4度も“死”から甦ってわかった。「人生とは、“回転寿司”である」──声の仕事人・ケイ グラントの仕事論(4)

60歳を過ぎても現役DJとして活動しているケイさんに、これまでのキャリアや仕事について語っていただく連載インタビュー。前回は格闘技のリングアナ、歌手としての活動などについて聞いた。シリーズ最終回となる今回は声の仕事に懸ける思いや、4回死にかけた心臓病のこと、これまでの経験から若手ビジネスパーソンに伝えたいことなどについて語っていただいた。

プロフィール
ケイ グラント(けい ぐらんと)

1959年、東京都生まれ。1979年、プロの水泳コーチを目指しアメリカ留学。1982年、帰国後、水泳コーチに。ボティビルトレーナーとして活動していた1988年、開局したJ-WAVEでDJとしてデビュー。その後NACK5やFM東京、FM横浜など様々な局でDJを経験。テレビでも日本レコード大賞・バラエティ番組・CMのナレーションなどを担当。2000年からはPRIDEやDREAMなどの格闘技イベントのリングアナとして大会を盛り上げた。2010年には歌手としてもデビュー。現在もbayfm78の「低音レディオ」のDJとして活躍中。


声の仕事に懸ける思い

──ラジオDJ、テレビ番組や映画、CMのナレーション、司会、リングアナ、歌手など、すべての声の仕事に共通する魅力は?

17歳くらいの時に、こんなことを日記に書いているんです。「誰かを感動させたり、人々から称賛される仕事を一度でいいからしてみたいものだ」と。例えばナレーションの仕事で言うと、「輝く! 日本レコード大賞」の生放送のナレーションは13年ほどやらせてもらったのですが、そのアバン(※オープニングに入る前に流れるプロローグシーン)は非常に感動的なものだったんですね。東日本大震災の年など、自分で読んでても泣けちゃって読めなかったくらいの回もあるんですよ。その時の映像や台本も残っていて、後々関係者から聞いたのですが、「僕もあのオープニングアバン、読みたいです。読ませてください」って言う後輩がけっこういたらしいんです。それを教えてくれた人に「ケイさんは気が付かないかもしれないけど、周りはそのくらいの感動を得てる」と言われた時は、「へえ、そういうことってあるんだね」と思うと同時にやっぱりとてもうれしかったですね。17歳くらいの時に何となく夢見たことが期せずして実現できたわけです。

ただ、その一方で、声の仕事は絶対に嘘がつけないんですよ。映像がないぶん、声に仕事に対する思いや真剣さ、姿勢など人間性のすべてが出ます。全部わかっちゃうからごまかしがきかない。そこが恐いところでもあると同時に、僕のすべてを懸けて取り組む価値のある仕事だと思っています。

生死の境を4度もさまよう

──これまでいろんな仕事をしてきたわけですが、つらいと思う点ってないですか?

全然ないですね。今までどの仕事も辞めたいと思ったことはありません。

──ではこれまでの人生でつらい時期って全くなかったですか?

単純につらいというのとはまた違うけど、これまで心臓の病気で4回死んでるんです。運良くこっち側に戻ってこられたけど。この時は心身ともにしんどかったですね。

1回目は1993年、34歳の時。結婚して1週間後に心筋梗塞になったんです。ある晩、自宅で寝てた時、胃の裏を300番くらいのヤスリでジャリジャリ削られてるような痛みを感じて目が覚めました。みぞおちのど真ん中だからたぶん胃が悪いんだろうなと。当時はDJの仕事で多忙を極めていた上に、タバコも酒もかなりの量を飲んでて、おまけにまともに寝ていなかったからそのせいかなと思っていたら、だんだん痛みがひどくなってきて、10cmくらいの杭をハンマーでバカーン! とみぞおちに打ち込まれているような痛みになったんですよ。妻に救急車を呼んでくれと頼んで、到着する間、いてー! って叫んでました。その朝、NACK5に行かなきゃいけなかったんだけど救急病院に運ばれちゃって、医者から心筋梗塞と診断。そのまま入院してカテーテル手術をして助かりました。

2回目の心筋梗塞は2000年1月、41歳の時。格闘技のリングアナとしてデビューする4ヵ月前、うちの弟が経営するスイミングクラブのプールで泳いでいた時、「カチン」という音がしたんですよ。体の深いところに痛みが走ったからすぐプールから上がって、体拭きながら弟に「救急車を呼べ」と指示しました。弟は「そんなに元気なのに本当に救急車を呼ぶの?」と言ったんですが、「呼べ、急げ」と。病院に運ばれたら案の定、心臓の中でも結構重要な血管が詰まってて、病院に着いた瞬間に心停止になったんですよ。でもおもしろいことに、血圧や脈拍などのバイタルを表示する生体情報モニターの心電図がフラットになった瞬間が見えたり、「ピー」って鳴ってる音が聞こえるんです。

