アートフェア東京 エグゼクティブ・プロデューサー來住尚彦が語る「プロデュース論」とは?【連続インタビューVol.3】

SPICE

2019/8/7 12:30

東京国際フォーラムにて3月に開催された『アートフェア東京2019』のエグゼクティブ・プロデューサーである來住尚彦氏へのインタビューの第3回目。今回は來住氏のプロデュース論、プロデューサーとはどのようなものなのかを訊いた。


プロデューサーは1を1万にする仕事


――これまで2回、來住さんにインタビューさせていただきましたが、今回はよりパーソナルな部分、來住さんのプロデューサーとしての流儀をお聞きできればと思っています。來住さんは赤坂BLITZ、赤坂サカスのプロデュースというエンターテイメントの枠を超えたものを成功させています。そういった大きなプロジェクトを成功させるメソッドや秘訣、もしくは方程式というのはあるのでしょうか?

秘訣は、僕はクリエイターではない、ということです。クリエイターというのは0から1、0から2を作る仕事だと思うんです。だけど僕はクリエイターではなくて、1になったものをどうやって1万にするかという仕事をしているのかなと常に思っています。音楽のプロデューサーなので、曲を作ったこともありました。だけどもっと0から1を一生懸命作ってる人がたくさんいる。それを僕がどういうふうにトランスレート(翻訳)して、大きくしていくのか、ということが僕の流儀なんです。

――クリエイターが作り上げたものを翻訳して、多くの人に伝えるというのが來住さんの流儀であると。

例えば赤坂サカスや赤坂BLITZは、「赤坂」という抜群の場所があった。今、抜群の場所と言いましたが、1980年代バブルの時ぐらいは抜群の場所じゃなかったんです。1990年あたり、ちょうどバブルが終わった時というのは、日曜日の朝8時ぐらいの赤坂は人よりカラスのほうが多かったんです。そのような場所に1996年に赤坂BLITZを作ったんですけど、当初はやはりみんな反対したんです。だいたいライブハウスというものは、ターミナルステーションにあるから。ターミナルステーションでもない、赤坂に人が集まるわけがないと言われたんです。だけど先ほど言ったように赤坂という場所があり、TBSがあり、TBSが持つ土地もあったわけです。決して僕は0からは作らない。

――当時の赤坂という場所でも成功する、作り上げることができるという確信はあったのでしょうか?

ちょうどその時期に、ウォルト・ディズニーの本を読んだんです。ウォルト・ディズニーは1900年ぐらいにミズーリ州で幼少期を過ごしたんですけど、ミズーリ州で人々を困らせたものがふたつあったんです。ひとつはいつも起こる砂埃、あともうひとつはペスト。ペストってネズミが運んでるじゃないですか。ミズーリ州の人にとってネズミって最悪なものだったんです。でもそれを逆手にとって、ミッキーマウスという最高のものを作り上げた。みんなが嫌いなものを、みんなが好きなものに変えているんです。“みんな”って言葉がついた段階でこれは真逆にできるかもしれない、ということが書かれていたんです。

――最悪なものは、最高になりえる可能性があると。

そう、赤坂も“みんな”がダメだって言うのなら、ひょっとしたら良くなるかもしれないなと。僕がいつもやるのは、99%の人が反対するものをやるということ。半々だと100%に持っていくのが辛いんです。50%が良いと思い、50%はダメと思うというのは、その50%を51%にするのが凄く大変なんです。だけど“みんな”ダメというのは、何かきっかけがあれば、いきなり反対側に向くんです。

――ある意味、偏った意見の方が転換しやすいわけですね。

赤坂BLITZを作った時もみんなに反対されました。こんなところにライブハウスができても誰が使うんだと。赤坂サカスの時も、こんなところに人が集まる空間なんかできないと。大体TBSはセキュリティが厳しくて一般人は入れないので、なぜ入りやすいようにするんだという。そういう99%反対するものほど成功する可能性を秘めているんだと思うんです。僕がTBSを辞めてアート業界に入ると言った時もみんなに反対されました。99%まではいきませんでしたが、90%以上のみんなはTBSにいればいいじゃないですか、と言われました。

