番組絡みの企画盤CD全盛期の90年代、”音楽デュオ”猿岩石はなぜ売れた?

日刊サイゾー

2019/1/25 17:00


平成が終わろうとしている今、90年代に始まったJ-POPの流れがひとつの節目を迎えている。あのアーティストの楽曲はなぜ、ヒットしたのか? 音楽ライターの青木優が徹底分析! 

有吉が、たとえばマツコの隣で鋭くツッコんだり、うまいことフォローしたりする、ああいうポジションに就いたのは、いつぐらいからだっけ?

テレビを観ててなんとなくそう思い、ざっと調べたら、2008年頃からのようだ。かれこれ、10年以上か。これだと、若い子は猿岩石なんて知らないだろうなー。

てことで、今回は猿岩石のことを取り上げてみる。

有吉弘行(「ひろいき」と読むのね)は90年代後半、ヒットチャートをにぎわせた人気デュオのひとりだった。まあそれ以前に、彼と森脇和成による猿岩石はお笑いコンビだったのだが。

もっとも、94年に結成した当初の彼らは、格別知られた存在ではなかった。それが有名になったきっかけは、当時の人気バラエティ番組『進め!電波少年』(日本テレビ系)でいきなり世界旅をすることになり、この企画が大ウケしたことである。

『電波少年』は何かとムチャをすることで視聴率を稼いでいて、アポなし(←この言葉を定着させた番組でもある)の突入企画が多かったりして、その無謀さが面白く、僕もたまに観ていた。思えば、後続番組含め、けっこうな数のキャラ立ちのいいタレントを輩出したものだ。松本明子、松村邦洋……と、挙げだすとキリがないので、省略する。

無名だった猿岩石は、この番組で何をするのか知らされぬまま香港に行かされ、そこからロンドンまで、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断する旅に出ることになる。96年4月から半年間にわたったこの旅の様子は継続的にOAされ、回を重ねるごとに2人は人気を得ていった。当然、貧乏旅で、このことは同番組以降、日本から海外へバックパッカー的な放浪をする動きを後押ししたはずだ。で、さらにこうした旅は若い世代の「自分探し」的な志向とリンクしていったと思うのだが……これも省略。そろそろ音楽の話をしよう。

猿岩石が日本に帰ってきたのは同年10月のこと。そこで今度は歌手デビューすることになり、わずか2カ月後の12月に最初のシングルが発売される。それが「白い雲のように」だ。



いま聴いても、いい曲である。なにしろ作詞は藤井フミヤ、作曲は藤井尚之という、元チェッカーズの兄弟コンビ(F-BLOOD)だ。そしてプロデュースは秋元康である。

この曲のポイントはフォーク的な曲調にある。当時、「フォーキー」と呼ばれ始めていたものだ。前回取り上げたシャ乱Qでも「空を見なよ」(95年)がフォークロック調だったし、猿岩石と同じ96年に、ブレークしたてのウルフルズが「そら」を出している。もろフォークソングだと、アコースティック・ギターで繊細に、しんみりと、みたいなイメージが一般的だが、フォーキーというのは歌心があり、アコースティックでメロディアス、というところか。この頃、渋谷系やロック・シーンではサニーデイ・サービスやキリンジのような存在が最前線に出てきつつあった。90年代のJ-POPは分厚い音の、にぎやかで華々しい楽曲が多かったが、音楽界の一部ではこうしたフォーキーな曲調が支持されつつあったのだ。

「白い雲のように」で藤井兄弟は、猿岩石の2人の歌声を非常にうまく作品に還元している。有吉と森脇の歌唱力に特筆すべきところはないが、素朴かつストレートな響きを持ち、飾ることのないキャラクターがよく表れている(あくまで番組を通じての彼らの印象だが)。特に有吉は、歌わせると、それなりに映える声質だ。

曲の構成は、1コーラスと間奏のあと、2コーラス目はないままサビのリフレインになるなど、極力シンプルに作られている。そしてフミヤによる歌詞では<見えない未来を夢みて><風に吹かれて消えてゆくのさ>といったフレーズが秀逸。この言葉には、テレビの企画で急に人気が出て、でもここから先はなんの保証もないんだよな~、と思っていそうな2人の心境をダブらせながら聴ける。それが口ずさみやすい、叙情的なメロディに乗ってるのだから、ファンにはたまらなかっただろう。

ところがこの歌、そのファン以外にも波及していくのだ。「白い雲のように」は、発売当初の売り上げはそこそこだったのが、徐々にチャートを昇り始め、最高で3位を記録するほどのヒットとなる。ということは、番組からのファンがワッと買っただけでなく、世間で聴かれるうちに「けっこういいじゃん」と思われていったってことだ。

そして同曲は、最終的にはなんとミリオン・セールスを記録し、97年の日本レコード大賞新人賞まで獲得。歌を含めた楽曲として、高い評価を得たのである。

ちなみに、このシングルのカップリングは「どうして僕は旅をしているのだろう」という曲だ。どうしてって、そりゃ~番組の企画に乗ったからだろ! というツッコミ待ちのようなタイトル。こうした番組や彼らの状況を含めた歌詞表現はこの後、続くことになる。



さて、猿岩石というか、主にはおそらく周囲のスタッフたち、か。彼らはここから怒涛のリリース・ラッシュを敢行していった。「白い雲のように」から3カ月たたない間に、次なる新曲「ツキ」をリリースした。



