竹下通り暴走は稚拙な“テロもどき” 欧米式テロ対策導入議論の無意味さ


第8回 2019年1月、原宿・竹下通り暴走事件から考える、“日本伝統”の犯罪抑止システム

こんにちは、法社会学者の河合幹雄といいます。

「外国人の流入により日本の治安は悪化している」
「少年犯罪は凶悪化している」
「高齢者の引き起こす交通事故が激増している」
「児童虐待で亡くなる子どもが増えている」

犯罪に関して現在の日本には、こうした物言いがあふれています。しかし、基本的にはどれも誤りです。むしろ、事実とは真逆とさえいっていいものもある。

では、犯罪データやその他客観的資料を参照すればすぐに誤りだとわかるこれらの物言いが、巷間にあふれるのはなぜなのか? 単に誤りを正すだけではなく、なぜそうした誤りが流布してしまうのかを含めて考えることこそ、大切ではないのか?

この連載「法“痴”国家ニッポン」では、「月刊サイゾー」(小社刊)、そして「wezzy」(小社運営)に執筆していた同連載を引き継ぐ形で、このような疑問を常に念頭に置きながら、日々の事件やニュースに解説を加えていきたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

日本の「テロ対策の遅れ」は本当か?

2019年の年明け直後の1月1日午前0時15分ごろ、東京・原宿で、軽乗用車が竹下通りを逆走して男性8人を次々にはねた事件。警視庁に殺人未遂容疑で逮捕された日下部和博容疑者(21)が「オウム真理教の死刑に対する報復としてテロを起こした。明治神宮には車両通行止めで入れなかった」などと話したことから、初詣の参拝客を狙った無差別テロではないかとして、元日早々列島を慄然とさせました。

当然ながらメディアもこの事件を大々的に報道。2019年1月8日放送の「NHKニュース7」が「竹下通り暴走 東京五輪・パラ前に車両使ったテロ防止策課題に」と大きく取り上げたのをはじめ、各メディアがわが国のテロ対策の遅れを批判し、危機感を煽っています。

しかし私は、そこで取りざたされているようなテロ対策は、今回のような事件に対してあまり有効でないばかりか、むしろ的外れでさえあると思う。というのもたとえば、繁華街などへの暴走車両の侵入を防ぐために可動式の車止めポールを設置するとか、鎮圧に当たる警察官の装備を増強するとかいったテロ対策は、欧米において“本物のテロ”の発生を未然に防げないがゆえに生み出された、いわば“次善策”だからです。

後ほど解説しますが、従来わが国は、それらとはまったく別の社会的なシステムによって、世界最高水準の治安の高さを維持してきました。私は今回の事件から、むしろそうした日本の伝統的なテロ・犯罪抑止システムにこそ、改めて目を向けるべきではないかと思うのです。

“マンツーマンディフェンス”で成功を収めてきた日本のテロ対策

世界各地でテロを誘発している要因はさまざまありますが、なかでも大きいのは、民族間・宗教間の対立などによって、国内に多くの不満分子を抱えていること。もうひとつは、強力な銃火器や爆薬などの武器を国内で容易に入手できてしまうことです。そうした背景があるからこそ海外では、「準備十分、計画万全、実行力あり」という“本物のテロリスト”が、その存在や主義主張をアピールする手段としてテロ行為に走る。しかも、テロリスト予備軍は無数に存在するため、それらすべての動向を察知して未然に防ぐのは事実上不可能です。それゆえに、そうした国々におけるテロ対策は、先に述べたような、テロが発生してから現場でいかに対応するか、というものにならざるを得ないわけです。

これをサッカーにたとえるなら、危険なポイントゲッターにフリーでボールを持たせる状況は避けられないので、全員でゴール前のみの守備を固めるようなゾーンディフェンスを敷くしかない、という感じでしょうか。それで予想外の位置からミドルシュートが飛んでくると、ゴールにスコンと入って終わってしまう。それが海外のテロとその対策のイメージです。

対して日本の伝統的なテロ・犯罪対策というのは、人間が人間をマークする、いわばマンツーマンディフェンスです。まず、銃刀法などで武器となり得るものを厳しく規制し、そもそも危険なポイントゲッターを生み出しにくくしておく。さらに、警察が普段からコミュニティと連携して各地域の危険なプレイヤーの動向を把握し、決してフリーにしない。それによってシュートそのものを打たせない、つまりテロや犯罪が発生する寸前に対応するのではなく発生しないよう努めることで、治安維持に成功してきたのです。

