進むべく道に導いてくれた巨匠たち~純烈物語<第5回>

日刊SPA!

2019/8/10 08:29

―[白と黒とハッピー~純烈物語]―

◆「白と黒とハッピー~純烈物語」第5回

可愛げが導く先人たちとの縁(えにし)

純烈という名の磁場がそこに――

これまでの連載の中で、純烈はファンだけでなく業界関係者や周囲の人たちに愛されていることに気づいたと思われる。「そんなのは売れていたら当たり前だろ」という声もあがるだろうが、無名で“うま味”のなかった頃から支えてくれる先人たちがいたから、現在がある。

その筆頭となるのは言うまでもなく前川清。酒井一圭の夢の中へ何度となくノーギャラで出演し、その後の進むべき道を遠隔操作のように指南した。

ムード歌謡には馴染みがない人にも、四十~五十代ならばドリフターズと一緒にギャグをやっている前川がメモリーされており、とっつきやすいイメージがある。とはいえ大御所はやはり大御所。触れれば触れるほどに純烈のメンバーたちはその偉大さを噛み締め「俺たちはまだまだだな」と襟を正す。

先輩たちが世に出した作品を継承することで、純烈をやっていこうと決意した酒井は、その思いを前川に伝えた。ほかの歌い手と同じように手放しで喜んでくれると思いきや、鋭いナイフのような答えが返ってきた。

「一圭、おまえの姿勢は俺も嬉しいよ。ただな、今はムード歌謡の中で抜きん出ることはできないからな」

「どうしてですか?」

「本人たちがまだ生きているからだよ。本家がいる限り、それを超えることはできねえんだ。だから、もうこの世にいない人の唄を歌ってみろ。おまえらが『そして神戸』を歌ってもな、俺はまだ生きてっからよ」

そこまで言ってくれるのか――死んだ人の唄を歌えなど不謹慎なことを言っているようだが、前川は同じ世界で生き抜いてきた他の歌い手たちをリスペクトして言っている。その上で同じ土俵へ乗ってきた後輩たちに、今なお現役プレイヤーであるプライドをチラつかせたのだ。

友井雄亮のスキャンダルに関する謝罪会見で世間と向かい合った直後、純烈は前川の50周年記念公演(1月24日~2月4日、明治座)へ出演した。連日、稽古場にマスコミが押し寄せる中で酒井は気まずい思いから「なんであんなことをやらかした僕らを切らずに出してくれたんですか?」と聞いた。

すると前川は、涼しい顔で「なんでって、人は不幸が大好きだから純烈が出ることでチケットが売れるからだよ。儲かるのがわかっていて、出さない方がおかしいだろ」と言った。半分本心で、あとの半分は思いやりなんだと酒井はこみあげてくるものをこらえた。

公演が終わったあとも、番組の収録で顔を合わせると「純烈、儲かってるなあ」が挨拶代わりの言葉。酒井も「儲かっていないですけど、前川さんのおかげで大損にはならずに済んでいます。ありがとうございます」と可愛げのある返しをすると、ニヤリと笑って続けた。

「一圭、明治座は面白かったよなあ。そりゃあいろいろ大変なこともあったけど、なかなか経験できないことをやれて俺も楽しかったんだよ。それでそのあと御園座でやったんだけど、お客さんが全然来なくてさ。だからまた一緒にやってくれよ。それでよかったら……また事件起こしてくれよな」

世間の目が届かぬパーソナルなやりとりの中でも、前川は純烈をいじった。それはつまり、公の場であろうとなかろうと「おまえたちとの関係や距離感は変わらないよ」ということである。

事実、50周年公演の舞台でもスキャンダルをネタにし、観客をドッと沸かせた。笑うことさえ許されぬような閉塞感と重圧が続く日々の中で忘れかけていた人肌のぬくもりによって、純烈は救われた。

