フジテレビがクイーン相手に大失態?『ボヘミアン・ラプソディ』ラストシーン衝撃の事実


 4月17日“クイーンの日”に、映画『ボヘミアン・ラプソディ』のDVD、Blue-rayがいよいよリリースされた。

世界的に成功したバンド・クイーンと、その“フロントマン”フレディ・マーキュリーの半生を描いた同作は、2018年11 月に公開され、異例のロングヒットに。現在も一部では上映が続いているほどで、興行収入は日本国内だけで120億円を超えたとの報道もある。

作品の大きな見どころになっているのが、クライマックスでの「ライヴ・エイド」におけるライブパフォーマンスの“完全再現”だろう。この20世紀最大の音楽イベントが行われたのは、今から約34年前の1985年7月のこと。当時の記憶がハッキリとあるのは、どんなに若くても45歳以上の人だろう。

ライヴ・エイドは、未収録パートはあるもののDVD化されているので、当時を知らない人でも、それを観れば全体像をそれなりに把握することはできる。だが、DVDではわからないこともある。本稿は、その点を掘り下げたい。

テーマは「ライヴ・エイドって日本でどうだったの?」である。

●日本のミュージシャンたちはエチオピア支援に立ち上がらず?

1983年、日本では東京ディズニーランドが開園し、任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売されている。テレビではNHK連続テレビ小説『おしん』が、最高62.9%という高視聴率を記録した。貧しい農家に生まれたこのドラマの主人公は、満足に食事ができない過酷な幼少時代を過ごしているが、その時代の日本ではすでに、“飢え”は、テレビや映画のなかの出来事でしかなかった。

だが、同じ頃、アフリカのエチオピアでは未曾有の飢饉が起き始めていた。それは1985年まで続き、約100万人が死亡したとされる。ライヴ・エイドは、飢餓に苦しむエチオピアの人々をサポートするために開催された史上空前のチャリティコンサートだ。

もともとは、1984年にイギリスとアイルランドのロック系、ポップス系ミュージシャンの有志「バンド・エイド」によるチャリティレコード(当時はCD普及前夜)、「Do They Know It's Christmas?」が世界的にヒットしたことに端を発する。

これに呼応するかたちで、翌年にはアメリカでも多くの著名ミュージシャンが「USAフォー・アフリカ」の名のもとに集結。「We Are The World」を大ヒットさせる。さらには、カナダの「ノーザンライツ」、西ドイツ(当時)の「バンド・フォー・アフリカ」、メタル系バンドのメンバーが集った「ヒア・アンド・エイド」など、ミュージシャンたちのエチオピア支援プロジェクトが世界各地に生まれていった。

では日本ではどうだったか? 実は、ライヴ・エイドに先がけて、1985年6月に旧国立競技場で、「ALL TOGETHER NOW」という大規模コンサートが行われている。吉田拓郎、オフコース、THE ALFEE、アン・ルイス、ラッツ&スター、山下久美子、白井貴子、武田鉄矢、さだまさし、南こうせつ、イルカ、チェッカーズ、佐野元春、サザンオールスターズ、坂本龍一、財津和夫らに加えて、はっぴいえんど、サディスティック・ミカ・バンド(ヴォーカルは松任谷由実)の再結成が実現するなど、当時考え得る最高のミュージシャンたちが一堂に会した画期的イベントではあった。

またこれに先がけて、「松任谷由実・小田和正・財津和夫」の名義で、「今だから」というシングルがリリースされ、大ヒットしている。

この動きには、バンド・エイドやUSAフォー・アフリカの影響が少なからずあると思われる。邦楽ファンは「日本も来た~!」という高まりを味わえた。しかし、ラジオ局主導の「ALL TOGETHER NOW」には、企業(LION)の冠が付いており、目的はエチオピア支援でもチャリティでもなかった。つまり、本質的には、は欧米における文脈とは別のものだったのだ。

●洋楽PVが地上波のテレビで毎日流れていた時代

ライヴ・エイドは、“エチオピアを救おう”という、(日本は別として)世界的なムーブメントの集大成。1985年7月13日(現地時間)に、イギリス・ロンドンのウェンブリー・スタジアムと、アメリカ・フィラデルフィアのJFKスタジアムで、大規模ジョイントコンサートを行い、世界中に募金を呼びかけるという趣旨のものだった。

英米には時差があるので、ロンドンとフィラデルフィアではスタート時刻と終了時刻に差があり、ロンドンが先(現地時間正午)に始まっている。

また、2つのメインステージ以外に、オーストラリア、西ドイツ(当時)、ソ連(当時)、ユーゴスラヴィア(当時)、ノルウェー、さらに日本と世界各地にサテライト会場が存在した。そして、計84か国に衛星同時生中継されたテレビ放送には、そうした会場での現地ミュージシャンらの演奏の一部がインサートされた。

では、日本においてはライヴ・エイドへの関心はどれだけのものだったのだろうか?