隣近所が全員顔見知りで、誰が何をしているかが周囲に丸わかりという、かつてわが国に存在した地域コミュニティは、プライバシーの問題など、いい面ばかりでなかったのは確かでしょう。だからこそ、高度経済成長期以降、われわれ日本人がそれを捨て去るのは自然な流れだった、という言い方もできるかもしれません。

ただ、少なくとも犯罪抑止という面に関していえば、地域コミュニティが大きな効果を発揮していたのもまた事実です。地域コミュニティから外れたひとりぼっちの者がいれば、各地域に必ずといっていいほどひとりはいる世話焼きな者が声をかけ、悩みを聞いてやる。様子のおかしい住民や不審な外来者を見かければ、すぐさま地域の有力者や警察に連絡する。そういう伝統的な地域のつながりが、犯罪が起きてからではなく、起きる前に防止するシステムとして機能していたわけです。

竹下通り暴走は“テロ”ではなく稚拙な“テロもどき”の自殺行為

そういうテロ・犯罪とその対策の国内外の差異を踏まえ、改めて今回の事件をながめたとき、どんなことがいえるでしょうか。死者こそ出なかったものの、男子大学生(19)を意識不明の重体に、7人に重軽傷を負わせた結果は、いうまでもなく重大です。ただ、先に述べたような、民族・宗教的対立などを背景とする組織的な“本物のテロ”と同列に語るにはやはり無理がある。たとえ日下部容疑者本人がテロだと主張しているとしても、実質的には多数の人を道連れにしようとした自殺に近い、いわば“テロもどき”の犯罪行為ととらえるべきでしょう。

報道によると、日下部容疑者が“テロ”を起こす道具として用意したのは、レンタカーの軽乗用車と灯油100リットル、それから高圧洗浄機だったといいます。灯油の引火点は約40度ですから、実は真冬の深夜では火を近づけてもまず引火しない。テロの“武器”として考えれば適当ではありません。軽自動車にしてもそう。どうせ借りるならトラックのほうがはるかに強力な“武器”となったはずです。

また、計画の杜撰さも目につきます。当初は明治神宮への突入を考えていたのに、現地で車両規制を知り、その場で目標を竹下通りに変更している。おそらく情報収集や下見すらろくにしていなかったのでしょう。先に述べた“本物のテロリスト”と比較して表現するなら、「準備不十分、計画杜撰、実行力不足」の三拍子揃った、あまりに稚拙な犯行というほかありません。

「孤独者を放置しない」犯罪抑止システムの復活がカギ

本来、この種の犯罪に対して有効なのは、それが発生する寸前に対処する欧米式のテロ対策ではなく、発生するかなり前から防止に努める日本式の犯罪対策であるはずです。かつて地域コミュニティで日常的に行われていたように、周囲が親身になってケアしていれば、あるいは誰かが胸ぐらをつかんで引き止めていれば、それだけで未然に防げる可能性は十分にあったと思います。

これは、今回の事件と似たところのある2008年の秋葉原通り魔事件についても同じことがいえます。この事件で7人を殺害した加藤智大死刑囚は、職場の人間関係への不満から派遣会社を退職し、孤独を癒やすかのようにのめり込んでいたネット掲示板が何者かに荒らされたことを契機として犯行に及んだとされています。加藤死刑囚の置かれた孤独な状況と、暴発の危険性に気づいてケアできなかった周囲の状況が、犯罪を生んでしまった側面があるわけです。

ましてや日下部容疑者の場合、普段から小学生をエアガンで狙ったり、奇声をあげたりする姿を住民に目撃されている。周囲も危険な徴候をある程度察知していたわけです。にもかかわらず、有効なケアをされずに放置されてしまったのが残念でなりません。

そのように、今回の事件から浮かび上がってくるのは、わが国のテロ対策の遅れというより、地域コミュニティの衰退によって犯罪・テロ抑止力そのものが低下しているという実情です。今論じるべきなのは、彼の地でもたいして成果を上げているわけでもない欧米式のテロ対策の導入についてではない。かつて存在した地域コミュニティをベースとする犯罪抑止システムを、現代社会にも適合する形でいかに復活させ、機能させるか、ということではないでしょうか。
(構成=松島 拡)

●河合幹雄(かわい・みきお)
1960年生まれ。桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)。京都大学大学院法学研究科博士課程修了。社会学の理論を柱に、比較法学的な実証研究、理論的考察を行う。著作に、『日本の殺人』(ちくま新書、2009年)や、「治安悪化」が誤りであることを指摘して話題となった『安全神話崩壊のパラドックス』(岩波書店、2004年)などがある。twitter:@gandalfMikio

当記事はビジネスジャーナルの提供記事です。

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