していると訴える。続いて副島は、オリンピックは世界の祭典を謳いながら開催地はヨーロッパばかりであると言うと、椅子から立ち上がり、「オリンピックを東京に招致するまで我々は日本に帰らぬ覚悟です。もし譲って下さるならば、我々が全力が協力しますので、1944年をローマで開催しましょう」と提案する。それにムッソリーニは「Will you?(本当だな?)」と2度訊き返した。杉村は「イエス!」と力強く答えた。

会見はわずか15分で終了、ムッソリーニに送られながら部屋から出てきた杉村は、待っていた田畑に親指を突き立て、成功を伝えた。ムッソリーニは、副島の「世界平和には東西の交流が重要です。欧米の選手に東洋を見せたいのです」との言葉に、「That is the point(その通りだ)」と今度も2度繰り返す(ちなみにムッソリーニのセリフは、さっきの「Will you?」とあわせて橋本一夫『幻の東京オリンピック』に引用されている言葉そのままだった)。独裁者は、病を押して面会に赴いた副島にサムライ精神を見出し、あっさりオリンピックを譲ってくれたのだ。この一報はすぐに日本で病床にあった嘉納に知らされ、喜ばせる。


『いだてん』後編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

本当の戦いはIOC総会だった
ムッソリーニから快諾を得て、もはや東京でのオリンピック開催は確実と誰もが思ったが、本当の戦いはここからだった。オスロのIOC総会には病気の副島を残して杉村が単身乗り込むが、IOC会長のラトゥール(ヤッペ・クラース)があげた1940年の開催地候補にはまだローマが残っていた。招致スピーチを行なったイタリアのIOC委員ボナコッサ(フランチェスコ・ビショーネ)も、ムッソリーニから何も伝えられていないのか、開催実現に絶大の自信を示す。これに焦った杉村は、続いてスピーチに立つと、嘉納の用意した原稿を読むのを途中でやめ、ムッソリーニが開催を辞退したと伝えた。これに議場は騒然となるなか、ボナコッサがその件は聞いていると明かしたうえ、「だがスポーツに関しては政府でも口出しさせない」と反撃する。

しかしそこは外交官の杉村のこと、このあとイタリア公使のロドロを味方につけると、ボナコッサの説得にあたる。ボナコッサは開催地を決めるのはIOC委員の投票だけだと頑なに譲らない。これに対し杉村は黙って、ムッソリーニからの手紙を指し示す。無言の圧力以外のなにものでもないだろう。

はたして3日後(1935年3月1日)に迎えた投票の日。最後のスピーチに立ったボナコッサは、「IOC委員になって10年間、スポーツマンシップによってのみオリンピックは支えられてきた。もはやそうではないようだ」と言うと、涙をこらえつつ「不本意ながら東京に票を投じる」と表明する。だが、ラトゥールは「政治的圧力をIOCは認めるわけにはいかない」とそれを認めず、「投票を来年に延期する」と宣言する。日本側がオリンピックと関係のない権威に接触したことを問題視したのだ。これに杉村は、ローマは自ら辞退したのであって政治的駆け引きではないと抗弁するが、ラトゥールは聞き入れない。杉村はなおも関東大震災から復興した東京を見せたい、それに紀元2600年を祝うためにも1940年でなければならないと訴えるが、無駄であった。ラトゥールは、なぜ嘉納治五郎が来ないのかと杉村を問い詰めると、「彼ならこんなことにはならなかった」と言い残して、散会となる。

「極論の嘉納」、新たな奇策を提案す
投票が延期になったことを新聞で知った嘉納は、何を思ったのか、ベッドから立ち上がって、ひきだしを開ける。そのころ東京市庁舎に設けられた「紀元2600年国際オリンピック競技大会東京開催に関する実行委員会」(長い!)では、東京市長の牛塚虎太郎(きたろう)や山本忠興(田中美央)が、ここは嘉納がベルギーへ行ってラトゥールに直接謝罪してもらおうという話になっていたところ、当の嘉納が松葉杖を突きながら現れる。このときも「極論なんだがね」と切り出した嘉納は、ラトゥールを謝りついでに東京に招待することを提案。すでに招待状も送ったという(ひきだしを開けたのも、手紙を書く道具を出すためだったのだろう)。それが奏功してラトゥールは訪日の意向を示す。

田畑はラトゥール訪日を喜ぶが、久々に会った元同僚で衆院議員となった河野一郎(桐谷健太)は、日本との同盟締結をたくらむドイツのヒトラーがラトゥールに圧力をかけて東京支持を要求し、日本に恩を売ったのではないかと疑念を呈する。しかし田畑は、オリンピックを外交の道具のように見る河野に、あんなものは運動会だと反論。それを聞いて河野も「東京オリンピックが決まれば、少なくとも軍の歯止めにはなる。あと4年、戦争は起こらない」と一応の理解を示すのだが……。

このあと、ラトゥールの来日に向けてオリンピック招致委員会が発足し、記者会見が行なわれる。記者の一人からオリンピックはお国のためになるのかとの質問が出て、その場にいた田畑は、かつて高橋是清(萩原健一)から同じことを訊かれたのを思い出した。彼は高橋に答えたように、「国のためじゃない、若い者のためにやるのです」と訴える。

しかし、軍はますます力を強めていく。ときは1936年2月26日、のちの古今亭志ん生の美濃部孝蔵(森山未來)が家族とともに、東京・業平橋の“なめくじ長屋”からようやく引っ越すことになり、雪の降りしきるなか準備していたところ、軍靴の音が鳴り響く。それは2・26事件発生当日の朝であった。きょう放送の第34話では、日本の大きな曲がり角となった同事件が描かれる。サブタイトルは「226」。ちなみにこれは、第33話のサブタイトル「仁義なき戦い」と同じく映画の題名からとられたものだが、元ネタの2作品には脚本が笠原和夫という共通点がある(マニアックな指摘ですみません……)。