1980年代、欧米のアーティストたちが、文字通りプロモーションの手段として、マイケル・ジャクソンの「スリラー」に代表されるプロモーションビデオ=PV(MVとはいわなかった)を制作することが一般化していく。そうしたPVを終日流し続けるケーブルテレビ・チャンネル「MTV」の誕生は、1981年のことだ。

日本でも、テレビの民放各局はこぞって、主に深夜帯に洋楽専門番組を編成していた。一方、ラジオにはもともと音楽番組が多かったが、それ以外にも、たとえばアイドルの番組で、トークの間に欧米の最新曲をかけるといったケースがごく普通にあった。1980年代、日本では洋楽のニーズがおそらく今の何倍も高かったのである。

そんな雰囲気のなか、海の向こうで開催されたライヴ・エイドには、1985年段階で日本のティーンエイジャーに人気のデュランデュラン、ワム! から、ザ・フー、ポール・マッカートニー、ビーチ・ボーイズ、サンタナ、レッド・ツェッペリン 、ミック・ジャガー、ボブ・ディランなど、1960年代から活躍するアーティストまでも顔を揃えている。

数字的根拠はないものの、この国においても、下は中学生から、上はその頃30代半ばだった団塊の世代までの一定層にとって、ライヴ・エイドはそれなりに大きな関心事だったと考えることができよう。特に団塊の世代にとっては、“あのウッドストックの再現”的な位置づけだった。

だからこそ、テレビでは絶頂期を迎えていたフジテレビが、ラジオでは系列のニッポン放送が、レギュラー番組をふっ飛ばして、半日以上にわたる長時間の中継をしたのである。特にラジオのほうは、もともと洋楽との相性がよく、加えてニッポン放送にはチャリティ番組の実績が豊富だったこともあり、今日的視点で見ても特筆すべき破綻は少ない。

しかし、問題はテレビなのである。これが、今なら“大炎上必至案件”だったのだ……。

●無知な司会者のグダグダ進行にブーイング

フジテレビは、7月13日の21時から翌日の正午まで異例の特別編成で対応した。番組名は、『THE・地球・CONCERT LIVE AID』。タイトルからもわかる通り、そこには日本独自の、フジテレビ流の“味付け”がなされた。

純粋にロンドンとフィラデルフィアのステージのみを放送するのではなく、フジテレビのスタジオに司会者を置き、「次は○○で~す!」、「いやあ、すごかったですね!」といったコメントをはさむスタイルが取られたのだ。地上波民放のスポーツ中継番組で、競技の前後に、スタジオにいるタレントやアナウンサーのトークが放送されるあの感覚に近いだろう。

ただし、エチオピア飢饉の悲惨さを訴え、視聴者からも募金を募るなど、基本的にはイベントの趣旨に沿ったスタンスは保たれた。司会は故・逸見政孝と南こうせつ。逸見は当時、フジテレビの夕方のニュース番組のキャスターを務めるアナウンサーだったが、いかんせん洋楽に関する知識が乏しく、むしろそれを自虐的なネタにしたり、無知からのトンチンカンな発言を連発し不興を買った。

1985年のテレビ界には、テレビ朝日の洋楽番組『ベストヒットUSA』の顔である小林克也を例外として、司会もできて、日本語と英語が話せて、音楽にも詳しい、のちのジョン・カビラ的、クリス・ペプラー的な、そのポジションにハマりそうな人物がほとんどいなかった。なお、バイリンガルである早見優が、女性アイドルとして唯一、スタジオに呼ばれている。

●スタジオで過剰に盛り上げた「ビートルズ再結成」の噂

衛生中継による映像、音声のトラブルもあったが、そこは仕方のないところだろう。それ以外に、とにかく不評だったのが、進行が終始グダグダで、なぜかライブの模様が中断され、スタジオでのトークがえんえんと続く展開が目立ったことだ。

また、いざカメラが現地に切り替わると、曲の途中で突然CMが入った。クイーンの場合、「We Will Rock You」が、歌い始め早々にCMによってカットされている。