「俺たち、みんなが笑ってくれるようなことをやってもいいんだ――と。いろんな大御所さんがいる中で、僕らは芸能界で一番ラッキーな方に救ってもらえたと思います。それは芸人さん、俳優さん、タレントさん、歌手とオールジャンルの中でベストでした。そこはね、前川さんの懐の深さですよ」

それにしても、一度も会ったことがなかった前川清が何度も夢に出てきたのはなぜだったのか。酒井いわく、それは妄想力によるものだという。

◆「会いたいと思う人が夢に出てくるんです、次は……」

幼少の頃から馬好きが高じ、府中競馬場の近くへ住むようになったのはファンも知るところだが、引っ越す前の段階で前川も馬主であることを調べ上げていた。だから自分の夢を先に達成させている人物として、すり込まれたと自己分析する。

「僕は会いたいと思う人が夢に出てくるんです。その中で、まだお会いしたことがないのがタモリさんなんですけど……いつか必ず会えると思っているんですよね」

運命的な出逢いが本当にあるならば、酒井はその繰り返しだった。人がまた人を引き寄せ、パズルのようにつながり純烈という名の絵画を描いてきた。

デビュー前、仮にも唄を歌うのだからと戦隊モノの役者たちが三軒茶屋のスタジオでボイストレーニングを始める。そこはDVD制作に携わった映画プロデューサーの紹介だった。

ボイストレーニングは、当然ながら教えてくれる先生がいなければ成り立たない。とはいえ、それまでまったく違う畑にいたのだから頼めるような人脈がなかった。

すると、そのプロデューサーが「なんなら知り合いのボイストレーナーさんがいるから、つなごうか?」と助け舟を出してくれた。だが酒井によって集められたメンバーは、スタートの時点でクエスチョンマークがニョキニョキと頭をもたげてきた。

「紅白に出ようっていうから乗った話なのに……なんでこんなおばちゃんとやんなきゃいけないんだ? これで本当にデビューできるのかよ」

口にはせずとも、メンバーたちの顔にはそう書いてあったと酒井は振り返る。それでもトレーニングを続けるうちに、このおばちゃん……琴姫とはだんだん波長が合ってきた。

<彼らと出会ったのは3年前。元映画の戦隊ヒーロー(ライダー)を演じていた6人の俳優さんたちを歌謡コーラスグループでデビューさせたいのでと、ボイストレーニングの依頼を受けた。

初めてのレッスンでスタジオに入ると、それは長身(平均183㎝)で超イケメン揃い!これはイケル、すごい売れると直感したのと同時に日本は大丈夫、彼らは日本の代表!と感じてしまった。

なぜ、それほどまでにインスパイアされたのかわからないが、次々とイメージが湧き上がってきて彼らのための楽曲を何曲も書き上げた。『涙の銀座線』は、そうした中で一番最初に誕生いたしました。

琴姫が感じる「純烈」の強く美しいスピリットが日本のみならず、アジアそして世界に広がりますように>

琴姫はデビュー曲『涙の銀座線』の作曲を務めた人物。彼女は純烈がまだ海のものとも山のもとも知れぬ2010年6月23日(発売日)の時点でブログにそう綴っている。

「最初、鹿島潤さんたちに書いてもらった詩を琴姫さんに渡して曲を書いてくださいと依頼したんですけど、これが6分ぐらいの超大作で。なんでこんなに長くなったのかと聞いたら『私は旦那が作詞家なんですが、人様が一生懸命考えた歌詞を削るわけにはいかないっていう気持ちになるの』って言うんです。それで、よろしければこちらでもっとシャープなものにするからということでお願いしたら、4分26秒のまとまったものになった」

琴姫を通じての縁(えにし)はさらに続く。2枚目のシングルをリリースするさいに「ウチの水木が純烈の詩を書きたがっているんだけど」と言ってきた。「そういえば旦那さんは作詞家だって言っていたな。どんなおっさんなんだ?」と思い、聞いたばかりの名前 “水木れいじ”を検索するや、酒井はイスに座ったまま後ろへひっくり返りそうになった。

