A.B.C-Z橋本良亮と堤真一のオトナな魅力 異色作「良い子はみんなご褒美がもらえる」

wezzy

2019/5/9 15:05


 劇場へ足を運んだ観客と演じ手だけが共有することができる、その場限りのエンタテインメント、舞台。まったく同じものは二度とはないからこそ、ときに舞台では、ドラマや映画などの映像では踏み込めない大胆できわどい表現が可能です。

平成から令和へと元号が改まり、日常生活の中で目に見える変化は感じずとも、現在や未来の日本、そしてそこで生きることについて考えてみたひとは、少なくないと思います。個人の自由が保障された平和な日本を当然のように享受していますが、本当の自由とは何なのか。そんな課題をつきつける舞台が「良い子はみんなご褒美がもらえる」です。
頭の中でオーケストラが。
 俳優とオーケストラのための戯曲、と銘打たれた同作は観客にとって、そしておそらく演者にとっても、一度観ただけでは解釈に揺れる難解な異色作ですが、ジャニーズ事務所所属のアイドル「A.B.C-Z」橋本良亮が、実力派俳優の堤真一とダブル主演に挑んでいます。

舞台は、1970年代の独裁国家。ある精神病院の病室に、政治犯と妄想癖のある男のふたりが収監されています。名はともにアレクサンドル・イワノフ、同姓同名です。

アレクサンドル(堤)は、国家に反抗的と思われる思想を理由に捕らえられ精神病院に隔離されたことに抵抗してハンガーストライキをしており、イワノフ(橋本)は、「自分にはオーケストラがついて回っている」という妄想にとらわれていました。その妄想の中のオーケストラの演奏がいまいちだとイワノフは訴えますが、もちろんその演奏は誰にも聞こえません。

ふたりを“治療”する精神科医は、アレクサンドルには体制に逆らうような意見を持つこと自体が病気だと告げ、イワノフにはオーケストラがいると考えなければ妄想は治まると説きます。アレクサンドルは著名人であり、収監中に死んでしまったら抑圧されている民衆の暴発にもつながりかねず、命の危機にかかわる抵抗をやめるよう説得するために、彼の息子サーシャが病院に送りこまれてきます。

「良い子はみんなご褒美がもらえる」は、映画「恋におちたシェイクスピア」などで知られるイギリスの劇作家トム・ストッパードの筆により1977年に初演。今上演では、オペラや映画の世界でも活躍する国際的な振付家で演出家のウィル・タケットが演出を担当しました。橋本にとっては海外の演出家のもとでの舞台出演は初のことです。

正気なのは誰か?
 イワノフの熱弁するオーケストラは妄想の産物のため、劇中の登場人物たちの目には当然見えませんが、実際は舞台の後方に35人編成で設置されており、音楽を演奏しています。イワノフにとっては気に入らない演奏、という設定ですが、映画「マイ・フェア・レディ」の編曲と指揮を手掛け、日本でもNHK交響楽団を率いたことのある作曲家、アンドレ・プレヴィンによる楽曲で構成され、ブロードウェイで上演されるかのような華麗なものです。

このオーケストラは、役者のひとりのような役割を果たしています。イワノフという役の狂気の産物のはずなのに、観客の目にはオーケストラが見え演奏が聞こえているという舞台設定の虚構は、オーケストラがいないという周囲の発言こそが目の前の事実と違えているものです。とすれば本当は、イワノフこそが正気で周囲の方がおかしいのでは、とも見ることができます。

堤といえばオトナの男性の魅力あふれる俳優ですが、ハンストでやつれた収監者としての役作りのため、糖質制限して体重を相当しぼったそう。ただ自分の意見をもっているだけ、とつぶやく姿はぼんやりとくたびれていて、ときどき亡霊のように見えるシーンも。普段のかっこよさを完全に消し去ることができる堤に対し、橋本は真ん丸でツヤツヤな顔。しかしアイドルではなくちゃんと俳優として見えたのは十分善戦だと認めてよいかもしれません。

橋本の、あまり耳当たりの良くないガラガラした発声は、俳優の技量や魅力の点ではマイナスかもしれません。けれどそれによって、狂気の妄想というよりもただ思い込みの激しい(アレクサンドルとイワノフとの会話のすれ違いも相まって)、周囲にとって迷惑なだけのひとに見えていたので、精神科医たち独裁国家の体制側の主張のあいまいさをより強調する効果になっていたようにも受け取れました。

率直にいってしまえば、あらすじ自体はあっさりしたものです。アレクサンドルは自分の考える自由や正義を貫きたい人間であり、イワノフは想像という他者が直接介入できない部分が束縛されていない人間。父親の無実を信じているサーシャでさえ、彼の命を救うために、嘘をついて退院=「ご褒美」を手にしてほしいと訴えますが、アレクサンドルもイワノフも、ともに内面の「自由」を訴えているだけ。

現代日本に通じるもの
 しかし劇中、自分の脳で考えるという行為を本当の意味で貫いているのは、誰にも理解してもらえない妄想の苦しみという生きづらさを抱えるイワノフなのではないかと思われることも、社会の中で「自由」であることの難しさを提示しています。

現代日本を生きることは「自由」であることを約束されており、思想の弾圧などは独裁政権下だからこそ起きうることだと信じがちですが、SNSの炎上にみられる同調圧力が非常に強くなっているのも、また現代の姿です。自分の考え=自分の考える正義から外れるひとを許せないのは、収容所で監視しあっているような状態ともいえるのでは。

「良い子はみんなご褒美がもらえる」は抽象性の高い戯曲ですが、だからこそ、その不条理さはどんな状況に当てはめることができるもの。現代日本がそこにフィットしてしまっていることは、新時代にあたり改めて、ひとりひとりが考えなくてはならないことではないでしょうか。

当記事はwezzyの提供記事です。

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