テレビ全盛時代のお茶の間の人気者も『多磨霊園に眠る芸能人たち②』谷啓×望月優子×小坂一也×牟田悌三

TheNews

2019/7/31 16:00


多磨霊園には数多くの芸能人も眠っています。今回二回目はテレビ全盛時代に活躍しお茶の間の人気者となった人たちを紹介します。「ガチョーン」「ビローン」「谷ダァー」などの流行語を生み出し、映画『幸福』『釣りバカ日誌』、テレビ「なるほどザワールド」「時間ですよたびたび」など多数出演した谷啓(たに・けい)。

谷啓の本名は渡部泰雄(わたべ・やすお)。東京荏原(品川区)出身。高校時代からキャバレーでバンドマンのアルバイトをはじめ、アメリカの喜劇映画とジャズにしびれ、ジャズとギャグを将来の目標とします。1953年(昭和28年)中央大学在学中に、原信夫の楽団シャープス・アンド・フラッツに加入しトロンボーンを担当。また、フランキー堺とスティ・スリッカーズにも参加し、トロンボーンのスライドを足で動かして吹くなどのコミカルな演奏で人気を得ます。この頃より、芸名を米国コメディアン「ダニー・ケイ」を日本語風にした名前「たに・けい」としました。

1956年同じバンド仲間だった植木等の紹介でハナ肇に出会い、ハナがリーダーを務めていたバンド「キューバ・キャッツ」に移籍します。このバンドが後に「クレージー・キャッツ」に改名。1959年フジテレビ「おとなの漫画」、1961年日本テレビ「しゃぼん玉ホリデー」などの他、出演する映画は全て大ヒットし東宝クレージー映画と言われ、挿入歌「スーダラ節」「ハイそれまでヨ」「ドント節」など軒並み大ヒットをたたき出しました。1960年代後半からは個人活動が多くなり、単独でテレビや映画に俳優としてその持ち味をいかして活躍。2008年から体調を崩し、翌年よりレギュラー番組を全て勇退して療養生活を送っていましたが、2010年私邸の階段から転落し脳挫傷のため急逝。享年78歳でした。

望月優子さんのお墓

庶民的な母親役として人気を博し、国会議員にまでなった女優の望月優子(もちづき・ゆうこ)。本名は美枝子。後に新聞人・作家の鈴木重雄と結婚し鈴木姓となります。1930年(昭和5年)東京市立忍岡高等女学校を中退し、榎本健一が座頭をしていた東京浅草の第2次カジノフォーリー、新宿のムーラン・ルージュなどで望月美恵子の芸名で初舞台を踏みます。

戦後は、1947年に滝沢修らの民芸に加わり、「復活」「破戒」などの新劇に出演。1950年より松竹と契約し「カルメン故郷に帰る」「現代人」など映画の脇役として活躍。1951年から望月優子と改名。1953年に木下恵介監督「日本の悲劇」で主役の母親を熱演して注目され、初の主演女優を務めたのを皮切りに、「おふくろ」「米」で演技賞。以降、数々の作品に母親役として主演し、庶民の母親役第一人者と称されます。1971年参議院選挙に社会党から出馬し当選。沖縄返還特別委員会委員長などで活躍しました。

小坂一也さんのお墓

「元祖和製プレスリー」と呼ばれ日本で最も早くロックンロールを発表した一人である小坂一也(こさか・かずや)。名古屋市出身で東京育ち、小学校から高校まで成城学園で学び、後に総理大臣になる羽田孜は同級生で友人。高校時代から進駐軍回りのバンドに入り、1952年(昭和27年)ワゴン・マスターズにボーカルとして参加。高校を中退し、1954年コロンビアレコードから「ワゴン・マスター」でデビュー。カントリーアンドウエスタン、ロカビリーの歌手としてアイドル的な人気を集めました。「青春サイクリング」などがヒットします。

勢いそのままに、1957年映画俳優の青春スターとしてデビュー。その後、演技力を認められて、望月優子を発掘した木下恵介監督の作品や舞台、テレビドラマなどに数多く出演。渋い中年役として「マルサの女」「キャンプで会いましょう」などにも出演しました。

牟田悌三さんのお墓

ドラマ「ケンちゃんシリーズ」の父親役、「3年B組金八先生」第1シリーズでの杉田かおる演じる浅井雪乃の父親役など、庶民的持ち味の名脇役として活躍した牟田悌三(むた・ていぞう)。東京出身。北海道大学在学中より地元のテレビやラジオに出演し、卒業後は東京に戻り、劇団テアトル・エコー結成に参加。3年後フリーとなり、村上事務所所属の俳優として活動をします。1964年(昭和39年)頃からテレビ出演、1966年松竹映画「坊ちゃん」の教頭役で銀幕デビュー。その後、数多くの映画、テレビ、ラジオ、舞台と幅広く活動しました。

1980年からTBSラジオ「牟田悌三の税金相談」のタイトルで放送開始し、国税庁がスポンサーにつくなどタイトル変更や休み期間を挟みながら、2005年終了まで25年間にわたり1066回放送しました。また社会福祉活動にも力を入れ、世田谷ボランティア協会名誉理事長、夢企画あった会会長、北海道開発庁審議会特別委員なども務め、子どもの電話相談を受けつけるNPO法人「チャイルドライン支援センター」代表理事として、市民活動に大きく貢献しました。牟田はボランティア観について下記のようなことを語っています。

「ボランティアというと、自己犠牲とか、奉仕とか、正しき良き、どこかお高いところにあるものと思われがちですが、それではどうしても、『○○してあげる』という関係になってしまう。 ボランティアというのは、何かすると同時に、相手からも、もらうものがあるわけです。自分にとっても、自己開発であったり、自己実現につながるものであったり、体験学習だったりする。 学習しようと思ったら、お金を出してでもしますよね。それなのに、お金をもらったりしたら、おかしいじゃないですか。」

谷啓  埋葬場所: 13区 1種 43側(渡部家)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/tani_ke.html

望月優子  埋葬場所: 23区 1種 43側(鈴木家)
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/M/mochizuki_y.html

小坂一也  埋葬場所: 21区 2種 61側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/kosaka_ka.html

牟田悌三  埋葬場所: 12区 1種 10側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/M/muta_te.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

当記事はTheNewsの提供記事です。

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