『SOOO BAAD REVUE』は関西ブルースシーンの凄腕ミュージシャンたちが残した伝説のレアグルーブ

OKMusic

2019/7/3 18:00

7月8日(月)が不世出のギタリスト、石田長生(享年62)の命日ということで、今週は石田が参加した伝説的バンド、SOOO BAAD REVUE唯一のスタジオ録音盤を紹介したい。関西独自の文化的背景から育まれてきたブルースシーンの成り立ちとともに振り返る。

■関西圏の独自の音楽文化

関西弁の歌をはじめ、関西圏の音楽文化は完全に日本のシーンで一定のポジションを得ている。パッと思い浮かんだところで言うと、上田正樹の「悲しい色やね」(1982年)、やしきたかじんの「やっぱ好きやねん」(1986年)辺りがそうだし、「ええねん」(2003年)というまさしく関西弁タイトルのヒット曲を持つウルフルズ、さらには関西人ではないDREAMS COME TRUEが関西弁を取り入れたナンバー「大阪LOVER」(2007年)を発表してヒットさせている辺り、完全に関西文化が邦楽に浸透した証拠であろう。

上記楽曲は音楽番組『関ジャム 完全燃SHOW』で関西弁ソングの魅力を特集した時に紹介されていたのでそこから引用させてもらったが、そもそも同番組の出演者である関ジャニ∞が関西出身だし、ジャニーズ事務所で言えば、ジャニーズWESTもそうだし、忘れちゃいけないKinKi Kidsだってそうである。NMB48を語るまでもなく、アイドルシーンにおいても関西文化は一定の勢力を誇っている。バンド系では、前述のウルフルズを始め、堺市の堺東銀座通り商店街で路上ライヴをやっていたコブクロ、阪神・淡路大震災の直後、アコースティック形態で出前慰問ライヴを行なったソウルフラワーユニオンが代表格だろうか。最近ではヤバイTシャツ屋さんもそこに名を連ねるかもしれない。また、ともに地元でフェスを主催している10-FEETやくるりといった京都勢もそれぞれに独自のカラーを打ち出している。

関西圏以外の地方においても、その土地柄を音楽文化、芸能文化に反映させている例もないことはない。ライヴハウス照和から何組もの有名アーティストが生まれた…なんて話のある福岡がそうであろうし、これまた多くの有名アーティストを輩出している北海道もそうかもしれない。だが、関西には九州とも北海道とも違った独特の求心力があるような気はする。

まぁ、そこは九州や北海道に比べて関西圏の人口のほうが圧倒的に多いという如何ともし難い問題があるわけだが、人口のことで言えば、関西圏よりもさらに人が多い(倍以上もいる)関東圏に際立った文化的特色があるかと言えば、その問いには即答しづらいのがちょっと面白い感じだ。ご存知の通り、関東圏は首都圏とも言って、日本のひとつの地域というよりも日本の首都であるというポジションのほうが強い。よって、地方的な特色が目立たなく、その点で関西圏ほどの色付けがしづらいのであろう。

東京には江戸言葉または江戸弁と言われる立派な方言があり、落語などの文芸においては受け継がれている。かと言って、これが即ち関東圏の文化かと言えば、東京在住の普通の若者たちが所謂“べらんめえ口調”で話しているのを聞いたことがないし、関西弁のようにポピュラー音楽で江戸言葉が使われているケースを筆者は知らない。あるにはあるのかもしれないが、誰もが知るようなヒット曲で全編が江戸言葉というものはないだろう。

そんなふうに考えると、関西圏の文化に如何に求心力があって、各方面に影響力を与えているかを改めて感じるところではある(ちなみに、関東圏の音楽文化で言うと、“東京湾アクアライン”もしくは“海ほたる”連携とでも言うべき、横浜銀蝿から氣志團に連なるヤンキー音楽というのは関東独自のもののような気がするのであるが、今回のお題はSOOO BAAD REVUEなので、その辺は機会があればまたいつか…ということで)。