『いだてん』前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

美川は生きていた
さて、第33話ではまた、金栗四三(中村勘九郎)が旧友・美川(勝地涼)と久々の再会を果たした。四三は弟子となった熊本中学の生徒・小松勝(仲野太賀)とマラソンの練習をしていたところ、山中でカフェを見つけ、そこで店主となっていた美川と出くわしたのだ。美川は、遊女の小梅と別れてから、いかがわしい写真を売る露天商に落ちぶれたのち、関東大震災を経て全国を放浪していたらしい。それがささやかながら、女給も雇ってカフェを開いたところに彼のしぶとさを感じる。美川は初対面の小松に「君の夢は何かね?」と訊いておきながら、小松が東京オリンピックでメダルを獲ることだと熱っぽく語り出すと、いきなりさえぎって「この場合『君の夢は何かね?』と訊くのは、『僕の夢を聞け』ってことだよ」と言ったりと、あいかわらず面倒くさい。

四三の妻のスヤ(綾瀬はるか)もそんな美川のことをよく覚えており、四三が彼と再会したと耳にするや、「(四三の)友達じゃなか、ゴキブリばい」とひどい言いよう。東京から熊本に戻って以来、廻船問屋を営む池部家の当主に収まった四三は、このころにはすっかりスヤのコントロール下に置かれていた。「あなたはマラソンの父、金栗四三ばい。由緒正しき池部家の旦那さんとしてどっしりとかまえとってください」と言うスヤの口ぶりは、義母の幾江そっくりだ。しかし四三はそうした生活をすっかり窮屈に感じていた。ついには、恩師である嘉納から誘いの手紙が来たのを機に、こっそり家を抜け出して東京へ向かうのだった。

田畑が五輪招致にかかわったのはフィクション?
第33話では、杉村陽太郎がイタリア公使ロドロを介してボナコッサを説得する場面での3者のセリフを、寄席の古今亭今松(荒川良々)がサブタイトル「仁義なき戦い」に合わせてか、広島やくざ風の日本語に吹き替えていた(今松がかつらをかぶっていたのは映画「仁義なき戦い」で金子信雄が演じた山守組長のつもりか。それにしては似てない!)。さらに、そこへ志ん生役のビートたけしが高座に乱入し、自身の監督・出演作品「アウトレイジ」を思わせるドスの効いたセリフをかますなど、何ともぜいたくな演出だった(大河ドラマにしてはちょっと遊びすぎな気もしないではなかったが)。

そういえば、たけしはベネチア国際映画祭で「HANA-BI」が金獅子賞を受賞したほか、2007年には同名の監督作品からその名がとられた「監督・ばんざい!賞」が新設されるなど、イタリアとは何かと縁が深い。そもそもベネチア映画祭はムッソリーニ政権下の1932年、ベネチア・ビエンナーレの映画部門として始まり、1934年から毎年開催されるようになった。1934年から44年までの最高賞はその名も「ムッソリーニ賞」であったという。ちなみにたけしが金獅子賞を受賞した1997年のベネチア映画祭では、「いだてん」で副島道正を演じる映画監督の塚本晋也が審査員を務めた。塚本もベネチアでは「KOTOKO」がオリゾンティ賞に選ばれるなど受賞歴がある。

ところで、「いだてん」では、1940年の東京オリンピック招致に田畑がかかわるさまが描かれているが、実際には田畑はこのときの招致活動にはほとんど関係していない。ただ、政治記者として情報に事欠かなかったため、当時の体協会長の岸清一に、国内では陸軍の反対が強く、挙国一致体制でオリンピックを開催するのは無理があると自分なりの考えを述べたことはあったという(杢代哲雄『評伝 田畑政治 オリンピックに生涯を捧げた男』国書刊行会)。また、杉村陽太郎がオスロの翌年、ベルリンでのIOC総会で再び窮地に立たされるなか、田畑が一役買うことになるが、このあたりはおそらくドラマでも描かれるのではないだろうか。

ドラマでは、田畑は主人公とあって、さすがに招致活動に関与させないわけにはいかないとの判断から、このような脚色になったのだろう。それでも、田畑を交渉の席に座らせたりはせず、あくまで杉村たちを支える裏方に回っているあたり、節度を感じる。ローマやオスロへも、体協の関係者としてではなく、本職の新聞記者という立場で行かせるようにしたのもうまかった。

ドラマではこれまで嘉納は、政治に対し距離を置く立場を貫いてきただけに、ここへ来てムッソリーニへの政治工作を提案したのは意外だった(嘉納は実際に同様の提案をダメ元でしたというが)。これまでの展開を考えると、嘉納としてみれば「逆らわずして勝つ」の精神で穏便に交渉を進めるつもりだったのかもしれない。しかし杉村陽太郎はあまりに攻めすぎ、それがかえって反感を買う結果になったということだろうか。なお、IOC会長のラトゥールやイタリアのIOC委員のボナコッサが、スポーツやオリンピックの自主性を重視し、日本の工作を非難したのも史実にもとづく。しかし、オリンピックの規模が大きくなり、選手の活躍がそのまま国威発揚につながってくると、各国の政治家たちが利用しようと考えるのは当然の流れだろう。ただ、それがドイツやイタリア、そして日本での軍国主義の台頭と重なったことに不幸があったような気がしてならない。(近藤正高)

※「いだてん」第33回「仁義なき戦い」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:桑野智宏
※放送は毎週日曜、総合テレビでは午後8時、BSプレミアムでは午後6時、BS4Kでは午前9時から。各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中(ただし現在、一部の回は配信停止中)

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