市川海老蔵が十三代市川團十郎白猿を襲名! 長男・堀越勸玄は八代目市川新之助に~2020年5月から襲名披露興行

SPICE

2019/1/14 16:00



十一代目市川海老蔵が十三代目市川團十郎白猿(はくえん)を襲名し、来年2020年の5月、6月、7月の歌舞伎座を皮切りに全国各地で襲名披露興行を行うことを​、2019年1月14日に東京・歌舞伎座にて発表した。同時に、海老蔵の長男・堀越勸玄さんが八代目市川新之助を名乗り、同興行にて初舞台を踏むことも明らかとなった。

「市川團十郎」は江戸時代から脈々と「成田屋」にその名が受け継がれ、常に江戸歌舞伎の中心として歌舞伎の歴史を築いてきた大名跡。この度7年ぶりの襲名となる。また「白猿」という俳名を名乗った團十郎は過去に五代目、七代目、八代目の3名が存在する。祖父の俳名が「栢筵」(はくえん)だった五代目が、自身については「祖父の栢筵の音だけを頂戴し、名人には毛が三本足らぬおれは白猿」とした。すなわち謙遜の意が込められた俳名という。


会見は口上と、質疑応答の二部構成で執り行われた。

定刻の午前9時となり、舞台の緞帳がするすると上がると、真っ赤な毛氈の上に座り頭を下げている海老蔵と勸玄さんの姿が。まずは海老蔵からご挨拶。「皆様おはようございます。市川海老蔵でございます。本日は朝早くからお集まりいただき、誠にありがとうございます。ただいま(迫本淳一・松竹株式会社)社長のお言葉にございましたとおり、松竹株式会社様、また、諸先輩方のご内諾、そして関係者各位のお勧めもございまして、この度、私、十三代目市川團十郎白猿を襲名させていただく運びとあいなりましてございます」と口上を述べる。続けて今回襲名することになった「市川團十郎白猿」について「歌舞伎界にとりまして、大変大きな名跡でございます。この上は、己の命の限り、懸命に歌舞伎に生きて参りたいと思う所存でございます。まだまだ未熟、不鍛錬でございますが、いずれの皆様方におかれましては、何卒、ご指導ご鞭撻のほどを、ひとえに、そしてお見捨てなくよろしくお願い申し上げまする次第でございます」と挨拶した。
堀越勸玄
堀越勸玄

続いて海老蔵が促すと勸玄さんは「この度、父も名乗っておりました、市川新之助の名跡を八代目として相続いたします。どうぞよろしくお願いいたします」とハッキリとした口調で立派に口上を務めあげた。

その後の質疑応答では以下のようなやり取りがなされた。
質疑応答では笑顔がこぼれる二人
質疑応答では笑顔がこぼれる二人

――團十郎白猿というお名前の「白猿」とはどのような意味合いを持つのか?

海老蔵 代々俳名というものがございまして。「白猿」は五代目市川團十郎が名乗り始めたのですが、元は「栢筵」と書いて「はくえん」としていたのですが、五代目が「私は父や祖父の芸の域にまだ達していない」という考えから違う文字の「白猿」と名乗ったと言われています。私自身もまだ父の足元にも及ばないこと、そしてこれからも稽古を一生懸命にやっていこうという想いでこの名前を付けたいと相談しました。

――勸玄さんに「新之助」という名前を名乗る事について、いつ頃話をされたのか?

海老蔵 襲名の話が出る以前から彼は(自分の名前が)新之助だと思っている節があり、本当は新之助を飛び越えて「海老蔵」になりたかったようなんです(場内から笑い声)。だから「海老蔵という名前になる前に新之助という段階があるから、新之助でどうだろう?」と話したら「わかった」と言いまして(笑)。


――父親として勸玄さんにどんな役者になって欲しいか?

海老蔵 今はまだ海の物とも山の物とも分からない状態ではありますが、この家に生まれたからには私もそうでしたが、本人がどのような気持ちで歌舞伎に向き合っていくのか、という点だけですね。これからいろいろな事があると思います。未熟な私が傍にいる中で、どういう風に逃げずに芸を受け止めていくか次第ですね。


――勸玄さんは、新之助になってどんなお役をしたいか?

勸玄 (舞踊の)『玉兎』(たまうさぎ)です。あと「幡随院長兵衛」(ばんずいんちょうべえ)。

海老蔵 「幡随院長兵衛」は、今月新橋演舞場で私がさせていただいた演目で、これには彼も出ていまして、どうしてもやりたいそうです。

――「長兵衛」のお父様はかっこいいですか?

勸玄 はい。

――海老蔵さん自身はどのような團十郎になりたいか?

