あごうさとし、音楽舞台劇『触覚の宮殿』を上演~「身体が語る言語によって〈純粋言語〉を体験してもらえたら」

SPICE

2019/7/14 06:00



2019年6月22日にオープンした、京都の小劇場[THEATRE E9 KYOTO(以下E9)]。創立のために動いたメンバーの一人で、初代芸術監督に就任したあごうさとしが、一般観客向けの催しとしてはE9初の公演を行う。無人芝居や、カメラ・オブスキュラ越しに俳優を眺める舞台など、かなり実験性の高い演劇に挑み続ける演出家でもあるあごう。2018年に上演した作品を、音楽劇にリクリエーションする『触覚の宮殿』の内容と、その狙いについて語ってもらった。

『触覚の宮殿』は2018年7月に、E9から徒歩5分ほどの所にある関連施設[studio seedbox]で、E9が建つ東九条地区の住民に向けて上演した作品。自分の演劇スタイルだけでなく、自らのルーツや自分史を織り交ぜた「有り体に言えば、私の自己紹介」的な内容だという。

劇場がお世話になる東九条の皆さんに、最初にお披露目した私のオリジナル作品です。東九条は在日外国人の方が多く、被差別部落問題を抱える崇仁地区とも隣接するという、街のコンテクストが複雑なエリアで。舞台芸術の中だけの概念では収まりきれない、現在進行形の問題を抱える地域の市民にご覧いただくということで、なるべく自由な表現で、タブーと思われることにも触れた作品にしようと思います。
あごうさとし。会場となる[THEATRE E9 KYOTO]客席にて。 [撮影]吉永美和子
あごうさとし。会場となる[THEATRE E9 KYOTO]客席にて。 [撮影]吉永美和子

テキストは私の個人史と、私の先祖と思しき人の活動や出来事を、身体に絡んだ言葉で独白していくようなものになっています。私のルーツを調べた所、鎌倉幕府の初代問注所執事となった、公家の三善康信までたどり着くことができたんです。この人は叔母が源頼朝の乳母だったこともあり、長い間頼朝と協力関係にありました。また頼朝には、九条兼実という大物の公家のパートナーがいたんですが、その間を取り持っていた一人が康信と言われています。その兼実の屋敷があったのが(初演会場の)seedboxの場所なんです。ということは、私の先祖と思しき人は東九条までやって来てはいろいろな段取りをしていたわけで、それはまさにここ2・3年の私の活動と重なる部分があります。

ということで内容としては、平安時代末期のある時期の三善康信の行動と、今を生きている人間である〈私〉の自分史を並走して描きます。バブル期に香港に住んでいたとか、昭和天皇が崩御した時のこととか、宗教的な背景とか。どちらも改元のタイミングの頃の話であり、それを(令和に改元した)現在にやるという。そういう大きな物語を背景に、個人の身体にまつわる小さな表現を重ねていくのが、この演劇の基本的な構想になっています。そうすることで〈私〉あるいは〈私の演劇〉というものを、ある文脈の中で晒してしまおうということです

あごうさとし『触覚の宮殿』初演時の予告動画。

今回の改訂版は、石川県金沢市の文化施設「金沢市民芸術村」とのコラボレーション作品でもある。ということで、同施設レジデントアーティストのヴァイオリン奏者も参加しているが、彼女たちを始めとするミュージシャンたちの存在が「儀式的なものになる」という、今回の舞台空間を作り上げる大きな鍵となるそうだ。

今回は世界的に活動しているヴァイオリニスト奏者の方々と、現代音楽の分野でも活躍している大阪在住のソプラノ歌手にご参加いただきます。音楽を聴きに来るだけでも、十分値打ちがある(笑)。でも生演奏を単なるBGMにするのではなく、ヴァイオリン奏者も歌手も同じ演劇空間の登場人物として、俳優やダンサーと同じ地平で演奏、あるいは演技をしていただく……むしろソプラノ歌手の所作や呼吸によって、すべての演劇が進行されることになります。たとえばオーケストラでは、指揮者がいろいろな人の呼吸を合わせることで、全体のハーモニーを導き出すという作用があるじゃないですか? そういう役割を、ここでは歌手に担ってもらいます。

