コテコテの浪花男から敏腕プロデューサーへ……平成J-POP史における、つんく♂の軌跡

日刊サイゾー

2019/1/11 21:00


平成が終わろうとしている今、90年代に始まったJ-POPの流れがひとつの節目を迎えている。あのアーティストの楽曲はなぜ、ヒットしたのか? 音楽ライターの青木優が徹底分析! 

つんく♂の影がないなあ、と。大みそか、『紅白歌合戦』を観ながら、思った。

平成最後の紅白は、サザンというか桑田佳祐とユーミン(+サブちゃん)の共演があり、かたや米津玄師や2019年早々に注目度がピークを迎えるであろうあいみょんなど、大ベテランから新勢力までが魅力を発揮した。最後を飾った歌が「勝手にシンドバッド」だったこともあり、むしろ昭和の匂いのほうが強めに残ったが、これは視聴者層を考えると仕方ないか。

たぶん平成時代をテーマにした構成案もなくはなかったと思うが、仮にそれにこだわっていたら、何かとスケールダウンしたり、いろいろと足らないところが出てきていたに違いない。

さて、J-POPという呼び方は平成の初期に生まれたものである。それだけに今回の紅白でこぼれ落ちてしまったJ-POPの才能は数多く存在する。

冒頭の「つんく♂の影がないな」という感想は、そんなことを思う中で湧き出てきた。彼が率いたシャ乱Qはもとより、ハロプロ勢も不在。というか、モー娘。だってずっと出てないんだな、紅白。

そう感じてしまうくらい、つんく♂はJ-POP全盛期を牽引した存在である。そして、昔と今とで、彼ぐらいイメージが変わった人も珍しいと思う。

なにせ、世間に知られ始めた頃のつんく(当時は♂マークがなかったので、しばらく省略して書く)は……つまり、最初にシャ乱Qで出てきた頃の彼のイメージは、あまり良くなかった。かといって嫌悪感を覚えるほどでもなかったが、音楽ファンとしては、どうにもチャラそうな印象があったのだ。

僕がシャ乱Qを知ったのは、音楽について書く仕事に就く前の、90年代の初め頃。TVの深夜番組か何かで演奏する彼らを観て、どこか水商売的なバンドのムードやその歌に「これ、歌謡曲だよな」と感じたものだ(当時を覚えている方ならわかってくれるだろう)。ライヴハウスで活動をしてきたというが、ロック・バンドらしさはあまり感じなかった。大阪時代にはウルフルズ(もちろん彼らも有名になる前だ)とも対バンしていたらしいが、ウルフルズに比べ、シャ乱Qをロックとして捉える見方はほとんどなかったと思う。まあ、それは今も大差ないか。

デビューからしばらくは下積みのような低空飛行を続けた彼らだが、地道な努力が実って、スマッシュヒットを放つ。それが94年初頭に出た「上・京・物・語」だった(下の動画、歌のスタートは1:39頃~です)。



この歌は当時の人気TV番組『浅草橋ヤング洋品店』(浅ヤン)のエンディング曲に選ばれた。この次作シングル「恋をするだけ無駄なんて」も同じく『浅ヤン』で起用されている(1:06頃~)。



もっとも僕個人は「おお、シャ乱Qもやっと売れ始めたか」なんて感慨に浸ったわけでもなかった。最初の印象の延長で、相変わらず歌が好きになれなかったからだ。ベタで、コッテコテで、やっぱり歌謡曲のアクの部分を抽出してるみたいで。この、人情というか、過剰に人間くさいところが苦手だったのだ。それも、表面的なところでなく、心の根っこまで掘り起こされるくらいの感情が込められているのが。

しかも、つんくを筆頭に、メンバーの見た目もケバケバしく、それはもう関西の最も濃い部分をあえて盛っているかのように見えた。何もかもが下世話なバンドじゃないか、と。僕は関西の大学に通ってたし(詳細は後述)、親戚も多いし、なんたって阪神ファンなので、かの地の風土は大好きなのだが、時たま出会う個性が強烈すぎる人にはついていけないことがあるのだ。

そうこうしているうちに、シャ乱Qはついに大ブレークを果たす。1994年秋、世間に認知される決定打となったのが「シングルベッド」だった(1:04頃~)。



前述した、僕がどうにも苦手な部分をさらに濃厚にしたラブ・バラードだ。涙、失恋、未練……もはや歌謡曲というより演歌に近い。この歌でシャ乱Qは見事にヒットチャートの上位進出を遂げたのである。