■関西ブルースシーンから登場

ポピュラー音楽に関西文化が取り込まれたのは何時頃からなのか。さすがに明治~大正期までをつぶさに検証することは、今回は適わなかったが、(また『関ジャム 完全燃SHOW』の関西弁音楽特集を引用させてもらうけれども)《わてほんまによう云わんわ わてほんまによう云わんわ》《チョットオッサンこれなんぼ》と歌われる笠置シヅ子の「買物ブギー」が1949年(昭和24年)に作られていたというから、太平洋戦争終戦後の間もない頃にはすでにその形態はあったようだ。ちなみに、「買物ブギー」はその翌年にレコードが発売されて45万枚を売り上げ、笠置シヅ子は1952年の『第2回NHK紅白歌合戦』で同曲を披露したというから間違いなく国民的ヒット曲であって、この時期、全国的に関西圏の音楽文化は世間に広まっていたと見てよかろう。

そんなふうに早くから流行歌と結び付いていた関西圏文化は1970年代に入ってブルースと融合していく。1971年にB. B. Kingが初来日を果たすなど、この頃はブルースが本格的に日本に紹介されたと言ったもいい時期であって、その人気は全国へ広まっていたようだが、大学の音楽サークル活動が盛んだった関西においては(京都が最も盛んだったとか)、ブルースのレコードを聴くだけでなく、自らプレイする若者たちが多くなっていったという。その中で頭角を現していったのが、1970年結成の憂歌団や、1972年結成のウエスト・ロード・ブルース・バンド、あるいは1973年結成の上田正樹とサウス・トゥ・サウス(上田正樹のソロデビューは1972年)らであるが(憂歌団、ウエスト・ロード・ブルース・バンドの名盤も以前、当コラムで紹介しているので、ぜひバックナンバーをご覧ください)、今回、名盤を紹介するSOOO BAAD REVUEもそのひとつと言っていい伝説のバンドである。

なぜ“伝説”かと言えば、このSOOO BAAD REVUEは1975年に結成され、1976年8月25日にアルバム『SOOO BAAD REVUE』でレコードデビューしているのだが、彼らのスタジオ録音オリジナル作品はこれだけなのだ(その後に発売のライヴ盤『LIVE!』を含めても世に出たアルバムはわずか2枚だ)。きちんとした資料が少ないこともあって正式な解散時期も情報が錯綜している。

『LIVE!』に収録されているテイクは、1976年9月の東京・武蔵野映画館と、同年10月の名古屋・東別院青少年会館で収録された音源である一方、こんな話もある。1976年8月7~8日に行なわれた、その当時、関西で圧倒的に支持されていたアマチュアバンドのコンテスト『8.8Rockday』にSOOO BAAD REVUEがゲスト出演する予定だったらしいのだが、解散のため出演をキャンセルするむねが当日、入場口の貼り紙で発表されたというのだ(その知らせを見て相当がっかりしたと述懐していることを書いた、どなたかのブログをお見かけした)。その辺から察すると、メンバー、関係者の間ではアルバム『SOOO BAAD REVUE』リリース前に解散が決まり、デビューアルバムが出る前にバンドがなくなるわけにもいかないので、ライヴ収録することで何とか最低限に事を収めたといった感じではなかったのだろうか。

いずれにしてもその活動期間は1年足らずということになる。一説にはメンバーが揃ってバンド名を“SOOO BAAD REVUE”として活動を本格化したのは1975年12月らしいので、仮にアルバム発表前に解散が決まっていたとすると、実質的にはほぼ8カ月程度しか活動していなかった可能性すらある。こうなると、伝説というより幻のバンドと言った方がしっくりくる。

■アルバム『SOOO BAAD REVUE』

SOOO BAAD REVUEはそもそも当時の関西音楽シーンにおいて名うてのメンバーたちが集ったバンドである。そのバンドが約1年しか稼働しなかったのだから、そりゃあ伝説と言われることもよく分かる。オリジナルメンバーは山岸潤史(Gu)、石田長生(Gu)、北 京一(Vo)、砂川正和(Vo)、永本 忠(Ba)、土居正和(Dr)、国府照幸(Key)、チャールズ清水(Key)の8名。メンバーの名前を列挙しただけではピンと来ない方もいらっしゃるかもしれないけれど、山岸は前述のウエスト・ロード・ブルース・バンドのメンバーだし(脱退後にSOOO BAAD REVUEを結成)、石田と土居は1971~1972年に上田正樹とバンドを組んでいたことで知られていた人たちだ。結成時、“山岸がスーパーバンドを立ち上げた”との話が当時の好事家たちの間には瞬く間に広がったとも聞く。