あとは指揮者って、ずっとお客様に背を向けてますよね。宗教的な儀式でも、神官や僧侶は参列者に背を向けて、祝詞やお経を上げている。ということは、儀式をつかさどる人と指揮者のあり方は、一つ似た部分があるのかと思い、その構造を取り入れました。舞台をつかさどる歌手はずっと客席に背を向けたままで、他の人たちは彼女の歌と動作に合わせて動く。つまりは演劇に、音楽や儀式の構造がレイヤーとして重なる……という作品になります
あごうさとし『触覚の宮殿』2018年初演より。 [撮影]井上嘉和
あごうさとし『触覚の宮殿』2018年初演より。 [撮影]井上嘉和

タイトルに「触覚」とある通り、身体感覚が今回の物語の大きなポイント。そして身体による意思の伝達は、バベルの塔崩壊以前に存在していたと言われる究極の共通言語「純粋言語」とはどういうものか? という、あごうの長年のテーマとも大きく関わっている。

この物語の中で私、あるいは三善康信はいろんな出来事に遭遇するわけですが、その出来事を出来事のままで語るのではなく、その時の身体現象の方を綴った告白文になってます。まぶたが痙攣するとか、足が硬直するとか、あるいはその時飲んだお酒が美味かったか不味かったかとか(笑)。身体に着目したのは、言語は当然言語ではあるけど、身体そのものにも言語は内包されているし、場合によっては言葉以上に言葉を饒舌に語るからです。

ちょっとした座り方や動作に正直な気持ちが出たりするし、あまりにも大きな出来事に遭遇して言葉を失っても、身体の方は手が震えたりとかすることで、常に何かを語ろうとする。しかも身体言語は、虚飾が入りにくいんです。殴られた時に口では“痛くない”と言っても、顔はゆがんでるとか。それは単純な条件反射もあるし、もっと何かと複雑に絡んで出てきている場合もあるでしょうが、いずれにしても身体言語のある種の純粋性みたいなものが、そこには存在すると思います。

そしてその言語の純粋性……〈純粋言語〉が、この作品の一番のバックボーンです。純粋言語とは誰にでもダイレクトに伝わる言葉、あるいはあらゆる言語の元になった、神とも通じることが可能な言語、というイメージ。身体から立ち上がってくる言語には、そういうモノの一端みたいなものを体験したり、近づいていける可能性があるのかなと。その〈純粋言語〉を感じさせることができれば、一つの空間で時を超えた物語を並走させても、身体を介して違和感なく立ち上がらせるのが可能ではないかと思っています」
あごうさとし『触覚の宮殿』2018年初演より。 [撮影]井上嘉和
あごうさとし『触覚の宮殿』2018年初演より。 [撮影]井上嘉和

今回京都は初の劇場、金沢にいたっては「公演を打つこと自体が初」ということで、通常の公演とは違った緊張感を持っている。と同時に、京都と金沢という2つの土地の違いが、面白い効果を生むかもしれないと期待を寄せる。

どちらも歴史的、文化的コンテクストが深い街で、お互い陰に陽に影響し合いながら進んできたという側面もあります。またこの作品自体が見方によっては、公家と武家の交流の話とも取れるのですが、そういう意味では公家の街の京都に対して、金沢は“加賀百万石”の(武家の)街ですし。この作品が抱えるある種の〈カルチャーが混じり合う〉というイメージは、京都と金沢という街そのものにも感じる部分がありますから、上演に対して非常に緊張しつつも、楽しみな部分が大きいです

E9創立のインタビューで、この劇場について「舞台芸術そのものの多彩さを〈市民〉に向けて紹介していく」のが理想と語ったあごう。演劇とダンスはもちろん、現代アートと演劇の微妙なボーダーを綱渡りするような作風に、音楽の要素まで大きく加わった舞台は、まさにその先鋒に相応しいものとなるに違いない。この公演も含めて、E9に通い詰めるのが予想されるなら、全公演が対象となる年間パスポート付きの「E9サポーターズクラブ」に、今のうちに加入しておくことをオススメする。

今年6月にオープンしたばかりの[THEATRE E9 KYOTO]夜の外観。 [撮影]吉永美和子
今年6月にオープンしたばかりの[THEATRE E9 KYOTO]夜の外観。 [撮影]吉永美和子

取材・文=吉永美和子

当記事はSPICEの提供記事です。

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