おぼん・こぼん”解散ドッキリ”の困惑を解きほぐす、小籔千豊の”長尺語り”というスパイス

日刊サイゾー

2019/3/5 21:00


テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(2月24~3月2日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。

■平野レミ「シチューもカレーもそうだけど、一晩寝かせるとさ……」


 平野レミの料理は雑である、ということになっている。まな板に叩きつけられる食材、調理台に飛び散る調味料――。そんな様子を見ていると、確かに「雑」という言葉が頭に浮かぶ。生放送で平野がとにかくたくさん料理を作る、というような番組をNHKで定期的にやっているけれど、そんな時間制限のもとでは雑さにさらに拍車がかかる。食材が立ったりもする。

だが、平野の魅力はそこだけではない。父はフランス文学者、夫はイラストレーターでエッセイストである。身の回りには文化的なあれやこれやがあり、平野もそれを吸収してきたはずだ。だからだろうか、平野の言葉はときに文学的になる。

2月26日放送の『ごごナマ』(NHK総合)では、大根を使った料理を披露していた。いつものように平野のテンションは高く、ついついそこに目を奪われてしまいがちになる。けれど、彼女の口から出る言葉は、やはりしばしば詩的な響きを帯びる。たとえば、「いつも元気なレミさん。気分が上がらないときはあるのですか?」といった視聴者からの質問に答えたときのこと。平野は「たいていワイン飲んじゃうね」と、次のように続けた。

「シチューもカレーもそうだけど、一晩寝かせるとさ、気持ちがマイルドになって、でっかい気持ちになっちゃって。だから嫌なことがあったら一晩寝るの、ワイン飲んで。そうすると次の日は、『なーんでもない、昨日のことは』ってなっちゃうねー」

嫌なことがあったら、お酒を飲んで一晩寝れば忘れる。それだけのことといえばそれだけだが、シチューやカレーに例えるところが詩的であり、かつ、料理愛好家っぽい。同様の話を別のところでは「時間も調味料」というような表現もしていた。なるほど、時間制限を課された平野がいつもより数割増しで面白くなるのも、時間という調味料が効いているのかもしれない。

さて、この日はトークを交えながら50分の番組で大根料理を5品仕上げた平野。調理器具と調理器具がぶつかって派手な音を立てていた。調理台の上にはしょう油なのかソースなのか、茶色い液体が飛び散っていた。汁物を作ると、いつの間にか鍋の周りにこぼれていた。これだけ見ると、確かに平野は雑である。

だがしかし、一度レミパンを手にするとどうだろう。どこまで知られているのかわからないけれど、レミパンにはさまざまな機能がある。たとえば、フタは自立する。持ち手の部分は、レミパンとセットで購入できる専用のおたまとかがピタッとくっついて置ける仕様になっている。フタの取っ手には菜箸などを一時的に入れておく穴もある。つまり、調理中にいったん使わないフタや菜箸などを調理台にじかに置かなくてよい、清潔で機能的な調理を可能にするグッズがレミパンなのだ。

で、平野はそんなレミパンの機能を存分に使う。おたまや菜箸は調理台の上に乱雑に置かれることなく、レミパンの然るべき場所に収められていた。この日はどの食材も立てられてはいなかったけれど、鍋から外されたフタはキレイに立てられていた。

平野の料理は雑である。しかし、自身が販売するレミパンの使用は丁寧だ。各局を渡り歩き、料理番組をあたかもレミパンの通販番組にしてしまう平野。そんな実業家としての側面もまた、彼女の魅力である。

■こぼん「テレビのエンタテインメントとしては面白くもなんともないでしょう」


 芸人に仕掛けられるドッキリの定番のひとつに、解散ドッキリがある。辛苦を長年ともにしてきた相方から唐突に解散を告げられたら、どう振る舞ってしまうのか? 宣告された側の困惑。浮かび上がる相方との関係性。にじみ出る芸人観。隠しカメラを通して伝えられる、そんなこんなを味わうドッキリである。悪趣味といえば悪趣味だが、ドッキリは総じて悪趣味だ。

そんな解散ドッキリを、若手や中堅ではなく、長年連れ添ってきた師匠クラスの芸人に仕掛けるとどうなるか? 2月27日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で、「芸人解散ドッキリ 師匠クラスの方が切ない説」が検証された。シチューやカレーのように一晩どころではない。一緒に芸の道を歩み始めて数十年という時間の長さが、このドッキリの最大の調味料である。

説検証にあたり、用意されたサンプルは2組。問題だったのは、2組目のおぼん・こぼんである。今回のドッキリの見届け人であるナイツいわく、結成して53年になる2人は仲が良い時期と悪い時期を繰り返しており、現在は最悪。8年間私語を交わしていない状態らしい。そんななか、解散ドッキリが行われた。前置きからしてしびれる。

仕掛け人であるおぼん(70)が会話を切りだす。が、「オレがなんで怒ってるか、オマエわかるか?」と、いきなりのケンカ腰である。もはや初めからドッキリを仕掛ける姿勢ではないわけだが、それに対しターゲットであるこぼん(70)も、「アンタのことはわからん」「もうええ」というように、おぼんの言葉にまったく聞く耳を持たない。つまり、こちらもケンカを受けて立つ構え。50数年前の結成時の話が蒸し返される。漫才協会の業務の話題にもなる。この場の空気にいたたまれなくなったマネジャーも席を立つ。そして、とうとうこぼんが口にする。