スタジオ録音のオリジナル曲はわずか10曲のみだが、今も残る音源でその凄腕たちのプレイを聴くことが可能だ。“SOOO BAAD REVUEの醍醐味はライヴ!”“決定版はやはり『LIVE!』だ”とのファンの声も根強いようだが、今回アルバム『SOOO BAAD REVUE』を聴いてみて、個人的には“いやいや、スタジオ録音も大したものだ”と思った。関西文化を取り込んだ音楽であることは間違いないのだけれども、歌詞を除けばコテコテ過ぎないと言おうか、関西関西した印象をあまり受けないのである。M7「おおきにブルース」やM9「しょぼくれ あかんたれ」、M10「お母ちゃん俺もう出かけるで」辺りはタイトルからモロに関西文化を取り込んでいることが明白だし、M3「ここを過ぎて悲しみの街」での歌とギターとの絡み合いはまさにブルースのそれではあるのだが、ミキシングの具合が関係しているのだろうか。

泥臭いがゆえに存在感がある憂歌団、ブルースというよりもロック色のほうが強い印象のウエスト・ロード・ブルース・バンドとはまた別の空気感がある。簡単に言えばスタイリッシュで、お洒落さすら漂っていると思う(個人の感想です)。オープニングのインストナンバー、M1「ソウル地下鉄」からして文字通りファンキーでブルースフィーリングも十分なのだが、軽快でポップ。M2「最後の本音」も同様で、この時まだ19歳だったという砂川の瑞々しいヴォーカルと相俟って、ソウルはソウルではあるものの、ソウル特有の暑苦しさのようなものが薄まっている気がする。そこがいいところであろう。

その点での白眉は、メロウで、どこかロマンチックな雰囲気を残すM5「真夜中の歌姫」ではなかろうか。間奏のコーラスワークはまさしくソウルミュージックを感じさせるものではありつつ、オキナワンな要素やレゲエっぽい要素もあって、多国籍でも無国籍でもある不思議なナンバー。本作のレコーディングにおいては、レコード会社からカバー曲ではなく日本語であることと、オリジナルであることというお達しがあったそうだが、「真夜中の歌姫」はその条件をクリアした上でSOOO BAAD REVUEならではのオリジナリティーを乗っけている印象だ。

歌は随分と生真面目な感じだなと思って聴いていたら、どうやらこの楽曲のコンポーザーである石田長生が自ら歌っているそうで、これも「真夜中の歌姫」のアクセントとして成立していると思う。レゲエつながりで言えば、山岸潤史が作編曲を手掛けたM9「しょぼくれ あかんたれ」もレゲエで、こちらは“~くれ”や“~たれ”といった発音をラテンっぽさに重ねているのが何とも面白い。名うてのミュージシャンならではの遊び心を感じさせるところである。

あと、M6「透明人間」でのキラキラとしたサウンドメイクや、歌だけ聴いたら完全にコテコテなM10「お母ちゃん俺もう出かけるで」でのキーボードの音が少しテクノポップ風な感じなど(テクノポップが日本で流行ったのは1970年代後半なので直接関係はないだろが…)、聴きどころは多い。伝説、幻と形容して歴史に隙間に埋もれさせるのは惜しい、1970年代大阪のレアグルーブである。

TEXT:帆苅智之

アルバム『SOOO BAAD REVUE』

1976年発表作品

\n<収録曲>
1.ソウル地下鉄
2.最後の本音
3.ここを過ぎて悲しみの街
4.銀太郎
5.真夜中の歌姫
6.透明人間
7.おおきにブルース
8.青洟小僧
9.しょぼくれ あかんたれ
10.お母ちゃん俺もう出かけるで

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当記事はOKMusicの提供記事です。

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