それ以降の彼らはあらゆるメディアに露出するようになり、メンバーのキャラクターやバンドの背景もだんだんと知られるようになっていった。そんな中、何かの記事で彼らが近畿大学の出身であることを知り、驚いた。そう、僕と同じ大学なのである。マジかいな!? まあシャ乱Qのほうが数年下で、僕とはほぼかぶってないくらいだけど。しかも、さらにのちにわかったのは、つんくは僕と同じ経営学部の学生だったということ。MIPS(当時の学生向けのコンピュータールーム)とか使うてたんかなぁ。僕は入り浸ってました。

とはいえ、僕は相変わらずつんくに親近感を覚えたわけでもなく、「シングルベッド」のヒットについても冷めた目で見ていた。それどころか、下積みの時期には、自分たちの曲を有線放送に電話リクエストしていたという、これまた浪花節的なエピソードが聞こえてきたりして、「ま~たまた、コッテコテなことしよってからに」などと思っていた。

ところが次に、洋楽好きとしてはソソられるヒット曲が出たのである。翌95年の「ズルい女」だ(1:04頃~)。



ホーンのフレーズがインパクトのある曲で、この繰り返しがじつにカッコいい(サンプリング的だとも感じたほどだ)。また、バンドが奏でる分厚いリズムは、当時のハウス・ミュージックを通過したUKロックの影響さえ感じさせた。歌やメロディは相変わらず歌謡チックだが、「アゥ!」と叫ぶつんくは、もしかしたらプリンスを意識していたのだろうか。

そして曲の大きなポイントは、彼のファルセットだった。サビ頭の「♪Bye-Bye ありがとう さよなら 愛しい恋人よ~」の「さ」のところで声を裏返らせている。歌謡曲の色気を、そして自分のチャームポイントをよくわかっているんだなぁと思った。

シャ乱Q、案外やるやん。そう思ってたところに、今度は自分のツボをさらに突かれるタイプの曲が来てしまった。「空を見なよ」である(0:47頃~)。



メロディも親しみやすいこの曲だが、僕が惹かれたのはギターの音色だった。これ、もろにフォークロックと呼んでいいサウンドである(60年代のザ・バーズとかね)。シャ乱Q得意のコテコテではなく、ちょっと叙情的な歌。作曲はギタリストのはたけで、なるほど納得だ。シャ乱Q、こんな叙情的な音が作れるんか? と驚愕したものだった。

このへんから、シャ乱Qのサウンドへの視線を変えざるを得なくなった。そう思うと、「上・京・物・語」なんかは繊細なギター・サウンドが明らかにU2の影響下にあるし、粘っこいキーボードもニューウェイヴ的だと気づく。

どの曲も歌メロは歌謡曲だし、大っぴらにロック・バンドを気取ってはいないし、彼らが目指していたのはロック・ファンよりも大衆的な層からの支持だっただろう。なのに音楽的には、じつに巧妙に洋楽ロックを取り入れていたのだ。もっと早く気づかんかい、という声が聞こえてきそうだが、当時の僕はやっと今の仕事を始めたくらいだったのだ。それに言い訳めくが、このバンドについては先入観があまりに大きすぎた。

こうなると、もう次の曲が楽しみになってきたくらいである。濡れしょぼったメロディを持つ「My Babe 君が眠るまで」のギターのカッティングが響く音像は、ザ・ポリスの「ロクサーヌ」を意識しているに違いない(0:28頃~)。



96年春のシングル「いいわけ」の焦点は、ハードなサウンドも際立っているが、むしろディスコ的なリズムの感覚に注目したい。これは、のちのつんく♂のプロデュース・ワークでも生かされるからだ(0:30頃~)。



こうしてヒットを連ねていくシャ乱Qが気になってしょうがなくなった僕は、この頃、取材という名目で彼らのライヴを日本武道館に観に行った。あくまで興味本位的ではあったが、生での演奏を一度体験しておきたかったのだ。

そのステージは本当にエンタテインメント性にあふれていて、彼らはお客さんを楽しませることに全力を尽くしていた。歌や演奏が優れていたのはもちろん、クライマックスではキーボードのたいせいが宙吊りになり、上空でグルグルと回転するというすさまじい演出があった。

何をバカなことやってんだよ! とツッコみたくもなったが、冷静に振り返れば、KISSだって宙吊りになったりはしているわけで。そうしてみると、あのケバい衣装はグラム・ロックとかニュー・ロマンティックを独自に解釈したもの? なんてふうにも思えてくる。また、そうして体を張ってでも盛り上げようという意思は、叩き上げの彼ららしさでもあるように感じた。