「すっきりしましょう」

おぼんがドッキリで解散を告げるはずだったのに、こぼんがリアルに解散を提案してしまったのだ。

「テッテレー」と効果音が鳴り、「ドッキリ大成功!」のプレートを持って登場するナイツ。しかし、「シャレになるドッキリとならんドッキリあるで、これ」と言い、ナイツにおしぼりを投げつけるこぼん。そして、ドッキリのバラシがあったにもかかわらず、「一言謝れや」と、なぜかケンカを続けるおぼんであった(カメラがいったん引いた後の話し合いで、おぼん・こぼんの解散は回避されたそうだ)。

今回のドッキリ、仕掛けたのは誰で、仕掛けられたのは誰だったのだろう? 予告ドッキリ(ターゲットになる芸能人に、ドッキリであることを事前に予告しておくドッキリ)など少しひねったドッキリも少なくない中で、『水曜日のダウンタウン』はこれまでも他に例のないいちだんとひねったドッキリを企画してきたが、ここにきて、そもそもドッキリを仕掛けた側も仕掛けられた側も、最終的にどこにもいないドッキリを放送してしまった。

さて、ネタバラシ(と言えるのかどうか)が終わり、おぼんは部屋を後にした。正座したナイツがこぼんをフォローする。わざわざこのためにご足労いただき申し訳ありませんでした。でも、放送後の反響は大きいはずです。話題にもなるはずです。編集もうまいことゴニョゴニョしてくれるはずです。そう言ってなだめるナイツに、こぼんが言い放つ。

「でも、テレビのエンタテインメントとしては面白くもなんともないでしょう」

時間は調味料である。しかし、おぼん・こぼんの53年にわたる時間は、塩とか砂糖とかそういった調味料というよりも、ハバネロとかジョロキアみたいな類いの香辛料。もはや味覚ではなく痛覚である。しかし、そんな痛覚を楽しむ好事家もいるのです、師匠。

■小籔千豊「この番組を見た人は、お暇なとき、浅草の方の東洋館に行って……」


 引き続き、『水曜日のダウンタウン』の解散ドッキリの話。VTRが終わって画面はスタジオに戻る。しかし、ダウンタウンとゲストの面々に浮かぶ困惑の表情。「いや~」という声も漏れる。VTRをどう受け止めてよいのか、わからない雰囲気だ。ここで、今回の説のプレゼンターである小籔千豊が語り始めた。小籔によると、この解散ドッキリのオファーは、マネジャーが一度断ったそうだ。しかし、おぼんが「漫才協会の役に立つのだったら、引き受けよう」ということで、了承したのだとか。

「で、こぼん師匠。大変怒ってはりました。途中、おぼん師匠が『サービス精神ないねん』って言うてはりましたけど、あんな怒ってるとこ普通やったらオンエアされたくないです。師匠が『もう流すな』言うたら終わりのところを、こぼん師匠は『かまへん。テレビ流していいよ』という、こぼん師匠のOKいただきましたので、このVTRが流れることになっております。ですので、サービス精神バリバリあるこぼん師匠。ありがとうございますっ! そして、なんと次の日も、いつもの劇場に出られて、おぼん・こぼん師匠、いつものように大爆笑をとってらっしゃったというふうに聞いております。あれだけケンカして仲悪かったのに、次の日ネタ、バッチリやって、ドーン。ですのでこの番組を見た人は、お暇なとき、浅草の方の東洋館に行って、おぼん・こぼん師匠の漫才、生で見ていただきたいなというふうに思いますね」

このように、小籔は長尺でしゃべる。今さら言うことではないかもしれないが、短いネタが歓迎されるといわれて久しいテレビのバラエティ番組の中で、演説調の語りを聞かせるのが小籔の真骨頂である。

小籔は以前、こんなことを話していた(『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合、2月18日放送)。座長として吉本新喜劇の台本も手がける小籔だが、その台本は、マンネリと評されることも少なくない新喜劇の笑いの中で、異彩を放っているという。定番の型をしばしば排しているからだ。演者が台本の意図を読み取れないこともあり、観客がついてこられない恐れもある。しかし、小籔は言う。

「過去の人がやってきたことでいま定番になってることって、最初は逆風吹いてたと思うんですよ。みんな頑張って新しいことやったから今があるとしたら、逆風怖がるってセコいですよね。ボクが死んで100年後に新喜劇学を研究する大学の教授が出てきて、そのときにボクが『小籔の乱、間違いだ』って言われるのか。小籔は正しいことを言ってたのか」

小籔は自身の行為を長い歴史の中に置く。先人たちの挑戦の積み重ねの上に自分を位置付け、さらに自分の挑戦の最終的な評価は将来の人の判断に委ねる。その言動から、時に「保守的」と言われることもあり、発言の内容には個人的にムムムと思うこともある。けれど、個々の発言の内容というよりも、長い歴史軸の上に自身の言動を置いて省察する姿勢にこそ、小籔が保守的と呼ばれて然るべきところがあるのかもしれない。

小籔の話は長い。そして、その話が置かれる時間軸も長い。おぼん・こぼんショックが残るスタジオの空気を慰撫し、テレビの視聴者の困惑を少しずつ解きほぐすのは、このような幾重にも長い時間のしゃべりだったのだろう。カレーやシチューの尖った味も、時間を置くとマイルドになるように。

(文=飲用てれび<http://inyou.hatenablog.com/>)

当記事は日刊サイゾーの提供記事です。

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