そして、この後の医者と看護師の会話も全部聞こえてるんです。

看護師「フラットラインです!」

医者「電気焚け!」(「AEDの用意をしろ」ということ)

看護師「してあります!」

ケイ「本人は意識あるって言え!」

看護師「本人、意識あるっていってます!」

医者「いいから焚いとけ焚いとけ!」

で、この後死ぬんですよ(笑)。後で起きた時、

ケイ「まだやってんのか、急げよ!」

医者「起きるとうるせえな、もう起こさねえぞお前!」

ケイ「そっちがトロいことやってっからだろう! 痛てー! 早くしろ! モルヒネか何かねえのかよ!」

モルヒネ打たれて痛みは消えてよかったんですが(笑)。その後、無事に生き返ってICUに行ってその後一般病棟に入ったんです。

──ケイさん、驚異的な強さですね。

生きようとする人間はそのくらいの勢いがないと死んじゃうからさ。

3回目の心筋梗塞、バチスタ手術を受ける

3回目は2008年、49歳の時。この時が一番ひどかった。発端は6月のウガンダ・トラさんの葬儀を終えた頃、なんか息苦しいと思って病院に行ったら急性心不全と診断されて強制入院。この時は4日ほど入院しただけでOKとなり、その後は普通に生活をしていました。でも7月のはじめ頃、歩いていたら急にお腹に「ズン!」という痛みと息苦しさを感じて病院に行って診察してもらうと、左心室の僧坊弁の逆流がひどくなっていて、1回プッシュすると40%くらい戻っちゃうとのことでした。だから心臓ばっかり頑張るんだけど全身に血が送られなくなっていた。原因は溶連菌感染。心臓が悪い人が溶連菌に感染すると心臓の弁がダメになるらしいんです。だから大阪で「DREAM5」のリングアナをやった時も、結局10試合中3試合しかコールができず、コールを終えると貧血寸前になっていました。

お腹も腹水が溜まって臨月の妊婦のように膨らんじゃってね。ちょうどこの頃に、前に話した歌手デビューのきっかけとなった出来事があったんです(第3回参照)。もう手術しかないと思って、六本木の心臓血管研究所の主治医と相談して、7月30日に入院してカテーテル検査で心機能を見る予定だったんですが、前日の29日に突然、3.5リットルの大量下血したんです。ボルドーのいいワインみたいな色をしてたのを覚えています(笑)。出血性ショックで死ぬかもしれないから妻とタクシーで心臓血管研究所に行ったら、「うちは心臓専門の病院なので、これは無理です」と言われて、原宿救急隊の救急車に乗って日赤医療センターへ緊急搬送されました。ICUに入って胃カメラ検査したら、胃潰瘍の穴が1つとピロリ菌感染による急性の穴が2つ、計3つ空いてて、そこから腹水が一斉に胃の中に流れ込んで大量下血したとのことでした。下血した翌朝はびっくりしましたね。臨月の妊婦みたいだった腹が全部引っ込んで、割れた腹筋が姿を表したんですよ。

▲3回目の心筋梗塞でバチスタ手術を受け、入院した時の写真

その後1週間くらいかけてピロリ菌撲滅の治療をしてOKになったところで心臓血管研究所病院に戻って、カテーテル検査で心臓をチェックしたところ、なんと拡張と収縮の差が7mmしかなかったんです。これはかなりヤバい状態で、医師に「年内死亡確率が98%、今すぐオペしないと死ぬ!」と告げられ、バチスタ手術をやったわけです。幸いにして6~7時間に及ぶオペは大成功し、またしても一命をとりとめたわけです。入院中はアニキと慕うラッツアンドスターのリーダーの鈴木雅之さんやTBSアナウンサーの小林麻耶ちゃん、ブラザーコンさんなど、たくさんの友人知人がお見舞いに来てくれたり電話をくれました。また全国のファンの皆さんからも励ましのメッセージもたくさんいただきました。そのおかげで、2008年12月30日の「第50回輝く! 日本レコード大賞」、大晦日の格闘技イベント「ダイナマイト」から完全な体調で復帰することができました。本当にありがたかったです。

4回目でAEDを埋め込む

──それ以降はもう大丈夫なんですか?

