佐藤浩市は本当に「安倍首相を揶揄」していたか? 異常な支持者の空気

wezzy

2019/5/15 17:30


 俳優の佐藤浩市が、潰瘍性大腸炎を患う安倍晋三首相を揶揄したとして、一部で批判を浴びている。佐藤浩市は5月24日公開の映画『空母いぶき』で内閣総理大臣の垂水慶一郎役を演じており、映画公開にあたって「ビッグコミック」(小学館)2019年5月25日号にインタビューが掲載された。

そのなかでの発言が、安倍首相の持病を揶揄しているとしてネトウヨ層を中心に大炎上しているのだ。具体的に炎上要因とされている箇所を引用する。

<最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね>
<彼はストレスに弱くて、すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらったんです。だからトイレのシーンでは個室から出てきます>

作家の百田尚樹氏は<三流役者が、えらそうに!!><思想的にかぶれた役者のたわごとを聞いて、下痢する首相に脚本を変更するような監督の映画なんか観る気がしないというだけ>とツイート。

また、幻冬舎社長の見城徹氏も<そんなに嫌なら出なければいいだけだ。しかも、人の難病をこんな風に言うなんて。観たいと思っていた映画だけど、僕も観るのはやめました>といったつぶやきを投稿した。
佐藤浩市が設定を変えた理由は安倍首相を貶めるためか?
 このことはワイドショーでも取り上げられる大騒動になっているが、『モーニングショー』(テレビ朝日系)のコメンテーター陣は、「ビッグコミック」での佐藤の発言は安倍首相への揶揄ではない、と全否定した。

まず、ジャーナリストの青木理氏は、この件で批判している人たちを<(インタビューの文章を)読まれてないんじゃないか><読解力が相当低いのかなと思っちゃうところもある>と喝破。このように語った。

<僕がここから読み取れるのは、一国の総理といっても人間であって、やっぱり色々な弱さとか葛藤とか、それは肉体的な面、精神的な面抱えているなかで、悩みながら色々な判断をくだしていくと。ただし、やっぱり総理になると背負っていく責任がものすごく大きいので、人間が変わっていくんじゃないか。そういう成長だったりとか、人間の内面みたいなものを描きたいというふうに僕には読めるんですよ>
<ある種のリアリティーを追求するために、演じる方がこうしたいと思ったということであって、別に僕これを読んで、安倍さんを馬鹿にしてるとか、病気を茶化してるなんてニュアンスはいっさい感じないんですよ。その辺、ちゃんと読まれて批判されてるのかな>

映画『空母いぶき』のストーリーは、国籍不明の武装集団に日本の領土の島を占領されたことから始まる。自衛隊には「専守防衛」の根本原則があるが、そのなかで日本政府や自衛隊がどう動くのかが物語の核となっていく。

映画『空母いぶき』において、佐藤は、垂水内閣総理大臣にある種の「人間味」といったものをもたせようとした。言うまでもなく総理大臣という職は非常に責任の重い仕事だ。ましてや、垂水総理大臣は太平洋戦争以降ずっと平和を守り続けてきた日本で、「武力行使」に直面することになる。

原作漫画でも、戦闘開始の命令をくだすか否かの決断を迫られ、プレッシャーのあまり垂水総理大臣がトイレで嘔吐するシーンが描かれている。映画ではこの部分が下痢になっているそうだ。

「お腹の調子」は精神的なストレスが敏感に影響する部分であり、ここに弱さを抱えているということは、「総理大臣という要職にあってもひとりの人間である」ということの表現であろう。

この設定には、また他の意味もある。ある種の「弱さ」をもった一国のリーダーが、国の行く末を決定づけるような重大な局面とぶち当たることによって変わっていく。垂水内閣総理大臣の成長によるカタルシスを物語のなかにもたらさろうとしているのだ。

事実、佐藤は「ビッグコミック」のインタビューのなかで、このようにも語っている。

<少し優柔不断な、どこかクジ運の悪さもたいなものを感じながらも最終的にはこの国の形を考える総理、自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理にしたいと思ったんです>

