ラブホテル主任から芸人まで…引きこもりから脱出した男たち

日刊SPA!

2019/8/17 15:54

 世間に衝撃が走った川崎殺傷事件から2か月が経つ。今回は引きこもりから一念発起して抜け出した男たちを取材。当時の心境や、状況を変えた経緯、事件に対して思うことなどを語ってもらった。

◆17歳から6年間引きこもり後、芸人に

「引きこもりの時期に価値があったとは思いません。むしろ、あの時期って無駄だったなぁと思えることも大事かも。引きこもってなくても無駄な時期ってありますし」

そう語るのは芸能事務所タイタンに所属する芸人・ミヤシタガクさん(40歳)。17歳から23歳まで6年間引きこもった経験を持つ。

「子供のころに、兄や父親がテレビの中のドリフに夢中になっている姿を見て衝撃を受けた。あれが芸人に憧れをもったきっかけだった気がします。明確に意識し出したのは中学校のころでしたが、家庭の雰囲気として芸人になることは許されないだろうなと感じ、高2のころからなんとなく引きこもるようになりました。」

その後、学校に行くモチベーションも上がらず、家族と交流する気にもならなくなり、漫然と家で引きこもる日々が続いた。

「今思えば、こうでもしないと芸人の道を許してくれないだろうという見込みの上での行動だったのかもしれません。大学を出て芸人を目指すというルートも、どうせ反対されるのが目に見えていましたから」

当初は友人と外出することもあったが、次第に疎遠になり、やがてちょっとした外出も億劫になった。子供のころから重度の皮膚アレルギーを抱えていたため皮膚科に通院していたが、医師から現況を聞かれるのが嫌で通わなくなった。

「だんだん部屋からも出なくなり、テレビを観たり、新聞を読んだりして漫然と過ごすようになりました。ネットなども部屋にはなかったですし、特に楽しみもなかったですね」

精神的な不調が最も強い時には「小さな穴から虫が湧いてくるのでは」という強迫観念に悩まされることもあった。

「引きこもって6年目になり、自分でも『これ以上はヤバいかも』というタイミングで、上京を決意し家を出ました。ちょうど同級生が大学を卒業するタイミング。稀に連絡をくれる中高からの友達がいたのですが、今ならその子と組んでお笑いができるかもと思ったんです。親も真っ当な道はあきらめてくれたようで、芸人を志すことを受け入れてくれました」

結局、その友人とはタイミングが合わず組めなかったが、念願のお笑い養成所に入所。何度かのコンビ結成と解散を経て、ピンとしても活動し、2014年の「R-1ぐらんぷり」では決勝進出を果たした。翌年、現在の事務所に所属。バイトを続けながら、数多くのライブやコンテストに参加するなど精力的な活動を続けている。先日、出身地の岩手で行ったライブには家族も来場し、声を掛けてくれたという。

引きこもりの状況から抜け出したいと思っている当事者や、周囲の人間へのアドバイスを求めたところ、悩みながらも以下のように答えてくれた。

「ひきこもりになる理由も、なる人の性格や素養も本当にそれぞれなので、こうすれば解決するとか、一概に言えないですよね……。ただ、もし今、自分が当事者だったらとりあえず必死にネットで脱出の仕方を探すと思います。もし自分の周りに当事者がいたとしても、無理に引っ張り出したり、追い詰めたりはしないほうがいいと思います。とりあえず当事者の話を聞いて、必要な情報を集めてあげたり、できる限り環境を整えてあげたりする程度がいいかもしれません」

最後に川崎殺傷事件について思うところも聞いてみた。

「環境も性格も全然違いますから、自分があの後ずっと引きこもっていたとしても、ああはなっていないとは思いますが、完全に(ならなかったと)否定もできませんよね。ただ、自分としては今回の事件で『死にたきゃ一人で死ねよ』という論調が巻き起こったことの方が気になります。