◆琴姫さんの旦那さんはまさかの……

2009年に氷川きよしの『ときめきのルンバ』で第42回日本作詩大賞に選ばれ、翌年には天童よしみの『人生みちづれ』で2年連続受賞。三軒茶屋のスタジオでピーチクパーチク歌っている自分たちのために書いていただくにはあまりに恐れ多い、その筋の大人物だった。

「ちょっと琴姫さん! なんでこんな大きなことを今まで言ってくれなかったんスか?」

「水木とつきあうと、そういうシステムに純烈が組み込まれちゃうと思ったの。たとえ変な曲だと思っても、A面でリリースしなければいけない。水木と仕事をするのは、そういうことなのよ。演歌、歌謡曲の厳格な決まり事に純烈をハメたくなかった」

ボイストレーナーのおばちゃんとしか見ていなかった琴姫が、そこまで深く考えて純烈と接していた事実に酒井は言葉が詰まった。そしてそれをグイっと飲み込むと、こう返した。

「琴姫さん、ありがとう。でも俺は、そういう世界に踏み込んでいろんな勉強をしたいと思っているんです。純烈を成功させるためなら、そこでも勝負しなければならないっていう覚悟はできている。だから……水木さんに詩をお願いします」

こうしてできあがったのが『キサス・キサス東京』(2011年7月20日リリース)だった。今でも「ファンの間で支持が高い曲」と胸を張るが、じつは純烈のシングルの中ではもっとも売れず、ユニバーサルミュージックとの契約を打ち切られる。

ただ、そこで現実に打ちひしがれながらも「純烈を続けるんだ」という気持ちを持続できたのが、現在につながっていると酒井は言う。クラウンレコード移籍後第1弾となる3枚目のシングル『恋は青いバラ』(2013年1月9日)も、水木に作詞を依頼した。

さらに、ここで思わぬ人物が「若いリスナーのためにムード歌謡を作るのは僕も通用するかどうかドキドキなんだけど、やらせてもらえない?」と名乗りをあげてきた。あの『ラブユー東京』の作曲者・中川博之だった。

中川は4枚目のシングル『スターライト札幌』(2014年1月8日)を遺し、リリースから5か月後に77歳の生涯を閉じた。純烈のことも目をかけ、酒井らにとっては恩人と言っていい。

これほどの巨匠たちが、なぜムード歌謡の世界では青二才の自分たちをかわいがってくれるのか。それを熟考することで酒井は純烈の立ち位置を客観的に考えた。

「よく『純烈はなぜ人気があるのだと思いますか?』って聞かれるんですけど、自分は犬とか猫とかに対する愛し方に似ているんじゃないかと思っているんです。犬に『お手!』とやったら、なんとかやろうとするんだけど届かない。その可愛げや一生懸命さが純烈にはあるんじゃないかっていう。番組で使った人たちが、大してできないんだけどまた一緒にやりたいと思うような。

その場が大御所ばかりだと、なんとなく疲れてきちゃうじゃないですか。純烈みたいなのを置いておいて石川さゆりさんの『天城越え』を聴けば、ちょっとお茶して気分を戻してから聴けるみたいな。だんだん北島さん、前川さん、石川さんも見たいんだけど純烈も見たいってなっていったんじゃないかな。あんなに頑張ったんだからさ、持ち歌一曲ぐらいは歌わせてあげようよ……みたいなね」

制作サイドに限らず、その世界の先人や大物たちも同じ姿勢で支え、ある意味育ててきたのだろう。ただしそうさせるのは、純烈が思い入れを持てる対象であるから。12年かけて耕してきた磁場は、これからも縁を引きつけ続けるはずだ。

※次回からは6月12日に「マッスル」とのコラボレーションでおこなわれた「純烈のNHKホールだよ(秘)大作戦」の潜入リポートをお送りします。お楽しみに!

撮影/ヤナガワゴーッ!

―[白と黒とハッピー~純烈物語]―

【鈴木健.txt】

(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」

当記事は日刊SPA!の提供記事です。

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