海老蔵 とても大きな名前ですから、日本の伝統文化に携わる方、また皆さまに團十郎のイメージが多くあるかと思います。そのイメージも大事だと思いますし、古典というものに向き合っていくと同時に初代、二代目、そして七代目團十郎というようにその時代に大きく影響を与えた役者として、のみならず人として影響を与えた人も團十郎家から出ております。そういうことも意識して自分も古典に向き合い歩んでいくと共に、新元号になる年に襲名させていただきますので、時代と共に生きていることを多くの方に感じていただけるような團十郎像を描いていきたいです。

――海老蔵さんから見た勸玄さんの役者としての素質は?

海老蔵 先ほどお見せしたご挨拶も「こういう風にやりなさい」と言うと「えーできなーい」と言うんですが、いざ緞帳が上がると堂々とやっているい姿を見ると、放っておいてもいいのかな、とも思います(笑)。

――勸玄さん、歌舞伎は楽しいですか?

勸玄 楽しいです。

――勸玄さん、お稽古と遊びはどっちが楽しいですか? 今ハマっている遊びは何ですか?

勸玄 お稽古。

海老蔵 本当ですか?聞いちゃったよ~(笑)。では、今ハマっている遊びは?

勸玄 鬼ごっこ。
「本当にお稽古のほうが好きなの?聞いちゃったよ~」と突っ込む父
「本当にお稽古のほうが好きなの?聞いちゃったよ~」と突っ込む父

――海老蔵さんは6歳の時、新之助に名前を改める際に同じ質問をされて「遊び」と答えていたんですよ。あと、はまっている遊びはサッカーと答えていました。

海老蔵 ああ、私のほうが素直ですね(笑)。何て答えたか憶えていなかったですね。(勸玄さんを見て)自分の答えを憶えていてね(笑)。

――いつから勸玄さんの挨拶を練習していましたか?

勸玄 わかんない(笑)。

海老蔵 一昨日の夜くらいにこんな感じと伝え、昨日しっかりやりました。

――(ご自身を振り返られて)新之助と勸玄というの名前の住み分けはいつ頃からできているものでしょうか?

海老蔵 私も幼い頃からいつかは新之助になる、いつかは海老蔵になるとうっすら感じていたので、歌舞伎の家に生まれてきた人は皆様自然な流れでそう思うようになると思います。

――平成を振り返ってどんな平成でしたか?

海老蔵 いろんな事がありました。歌舞伎の家に生まれて、市川團十郎の家に生まれ、團十郎になる……平成の時代に海老蔵であったことが非常に大きな影響を及ぼす新・團十郎になれればと思います。

――歌舞伎界において「市川團十郎」という名はどんな存在か?

海老蔵 先ほども話しましたが、大変重い名跡です。初代から父・七代目まで歌舞伎十八番、もしくは新・歌舞伎十八番、「荒事」を中心にやっている家です。いろいろなものを背負って、いろいろなものを抱えてその時代に責任を持って生きていかないとならないものが多くなるんだなと思います。そういったことに関して、自分の中で今できる事を少しずつやっていこうと思っています。なってみないと計り知れない重みがあると思うんです。あと1年ほどありますので、海老蔵を楽しませていただき、團十郎になる準備をしていこうかなと思う次第です。

――襲名披露興行ではどのような演目をする予定か?

海老蔵 日本の伝統文化を継承するという目標がありますので市川家として基本的には歌舞伎十八番などの古典をご披露する予定です。

――この度の襲名を誰に伝えたいか?

海老蔵 二人いまして。父と真央です。直に伝えられないのは非常に大きなことだと思います。ですがお墓参りで、また今日も出かける前に妻の遺影に手を合わせて「そういう日が来たよ」と伝えました。


最後に海老蔵と勸玄さんの撮影が行われた。「笑顔で」のリクエストには素直に応じた二人だったが「手を繋いで」というリクエストには少し照れ臭そうな父の顔と嬉しそうな等身大の息子の顔を見せていたのが微笑ましく印象的だった。
しっかりと繋いだ手にいっぱいの愛情を感じました!
しっかりと繋いだ手にいっぱいの愛情を感じました!

【おまけ】

撮影が終わると勸玄さんがやおらフリーダムに動き始め……5歳らしい振舞いに皆ホッコリとなりました。
撮影が終わると集中力に限界が!?
撮影が終わると集中力に限界が!?
父の背後に隠れてみたり(笑)この後ちゃんとご挨拶していました。
父の背後に隠れてみたり(笑)この後ちゃんとご挨拶していました。

取材・文・撮影=こむらさき

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