モンキー・パンチさん逝去。担当編集者が明かす、皆を引き込む「漫画への情熱」

日刊大衆

2019/4/17 18:05


 4月11日、国民的漫画『ルパン三世』の生みの親である漫画家のモンキー・パンチさんが肺炎のために死去した。81歳だった。

モンキー・パンチさんは、1937年に北海道浜中町で生まれ。手塚治虫さんに影響を受け、漫画家を目指して20歳のときに上京する。8年後の1965年、『プレイボーイ入門』で『漫画ストーリー』(双葉社)からメジャーデビュー。67年7月に『漫画アクション』(双葉社)の創刊号で『ルパン三世』の連載を開始した。同作はまもなく人気を獲得し、71年からはテレビアニメが放送を開始。その後も劇場版など現在まで新作が作り続けられる大ヒットアニメとなった。

モンキー・パンチさんは昨年5月、『週刊大衆』(双葉社)のインタビュー、シリーズ『人間力』で、“漫画道”についてこう語ってくれていた。

 一緒に、漫画を始めた連中もみんな途中で辞めちゃって、結局残ったのは僕だけ。みんな実家に帰って、寿司屋だとか、旅館だとか家業を継いでいましたね。

ただ、僕の場合は北海道に帰って、親父の漁師を継ぐって考えは一切出てきませんでした。東京だったら、雪がないから、外でも生活できますしね。僕の場合、夢は一本だけ、それを外したら何も残らないとわかっていました。ひたすら、大衆にウケる漫画をどうしたら、描けるかっていうことだけを考えていましたね。

結局、続けるか続けないかだと思うんですよね。どんなに頭悪くても10年間同じことをやったら、モノになりますよ。漫画なんて正解があるものではない。漫画のおもしろさってどこにあるんだろうって考えても、いまだに、僕自身わからないんです。ただ、そういう疑問を常に持ち続けることが大事だと思うんです。

絶えず疑問を持ちながら、漫画の本質に少しでも近づこうと努力をする。それは間違った方向でもかまわない。大変な作業ですけどね。その過程で自然と漫画家の個性っていうのが出てくるんだと思いますね。

 モンキー・パンチさんの担当編集だった双葉社の遠藤隆一氏はこう振り返る。

「モンキー・パンチ先生は、ずっと変わらない漫画への情熱を持ち続けていました。漫画について語るときの先生は、常に熱く、そして楽しげで、聞いている私たちまでその熱さに引き込まれてしまったものです。また先生は、双葉社と漫画アクションをずっと大好きでいてくれて、漫画アクションの過去、現在、そして未来まで気にかけてくれていました。若造だった私にも、他のどんな人たちにも、優しく接してくれたことは、決して忘れられません」

モンキー・パンチさんがデビュー当時、がむしゃらに漫画と向き合った日々と、漫画アクション創刊時のさまざまなドラマは、漫画アクションで連載中の『ルーザーズ』に事細かく描かれている。

単行本『ルーザーズ』第1巻の特別対談の中で、

<あのときに「漫画アクション」が創刊されて、僕としては幸運でしたね。あれがなかったら『ルパン三世』は生まれてなかったですから>

と語ってくれたモンキー・パンチさん。

心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

当記事は日刊大衆の提供記事です。

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