それがね、「よし、もう何もないぞ、しばらく生きていけるだろう」と思っていたんですが、翌2009年の誕生日(1月12日)を過ぎたあたりに、テレビを見てたら急にブラックアウトしてバターンと倒れたんですよ。その時、本来なら駆けつけた救急隊に心臓血管研究所に行ってくれと言わなきゃいけないんですが、僕が気絶している状態だからそれができなくて、取りあえず千駄木の日医大に運ばれたんです。そこで一瞬起きて「大至急、心臓血管研究に行け!」と言ってまたバタンと倒れたらしいんですよ。それで救急隊が心臓血管研究所に行ってくれて、治療を受けられたんです。

朝起きたら心臓血管研究所で。「なんで俺、ここにいるの?」と妻に聞いたら、昨日ああでこうだったのよと。今回の原因は心室内細動。問題の部位が深すぎて、外からAEDを貼っても作動しないんですよ。だから医者に安全策のため「心臓発作が起きた時、AEDのように電気ショックを与える機械を体内に入れた方がいいよ」と言われたので、すぐ手術してイタリア製のICDという内蔵型のAEDを埋め込んだんです。

▲左胸には今でもICDが

──今度こそ、それ以降は大丈夫なんですか?

それが大丈夫じゃないんですよ。この話はこれまで公表してないんだけど、2016年に台風10号が来た時、ストーミング現象ってのが起きて、気圧の変化で心臓が止まってないのに急にICDが作動したんですよ、「ドン!」って。だけど確かに心臓も心室内細動が起きていた。頻度が高くなって、1日最高で35回くらい作動するから電池がなくなっちゃった。それでまた心臓血管研究所に行ったら、カテーテル手術で取りあえず心臓の機能を半分殺そうということになって、最初、ポイント溶接みたいな感じで心臓を7回くらい焼いたんですよ。それでも全然ダメで、結果的に35箇所くらい、悪さしていた心臓の裏側を焼いて、動かなくしました。前側だけで鼓動するようにしたわけですが、そしたらようやく止まったんです。

2016年12月5日にようやく退院できたのですが、その時看護師長から「あんた自殺するかと思ったけど本当にタフね」と言われました。「だって自殺なんかしたらもったいないでしょ。生きるために入院したんだから」と答えたら、「そうよね。今の言葉、録音しといて気の弱い患者に聞かせたいわ」って笑ってました。

──なぜ師長は「自殺するかと思った」って言ったんですか?

そのくらい、ICDが作動すると肉体的・精神的ダメージがでかいんですよ。毎回、心臓をショットガンで撃たれるくらいの衝撃があるので。もう言葉では言い表せないくらいの激痛です。

──それは確かにめちゃくちゃタフですね。

タフですよ。生きていたいという気持ちが強いんですよ。生きるためにはタフにならなきゃ。体が弱いですからハートくらい強くないとダメですよね。(笑)。

4回死んだことで人生観が変わった

──しかし何回も死の淵から蘇ってるのはすごいですね。

完全に死んだ状態を経験したのは4回ですね。2回目の心筋梗塞、3回目のバチスタ手術、その翌年のブラックアウト、そして2016年のストーミング現象。「死ぬ」ってのはうたた寝と同じで、カクって意識を失う時がありますよね。真っ暗な無の世界。それが永遠に続くか、2秒で終わるかの違いだと思うんですよ。

──これまで何度も死にかけた経験をしたことによって、人生観とか死生観って変わりましたか?

3回目でバチスタ手術を受けて生還した時、明日がないかもしれない人生っていうのは大事にしていかないといけないなと思いましたね。だから歌手デビューの話をいただいた時も、もらった命だから何でもチャレンジしていこう、そうしなきゃ一度きりの人生、もったいないな、だからやってみようと思ったんです。

それと、2016年の入院も自分には非常にいい戒めになっています。2008年のバチスタ手術が成功した後は、オールOKになったと思ったんですが、翌年ブラックアウトしてちゃんと裏切られた。この時の手術で体内に機械も入ったし、今度こそもう安心だ、後は人生の残り時間をいかに有意義に過ごすしかないと思っていた。でも2016年にも裏切られて、ICDのトラブルで心臓の裏側をほぼ焼かなきゃいけなくなった。だから世の中ナメてちゃいけない、何が起こるかわからない、死ぬまで安心できない、だからこそ後悔のないように精一杯生きなきゃいけないと改めて思ったわけです。

それからはとてもいい感じですよ。2018年には銀婚式と芸能生活30年周年を、今年の1月には還暦を無事に迎えられたので、とにかくありがたいなという思いしかないですね。今回の取材もものすごく感謝してます。本当に生きてさえいれば、いいことがいっぱいあるなと心底思いますね。

死なないことが目標

──今後の目標を教えてください。

死なないことです(笑)。仕事もそんなに増やしたいとは思っていません。家族を養えられる程度で十分だし、そろそろ子どもたちも独り立ちする時期に来ているので、明るい老後を過ごせればいいかなと思っています。

──ケイさんにとって仕事とはどういうものですか?