――そうですね。來住さんの実績から考えると全く別の世界に飛び込むことは理解できないと思います。

その中で「なんでアートなの?」ってなるわけです。僕的には「全員反対だね、よしよしよし」と。赤坂サカスを作った後自分が何をするのかということを考えた時、エンターテインメントであればみんなが納得する。プロダクションの社長とかレコード会社とかコンサートプロモーターとか演出家とか、いろいろそれまでの流れの中での選択肢はありました。僕は今まで全然やったことのないアートを選んだ。みんなに聞かれました「來住さんアート好きでしたっけ?」と。その頃は全く詳しくなかった。だけど「なんで?」と言われる事のほうが、多分“みんな”が驚くだろう、何か物事が動いた時に“みんな”がついて来てくれる可能性を秘めているのではないか、というふうに思うのが僕のプロデューサーの流儀であり、メソッドかもしれないです。

――それは來住さんの中で単に“みんな”が反対するものを選ぶということだけではなく、選んだものは、こうするとブレイクスルーするであろう、というのは当然あるのですよね?

一番は、その「絵」が見えたらOKかな。何かを作り上げようとする時って、常に色々なことを考えるじゃないですか。そういった考えている中で「絵が見えた」という瞬間に出会ったら、もはやスタートせざるを得ない、と。

――そういった何かを作り上げる際の最終到達地点、來住さんは「絵」と言われていましたが、どういった物がベースになって「絵」が出来上がるのでしょうか?

この間、羽島市というところで、10歳の子たちを集めた合唱会をやったんです。その合唱会では何をやったのかというと、最近の成人式って荒れるじゃないですか。なんで荒れるんだろう、荒れないようにする方法はないかなと考え、4年生のちょうど10歳の時に合唱会というイベントを行い、そのあと10年間、20歳になるまで「こういうふうに生きようね」というメッセージを10歳の子たち全員わたすんです。10年前の素直に歌う合唱会の写真があれば、そういった気持のまま成人式に出席してくれるのではと。もちろん何人かは欠席するかもしれません。だけど20歳になって、ちょっと悪い子になった子も、10歳の時の素直な時の写真が成人式に飾ってあったら、暴れられないと思うんです。10歳の時の自分に恥ずかしくて。そしてその新成人の心に何かが残る。というふうに何か、これをやりたいと思ったら、遡るという考え方が基本になっている。すべてそうかもしれないです。そういった思いから、最初にこういうことをしたいという「絵」を決めてしまうんです。

――その成人式の話は確かに効きそうです。小学校の頃の合唱コンクールなどの思い出、その時に感じた一体感って一生忘れませんよね。

この合唱会も「今日は皆様方に素敵なお歌をプレゼントします」と言って、幕が上がると子供達がいて、歌を歌います。そうすると来場していたご両親やおじいちゃん、おばあちゃんが涙する。そして終わったら先生達も泣いている。そんな嬉し泣きをしている両親や先生に囲まれた人生って、思い出って最高じゃないですか。そういうタイミングや、イベントをいかに作ってあげるのか。僕がエンターテイメントに関わってきて、どういうものが人の思い出に残っていくのかということを学んできたのです。それは人なのか、それとも物なのかというところで考え方に違いはあるかもしれないけれど、「思い出を作る」という原点は変わっていないのかもしれないです。

――これもプロデュースであると。來住さんのプロデュースとは人の思い出、そして人生を演出するとこなのですね。

そうですね。あとは、子供の頃から僕が嫌いなものは、人も嫌いに違いないというふうに思っているんです。「人が嫌がることはしちゃいけません」と子供の頃に親から教わるじゃないですか。人が嫌がることをしてはいけませんということは、「人がやってほしいことをやってあげなさい」ということなんです。僕の中ではずっと、僕が楽しいと思うことは、他の人も楽しいに決まっていると思うようにしているんです。そのためにも自分を一番平均的な所に置いておく、アベレージ化することをずっと心がけています。20代の頃は、本当に自分が合っているのかなと思っていましたが、30代になると周りをキョロキョロしなくなって、40代になるともはやアベレージ化だけではなくて、みんなを引っ張るというところを作らないといけない。というようにどんどん形は変わっていったかもしれないけど、アベレージ化から始まっているんです。

――さきほど言われた“みんな”が何を求めているのかを來住さん自身の考えと重ねていると。

だから、何かをする際に人が興味を持つのは当たり前になる。今そのようなことが、僕の中では当たり前のことだから、それを全面に出そうとは思ってないんです。でも原点はそこにある。

