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0時が近づくにつれて、街の人々は「終電」が気になりだす。
帰ろうか、残ろうか。時計を見ながら正解を考える。甘酸っぱい思い出も、切なく悲しいできごとも、思えば全部「終電」がきっかけだった。
そんな、誰もがひとつは持っている終電にまつわる物語「#終電と私」を集めてみました。
初めて終電を逃した日。それは
初めて始発に乗った日でもあった。
大人になれた気がしたの。何かから解放されたような、誰かに許されたような。いままでの自分には出来得なかったことができた達成感があった。
これから始まる、もうこの場から逃げ出せない夜に、どんな楽しいことが待ってるんだろうと胸を弾ませたのを覚えている。
しかし、そんな初々しい気持ちは、たったの2時間ほどで終わってしまう。
私はただただ、
始発電車が運行するまでの"残りの夜"を消費していったのだった。
***
新幹線の終電に乗って彼氏に会いに行った夜。
戦略的終電逃しによって、恋を育んだ夜。
親友と泣きはらして、終いには最高に笑えた夜。
たくさんの終電を逃して、もう乗った回数を数えることもできなくなった始発に乗る。
こうやって私は、少しずつ大人になっていったし、これからも進んでいくんだなと思う。
写真/gettyimages それでも苦手なものがある。どうしてもこれだけはイヤというものがある。
始発だ。始発なのだ。
待つ時間がどうしても得意になれない。お金と時間を浪費して、結局得るものは大してない。
その虚無感をより一層大きくするのが、早朝、
駅まで向かうときに浴びる朝の光だ。
誰かが「あの子の屈託のない笑顔が好きになれない」と言っていた。始発に向かうとき、いつもその言葉を思い出す。
朝の空気は、夜な夜な充満されていった酒臭さやニンニク臭さを洗い流すように清々しい。深呼吸が気持ちいい。
眩しい朝日が、まるで戦闘美少女
アニメが変身するときみたいに射し込んで、
終電を逃し、時間を弄んだ私を肯定してくれるかのようだ。
それなのに、この朝がどうしても好きになれない。気持ちのいい早朝が、楽しかったさっきまでの夜が、急にくすんで見えて、私のものではないかのような気持ちにさせられる。
写真/gettyimages でも、これは間違いなく
私だけの人生で、ほかの誰も代わりはいない。思うようにいかないことも、後悔だらけの日々も、受け止めることができるのは私だけ。あなただけ。
そういう現実を突きつけてくるのが始発電車なんだと、最近思うようになった。
切なくさせる朝日というのは、その日までどう暮らしてきたかの評価みたいなものなのだと。
いつか、終電を逃した始発が好きになる日が来るだろうか。
飲み明かした仲間と一緒に、「
いやぁ、気持ちよすぎるでしょ、この朝日は!」なんて、ガハハと笑いながらホームで手を振る日が来るのだろうか。
だろうか、じゃないか。
そうなるように生きねばと思いながら、今夜も大好きな仲間と一緒にお酒を飲んでいる。
終電に乗るか、乗らないか。どっちが正解なのか迷いながら。