ひと言でいうなら趣味ですね。自分が好きでやりたいこと。仕事はライフワークじゃなきゃいけないと思います。目的は、自分をキープさせるためのもの。もうこの歳(60歳)になると発展はないよ。だから現状維持のためのリハビリ、ボケ防止のためにやるって感じかな(笑)。

──好きなことを仕事にした方がいいと思いますか?

それは一概には言えないかな。好きなことを仕事にしたら、好きなことが嫌いになっちゃうこともありますからね。でもそうなったら、別の好きなことを探して見つければいいんじゃないかと。

人生は回転寿司である

──今の若手ビジネスパーソンへ伝えたいことがあればお願いします。

僕の人生は29歳で想像すらしたことなかったくらいに劇的に変わったので、年齢は関係ない。ただ、目の前に小さくても必ず幸運は転がってる。それを逃さないことが大事だと思いますね。人生は回転寿司なんです。目の前に金の皿が来た時にさりげなくすっと取れるかどうかです。目の前に来るより先に手を伸ばしたら別の皿をつかんでしまうし、ちょっと遅れたら隣の人の前に行っちゃうから取れません。

──その皿が金の皿か、気づけるかどうかも大事ですよね。

そうですね。その皿が金の皿かどうかを判断する力、嗅覚も必要です。

──ケイさんはその嗅覚は鋭いんでしょうね。

いや、単純に運がいいだけだと思いますけどね。

──でも自分から動いてないとその運もつかめないじゃないですか。

確かに動いてはいますね。自分が散々動いてみて何が無駄で何が効果的かというのはようやく最近わかってきました。例えばこの業界で仕事をする時もこの動きは大事、これはいらないだろうというのがあるんですよ。これまでたくさん動いてきたからこそわかってきたのかも。

あとは、世の中や他人に迎合しない方がいい人生が送れると思いますね。自分のカンを信じて、オリジナリティを大事にした方がいい。例えば、僕のこの髪型って90年代前半には、みんなから「何そのモヒカンみたいな頭は」ってバカにされたんですよ。でも今や銀行マンなど、堅いとされている職業の人も僕と同じ髪型してますよね。あれを見るたびに笑っちゃうんですよ。俺の時はあんなに言われたのに、今は普通じゃんと。だから奇抜であれということではなく、自分のスタイルみたいなものがあるとしたら貫いた方がいいよと言いたいですね。他人の目ばかり気にしてたら生きてて楽しくないし、後悔が残る人生になるんじゃないでしょうかね。

それから、お金が稼げても、すごく忙しくて挙句の果てに自殺したら意味がないわけですよね。だから仕事一辺倒じゃなくて、心に余白をもって何かを楽しむとか、多少なりともゆったりできる時間をもつようにすることが必要だと思います。社畜になっても会社だけが潤うだけだからしょうがない。それよりもっと自分を潤してねと伝えたいですね。

~取材を終えて~

ケイさんと初めてお会いしたのは7、8年前。食事の席でご一緒させていただき、あのいい声を間近で聞き、惚れ惚れすると同時に、披露していただいた話がとてつもなくおもしろかったことを覚えています。この時から、いつかインタビューさせていただきたいと思っていました。

一番驚いたのは腰の低さ。体の大きさ・厚さ、見た目のいかつさ・ワイルドさとは裏腹に、誰に対してもとても丁寧に優しく、ユーモアを交えて接し、細かいところまで気を配る繊細さに感動しました。それはその後何度かお会いした時も同じでした。

そして、昨年の芸能生活30周年、今年1月の還暦という大きな節目の年に、改めてこれまでのキャリアを振り返っていただくと同時に、60歳を過ぎても現役DJとしてバリバリご活躍されている理由を聞きたいと思い、インタビューをお願いしました。

インタビュー中はこちらの質問に丁寧にお答えいただき、愛車にまで乗せていただき、少年時代の遊び場、かつてのグラントハイツがあった光が丘公園一帯を案内していただきました。今回の取材で現在も多くのファンから愛されている理由がわかった気がしました。

私もケイさんがDJを務める「低音レディオ」(bayfm78 毎週土曜20:00~21:57)を聞いているのですが、ケイさんの重厚かつ軽妙なトーク、リスナーと作り上げる一体感、そして選曲に毎週癒やされています。今後も一リスナーとして楽しませていただくと同時に、70、80歳までご活躍されることをお祈りしています。

取材・文:山下久猛 撮影:守谷美峰

当記事はリクナビNEXTジャーナルの提供記事です。

あなたにおすすめ

ランキング

もっとよむ

注目ニュース

もっとよむ

あなたにおすすめ