ちなみに、佐藤は「安倍晋三」の「あ」の字もインタビューのなかで出していない。これを「安倍首相への揶揄である」と読むのは、いちゃもん以外のなにものでもないだろう。
健全な社会をかたちづくるために必要な「風刺」
 『モーニングショー』のなかでテレビ朝日の玉川徹氏は一連の騒動を<単に安倍応援団の人が安倍を馬鹿にしていると受け取って怒っているっていうだけの話ですよね。別に、それ以上でも、それ以下でもない>とする一方で、ひとつ大きな問題提起をしていた。

<逆にですよ、『もしかしたら安倍応援団だったらこう考えるかもしれないな』とかって編集者が考えるかもしれないですね。佐藤さんじゃなくて。で、編集者がそうやって考えたときに、『こういうことを載せたら怒るかもしれないな』と思って、だから忖度して自分の本当の考え、たとえば『嘔吐よりも下痢のほうが役者としてやるうえで良いと思ったんだ』というふうなところを引っ込めてしまうほうが嫌だな>

青木氏も玉川氏の発言に同意し、<そんなふうに(インタビューには)書いていないんだけれども、仮に馬鹿にしたり、揶揄したりとかしたりしてですよ、なんでこんなに批判されなくちゃいけないんだろう。むしろ、政治の風刺であったりとか、政治家に対する風刺であったりとかは、メディアとか芸能の世界に本来あるべきものですよね。それが『安倍さんのことを馬鹿にするのはけしからん』みたいになって、ある種、表現の幅とか表現の可能性とかがどんどんなくなっていっちゃうようなことのほうが怖いですよ>と語る。

事実、欧米諸国をはじめ、民主主義や言論の自由が息づいている国では、資本家や政治家の人間的特徴を揶揄した「風刺」が日常的に行われている。「表現」「芸術」を用いて権力者を笑うことは、圧倒的な力を手中におさめた人たちに対して民衆が持ち得る数少ない抵抗手段であり、それは何世紀も続いてきたことである。

宮廷道化師は王様や貴族に対して笑いを込めた批判をすることが許されており、そういった道化師たちの言葉が権力者に対して民衆の気持ちを気付かせるきっかけともなった。

それは現在でも変わらない。『ザ・レイト・ショー・ウィズ・スティーヴン・コルベア』(CBS)や『サタデー・ナイト・ライブ』(NBC)などのトーク番組・コメディ番組は連日のようにトランプ大統領をネタにしたコントを披露しているが、健全な社会のためにはそれだけ「風刺」というものが重要であるということだ。

先に述べた通り、今回の佐藤浩市のインタビューに関しては安倍首相を嘲笑する意図は込められていないと考えられるが、たとえそういった意図が込められていたとしても、それは歴史的に見て正当な表現の手段である。むしろ、首相への批判や風刺を弾圧し、封じ込めようとする空気のほうが異常だ。

佐藤浩市「日本は常に『戦後』でなければいけない」
 蛇足になるが、佐藤の役づくりが「人の病気を嘲笑う」といった浅薄なものでないことは、「ビッグコミック」で語られたこんな言葉からもよくわかる。インタビューの最後に<この映画からどのようなものを受け取ってもらいたいですか>と聞かれた佐藤はこのように語っている。

<日本は常に「戦後」でなければいけないんです。戦争を起こしたという間違いは取り返しがつかない、だけど戦後であることは絶対に守っていかなきゃいけない。それに近いニュアンスのことを劇中でも言わせてもらっていますが、そういうことだと僕は思うんです。専守防衛とは一体どういうものなのか、日本という島国が、これから先も明確な意思を提示しながら、どうやって生きていかなきゃいけないのかを、ひとりひとりに考えていただきたいなと思います>

首相を熱烈に指示する人々が近隣のアジア諸国に対して差別的な言動を繰り返し、「国交断絶」などという言葉すら飛び交う状況下で、<日本は常に「戦後」でなければいけない>という言葉は重く響く。

映画『空母いぶき』の撮影にあたり、深い考えのもと役づくりを行った佐藤に対し、「首相を揶揄している」と愚か極まりないバッシングが飛び交う状況は、この国の言論状況がいかに閉塞しているかということを示す、悲嘆すべき例といえるだろう。

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