――やはりクリエイターにプロデューサーは無理ですかね。

もともと僕はクリエイターを目指していました。だから無理じゃないとは思います。クリエイターは、やっぱりクリエイターのこと、そして作品のことが全部分かる。それを増幅していってプロデューサーになるという形はあると思います。ただ僕のやり方はそれとは別で、すべてを一個ずつやりました。元々僕はエンジニアだったので、どうやって音を作るかというところが一番最初にあって、そこから次に照明に興味を持った。だから、赤坂BLITZの機材を何にするかを自分で決められたとかね。そのエンジニアの経験で、赤坂BLITZでクリエイティブまでできるようになった。そこまでいくと、もはやプロデュースなんです。だからワンアイテム、ワンアイテムを必ず勉強したほうがいいと思うし、クリエイターの方々は突き詰めたほうがいいと思います。その時、二つに分かれるのは、そこを突き詰めて更に深く行くのか、それをちょっと広げたほうが自分の幅が広がるのか、というその人のキャラクターで分かれると思うんです。幅を広げたほうがいいかな、と思う人はプロデューサーになれる。更に突き進んで行けるところまで行くって人はクリエイターのまま走ったほうがいい。そういう選択の問われる時って、一回二回じゃなくて、三回も四回もそういった“波”が来るんです。神様なのか仲間なのかわからない、お前はどっちに行くんだ?と常に問われることになる。もしかしたら、毎日「どっちに行くんだ?」と質問されているのかもしれない、と思ったほうがいいのかもしれない。

――プロデューサーという仕事は1を1万にする仕事と言われていましたが、プロデューサーによってやり方はそれぞれ違いはありますよね。

『宇宙戦艦ヤマト』って皆さんよくご存知だと思うんですけど、『宇宙戦艦ヤマト』って沖田十三が艦長の時と、古代進が艦長の時があるんです。あれがプロデューサーだと思うんです。つまり沖田さんのようなプロデューサーもいるし、古代進のようなプロデューサーもいる。自分がどっちのプロデューサーの形なのかなと見極めなきゃいけないと僕はすごく思うんです。僕の場合は常にどっしりと椅子に座りながら指揮をするというプロデューサーの形じゃなくて、ブラックタイガーに乗って、敵を攻撃しやっつけながら皆を率いるということをしているので、古代進タイプですよね。

――自分のタイプによってプロデュースの仕方を考える必要があると。

基本的には静のプロデューサーと動のプロデューサー、両方とも人はついてくると思います。動に集まりやすい人たちと静に集まりやすい人たちがあるのと、もちろん装備も違ってくるわけです。いわゆるプロデューサーが何を持っているかですね。そこに相手もあって、環境もある。環境によってはひょっとしたらまた自分がブラックタイガーに乗る古代進のパターンだけど、一時期は沖田艦長のように戦艦ヤマトの艦長席にどんと座ってやる、というのを自由自在に変化させなくちゃいけないということもある。だけど、基本的には自分が持っている資質、周りの持っている資質から、どっちのパターンにするかを考えて、あとは、状況によってどちらのプロデューサーもできるという形にしないと、やっぱり大きな物事は動かないかもしれない。だから、「俺はこういう形のプロデューサーだ」と言い切らないほうがいい。僕は言っちゃってるけど(笑)。古代進のようにしたいと思っているけど、沖田十三のようにしていないかというと、している時もたまにある。だから自分の形を決めつつ、プロデューサーは皆が思い描ける「絵」を描いて、進めていく。それが本当のプロデューサーとしての形なのではないか、と思います。

來住尚彦氏のプロデュース論はいかがだったろうか。1を1万にする仕事。自ら率いるのか、どっしりと構えるのか。赤坂BLITZ、赤坂サカスを作り上げ、そして今度は、東京全体がアートの街になることを目指している來住尚彦氏のプロデュース論は誰しもが悩む仕事への答えが入っている。

そんな來住尚彦氏が総合プロデュースする2019年9月7(土)~9日(月)に京都で開催される『artKYOTO』をぜひ体感して欲しい。次回Vol.4は『artKYOTO』について語っていただく予定だ。こうご期待。

当記事はSPICEの提供記事です。

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