番組中、現地の映像がなかなか放送されないことに対しては、“今セッティング中である”といった釈明が再三なされたが、これは虚偽だと見ていいだろう。なぜなら、ロンドンが正午(夏時間)のとき、日本は20時である。ところが、番組スタートは人気番組『オレたちひょうきん族』終了後の21時から。つまり、少なくともロンドンからの中継はディレイ放送のはずである。

にもかかわらず、グダグダだったのは、自社に主導権のない異例の長時間放送体制で現場が混乱していたから……というのが最大の理由なのだろう。

「世界のミュージシャンがひとつになることはいいことだ」「日本のミュージシャンも世界に出ていくべきだ」「長時間生放送は大変だ」といったありがちな方向以外に、スタジオトークの話題の中心になっていたネタがある。「ビートルズが再結成する」という未確定情報がそれだ。特に南こうせつは、この話題を引っ張った。

その日、テレビ中継はグダグダであっても、ライヴ・エイドの規模、出演メンバーの豪華さ、現場の盛り上がり感は、視聴者に“ビートルズの再結成があってもおかしくない”と感じさせるに十分だった。ジョン・レノンはすでに他界していたが、“代わりに息子のジュリアン・レノンが参加する”という付加情報が、むしろ噂に妙な信憑性を持たせていた。

しかし、ポール・マッカートニーはロンドン会場のトリとして出演はしたものの、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ジュリアン・レノンがそこに合流することはなかった。

●世界にパフォーマンスが放送された日本のアーティストは?

前述のように、全世界対象のテレビプログラムには各国からのライブ中継が差し込まれ、それには日本からの中継も含まれていた。といっても、観客を集めてのコンサート形式ではなく、フジテレビのスタジオでの演奏映像を放送するという形態がとられた。

世界にそのパフォーマンスがオンエアされたのは、次の4組。矢沢永吉、オフコース、佐野元春、ラウドネス。その頃のネームバリューや影響力、音楽ジャンルのバランス的にも、絶妙な人選だったのではないだろうか。

なお1985年は、YMOは散開(解散)後で、BOØWY、TM NETWORKはブレイク前、B'z、X JAPAN、Mr.Children、DREAMS COME TRUEはデビュー前。宇多田ヒカルはまだ2歳だった。松任谷由実、中島みゆきは出演せず、サザンオールスターズは桑田佳祐がラジオのほうに出ていた。

また、めったにテレビ出演しない、ステージで並び立つこともまずない、矢沢永吉と小田和正のツーショットなど、普段はありえない場面も見られた。そうしたことも相まって、「すごいことが起きている」「日本のミュージシャンもライヴ・エイドに参加している」という高揚感が生まれていたのは確かだった。

●現地の映像を流さず!ガラパゴスな展開が続く

日本のミュージシャンの番組出演はそれだけではなかった。国内限定のコンテンツとして、上記4組以外に、チェッカーズ、チャゲ&飛鳥(当時)、杏里、さだまさし、安全地帯、イルカ、谷村新司、長渕剛、HOUND DOG、ラッツ&スター、杉山清貴&オメガトライブ、中原めいこ、忌野清志郎らが次々に登場し、それぞれの曲を披露したり、スタジオトークに参加したりしたのだ。

当然その時間には、ロンドン、フィラデルフィアの映像は流れず。このことは、特に洋楽ファンをガッカリさせた。ただし、のちに番組プロデューサーがこの件に関し、“視聴者の注目を集めより多くの募金を募るための手段として、ライヴ・エイド事務局から要請されたことだった”といった旨の発言をしている。

残念だったのは、こうしたミュージシャンの多くが、アフリカで起きていることに関しては積極的な発言をせず、なかにはチャリティにまったく無関心な様子がバレバレな者もいたことだ。やはり多くの日本人にとって、エチオピアの飢饉は対岸の火事だったのかもしれない。

最後に、ビートルズの再結成が実現しないことが明確になった番組終盤、日本のスタジオで新たに盛り上がったネタがあったことをここに指摘しておきたい。

「ライヴ・エイド・インJAPANの開催を!」

しかしご存じのように、そうしたイベントは今に至るまで行われていない。
(文=ミゾロギ・ダイスケ)

●ミゾロギ・ダイスケ
ライター・編集者・昭和文化研究家/映画・アイドルなど芸能全般、スポーツ、時事ネタ、事件などを守備範囲とする。今日の事象から、過去の関連した事象を遡り分析することが多い。著書に『未解決事件の昭和史』(双葉社)など。

当記事はビジネスジャーナルの提供記事です。

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