恐らく犯人も『どうせ、一人で死んでくれよと思うんだろう?』と考えてた人物だと思う。どうせ、そういう世の中なんだろと思ってたからこそ、引きこもってたし、こういう事件を起こしてやろうと思ったのかもしれない。犯人に同情するわけではないですが、個人的には世間のそういう冷たさが気になりました」

狂気の犯行にまで追い詰めた無言の圧力が、今回の事件でその姿をまざまざと現したのは、皮肉という言葉では片づけられない。

◆中学卒業後に就職した工場で「適応障害」に。引きこもりを経て現在はラブホテルの主任

千葉県市川市の「ホテルM」は東京ディズニーリゾートが近いこともあり、月に5000組以上のカップルが訪れる人気のラブホテル。ここで働く船戸光明さん(36歳)も引きこもりを経験後に社会復帰を果たした1人だ。

4年の引きこもりを経て、最初はアルバイトとして入社したが、6年間務めた現在は主任として50名もの従業員を管理をしている。船戸さんが引きこもりになったのは前職で体力的にも精神的にも追い詰められ、医者から「適応障害」の診断を受けたことがきっかけだ。

「中学卒業後に入ってから10年ほど勤めた鉄鋼系の工場でしたが、朝9時から終電前まで働くことがザラ。常に納期に追われ休日出勤も普通でした。適応障害の発覚後は会社に勧められて休職しました」

しかし、復帰するタイミングを掴めずにずるずると引きこもり状態に。会社の方もリーマンショック後に業績が悪化し、早期退職という流れになった。再就職のための活動にも踏み込めず、引きこもりの生活が続いた。

「不幸中の幸いは300万の貯金があったこと。賃金は低かったのですが、使う暇もあまりなかったので」

引きこもり中、船戸さんを精神的に助けたのが両親の態度と言葉だった。

「前の会社での多忙さを知っていましたし、自分がなってしまった障害についても理解があったので口うるさくいうことはありませんでした。そういう理解があったのは幸いだったと思います」

焦りがないわけではなかった。引きこもって4年になった頃、アルバイトを始めることを決意。自宅から通える範囲で、初めてでもできる仕事をフリーペーパーで探したところ、見つけたのが「ホテルM」だった。

「やってみてダメだったらやめればいいという気持ちもありました。とはいえ、家族以外の人と話すのも本当に久しぶり。ブランクがあるという負い目もあり、非常に緊張しましたが採用してもらえました」

しかし、入社から1~2週間は「本当に怖かった」という。

「先輩が指導してくれるのですが、あちらは僕が引きこもりだったということも知らない。指導も厳しいですが、体力的にもきつかった。ベッドメイキングや夏場の風呂掃除は予想以上の重労働でスピードも求められます。実際、やめることも頭によぎりましたが、ここでやめたら何も変わらないと思い踏ん張りました」

その後、続けているうちに仕事や環境にも慣れるようになった。不安要素だった接客は、ラブホテルという場所柄もあり最低限で済んだ。

「一番困ったのは部屋でパイ投げされたときですかね。清掃が本当に大変でした(笑)」

将来の展望について「大きな変化がない限りは、この職場で腰を据えて頑張りたい」と語る船戸さん。川崎殺傷事件や、それを受けたマスコミの報道の在り方などについても語ってくれた。

「あの事件を受けて大人のひきこもりが注目されるようになりましたが、過度に取り上げるのは好ましくないと思います。報道を見ると、引きこもりから抜け出た今でも自分のことを言われてる気がする。当事者だったら更に追い込まれてるような気持ちになるのではないでしょうか。

自分は運よく、家族もあまり追い込んだりせずに見守ってくれました。引きこもりから抜け出すには、結局は当事者の踏ん張り次第だとは思いますが、やってだめなら逃げればいいという気持ちを本人も周囲も持って少しずつ挑戦するのがいいじゃないでしょうか」

今回、取材に協力してくれたミヤシタさんも船戸さんも共通して「周囲が追い込まないことの大切さ」を語ってくれた。引きこもりの問題について議論することも大切だが、当事者やその家族を追い詰めないような寛容な態度や空気が世間に求められているのかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!取材班>

当記事は日刊SPA!の提供記事です。

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