作曲はALFEEの高見沢俊彦で、この曲調もフォーキー。「白い雲のように」の路線を、ちょっと強めのタッチでうまく継続している。歌詞では<HEY! HEY!>の繰り返しが印象的で、そのあとの<どうにかなるだろう きっと うまく行くさ>というあたりは、やはり彼らの立場を照らしてしまう。そして前作に続く、先のわからない、でも大丈夫と思いたいという心境は、当時の日本の人々の心理に合ったのではないかと思う。90年代後半は、あらゆる価値観が激変し始め、まさに混沌に突入していった時代だった。

なお、作詞は高井良斉だが、これ、実は秋元康のペンネームなのだ。70年代、学生の頃から構成作家や作詞家として活動してきた秋元にとって、テレビとのマッチアップを絡めた創作はお手のものだったに違いない。

「ツキ」もうまく大ヒットし、猿岩石は音楽活動でもすっかり調子に乗ってしまった。今度は2カ月も空けずに新曲「コンビニ」。ファミリーマートのCMタイアップ曲で、R&B~AORのフレイバーが漂うミディアム・バラードだ。



この曲調も、有吉のヤサ男っぽい歌声がとても合っている。ただ、僕はこの曲自体、まったく記憶にない。そこそこ売れているのだが、前2作ほどは心に残らなかったのかな。

で、次もまた2カ月空けずに、「君の青空」「声が聴こえる」の両A面シングルが出る。これは猿岩石with VERSUS名義で、VERSUSというのは女性のお笑いコンビだそうだ(知らなくてすみません)。ちょっとフォーキー路線に回帰した感じである。



と思ったら、これに続く「オエオエオ!」はレゲエのリズム。作曲はバブルガム・ブラザーズのBro.KORNで、編曲はCHOKKAKUだ。気合が入っているのがわかる。



「オエオエオ!」と同じ日には初めてのアルバムを出しているが、そのタイトルは『まぐれ』。プロデューサーはやはり秋元氏で、このネーミングセンスには、とんねるずっぽいノリを多分に感じるな……。そう、とんねるずこそ、テレビ発の企画から歌を量産したコンビだった(彼らについては機会があれば、また)。

そして猿岩石は、97年の末にはクリスマスソング「Christmas」を出している。LUNA SEAの河村隆一が作曲したラブバラードである。



とまあ、短い間に音楽面でも意外といろいろなアプローチをしているのだな……とは思うが、どちらかというと、セールスが少しずつ下がるにつれて迷走していってる、と言ったほうが正しいか。まあ、もともと音楽的な下地がない人たちが、最初は自分たちにフィットする歌が歌えたとはいえ、以降にそんなにたくさんの引き出しがあるわけがない。

で、このCDのリリース・ラッシュは98年6月のシングル「初恋」まで続く。なんと1年半で9枚ものシングルを出したのだ。そりゃネタも尽きるだろう。



そして最後のシングルは99年、次の10枚目「My Revolution」(渡辺美里のカバー)までだった。彼らの音楽での人気も、ここまでだったということか。

この数年後の04年に猿岩石は解散し、有吉は長い低迷期に入ることとなる。しかし、再ブレーク後の彼の活躍は、言わずもがなだろう。

かたや、相方の森脇は芸能界とは別の仕事を転々としながら、一昨年にタレントとして復帰していた。YouTubeには今の彼が作るチャンネルも開設されている。ただ、現在の活動ぶりは……どうなのだろう。



と、音楽デュオとしての猿岩石をざっと回想してみたが、とにかく「人気があるうちに売ってしまおう」感のすごさにはあきれるばかりだ。なにせ、この短気間の彼らはCDだけでなく、『電波少年』関連の本やタレント本、それに写真集まで出しているのだから。

『電波少年』の系列からは猿岩石のほかにも、番組の内容に関連したCDがけっこう出ている。この後には『雷波少年』からヒットを飛ばしたサムシングエルスというバンドもいた(元から音楽活動をしていた人たちだが)。ただ、彼らも一時的な盛り上がり感が強く、やはりはやり廃りが反映されやすいテレビ界の影響をもろに受けている。

もっとも、この90年代の終わり頃……つまりCDがよく売れていた時期までは、俳優やタレント、スポーツ選手など、そこそこ名の知れた人はよく歌手デビューしていて、テレビとか、それにラジオも、番組絡みの企画盤は非常に多かった。そのぐらい電波メディアの影響力が大きい時代だったわけだが、猿岩石はその中で傑出した成果を残したといえる。

ただ、あだ名をつけるのがうまいとか、毒舌がすごいとか、その他もろもろ、有吉が今ほどのキレ者で、才能のある人だとは、当時なんとなく観ていただけの僕はまったく気づかなかった。もちろん、コンビ解散後の時期に彼が芸を磨いたのはあるのだろうけど……人生はわからないものだ。

そして先が見えない気持ちを歌で唄っていた2人だが、今では芸人としての活動ぶりが、こんなにも違うというところにも、また人生を感じてしまった次第である。

●あおき・ゆう。
1966年、島根県生まれ。男。
94年、持ち込みをきっかけに音楽ジャーナリスト/ ライター業を開始。
洋邦のロック/ポップスを中心に執筆。
現在は雑誌『音楽と人』『テレビブロス』『コンフィデンス』『 ビートルズ・ストーリー』『昭和40年男』、
音楽情報サイト「リアルサウンド」「DI:GA online」等に寄稿。
阪神タイガース、ゲッターロボ、白バラコーヒー、ロミーナ、 出前一丁を愛し続ける。
妻子あり。
Twitterアカウントは、@you_aoki

当記事は日刊サイゾーの提供記事です。

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