また、この頃、確か音楽雑誌の『GB』(ソニー・マガジンズ)で見かけたつんくのインタビューで、せっかく使いこなしていた携帯電話をなくしてしまったという話をしていたのを覚えている。そこには多くの女性の連絡先を入れていたようで、彼はそれらが自分の手元から全部なくなったことを残念がっていた。そんなふうに「ズルい女」ならぬ「チャラい男」を気取るつんくには、ちょっとしたプロ根性を感じたものだ。まあ内心、「ま~たまた」と警戒はしていたのだが。

ともかく、自分たちの音楽やパフォーマンスを徹底的に磨き、そこで徹底的に突き抜けたことで、シャ乱Qは大成功を手に入れたのだと思う。

しかし、シャ乱Qの人気も90年代の後半には落ち着き、バンドとしての動きは徐々に静かなものになっていった。メンバーは個々の活動に入っていく中、つんくは今度はプロデューサーとしての手腕を発揮し始める。

そこでの最大の成功例がモーニング娘。だった。今回は彼およびシャ乱Qに特化した記事なので詳しくは書かないが、このグループが1999年にリリースした大ヒット曲「LOVEマシーン」(もちろん作詞・作曲はつんく)がアイドル・ポップの枠を大きく超えた名曲には間違いない。



2000年から「つんく♂」表記となった彼は、こうしたプロデュース・ワークでもヒットメーカーとなった。特にサウンド面は、前述のディスコ・ビートへの志向が特徴のひとつとなっていた。といっても、つんく♂が網羅する音楽的なレンジは幅広いもので、コテコテとかベタではないポップソングもたくさん世に出していったのである。

この後、つんく♂はソロで作品を出したり、シャ乱Qが再び活動したりもあったが、その頃の彼は昔のイメージからはかなり変わっていた。先見の明を持ち、新しい才能を発掘~育成し、数々のグループやユニットをヒットに導く売れっ子プロデューサー。また、会社という組織を運営する有能なビジネスマンとしての評価もされるようになっていったのだ。

そんな最中だった2015年の春、衝撃的な発表がされる。つんく♂は喉頭がんによって声帯を失い、歌うどころか普通に話すこともできなくなったというのだ。この件は、彼がプロデュースした近畿大の入学式で発表され、大きなニュースとなった。

当時のことは、同年秋に出版された彼の著書『だから、生きる。』(新潮社)にもつづられている。つんく♂はそれまでも本を何冊か出しているが、この『だから、生きる。』にはシャ乱Qのことからプロデューサー/ビジネスマンとしての姿勢、さらに闘病記とともに、家族への思い、そして彼個人の内面についても多く書かれている。その中には、読んでいて、腑に落ちる点も多かった。

病気についてはツラく生々しい描写もあり、じつにリアル。それこそ「ズルい女」のファルセットの「さ」が思うように歌えなくなった時のことなんかも書いてある。それからシャ乱Qをはじめとした彼の行動原理には、ロックへのこだわりが強くあること。これは精神論的な側面が強く、非常にユニークだ。また、すべてにおいて高いプロ意識を貫いていて、その仕事への徹底ぶりはじつに力強い。いずれにしても、他の大多数と並ぶのをよしとしない意思は、シャ乱Qをはじめ、すべての彼の活動に通底していると感じた。

ほんとに熱い男なんだなぁ、と思った。ただ、初期のイメージを持っている自分からすると、やっぱり「ま~たまた」と警戒もしてしまうのだが(すみません)。

そして、ちょっと蛇足的な話ではあるのだが……15年にこの本が出てから、しばらくあと、つんく♂を間近で目撃したことがあった。

あれは3年と少しだけ前の、秋だった。障がいを持つ子どもたちを支援するNPO法人「勇気の翼」の主催イベントが開かれることを知り、筆者はそこに家族で参加した。そもそもこの団体についてはハロー!プロジェクトも支援しており、ハロプロのメンバーも参加する予定になっていた。

会場にわりと早めに到着した僕たちは、前から4~5列目に座った。イベントは「勇気の翼」の理事である細川元総理の夫人、佳代子さんのあいさつから始まったのだが……彼女が「今日、つんく♂さんがここに見えてるそうです」と言ったのだ。

そして彼は手を挙げた。つんく♂本人が、そこにいたのだ。それは最前列の、ど真ん中の席だった。つまりそこは、これから出し物をする子どもたちの正面になる席で、僕のほんとに数列だけ前という場所だった。驚いた。

イベントは数時間にわたって行われ、子どもたちの歌やファッションショーなどが開かれていった。そこにハロプロの女の子たちも入って、子どもたちと交流する。つんく♂はイベントの最初から最後までずっと、子どもたちに拍手を送っていたのである。

その後ろ姿を時々見ながら、思った。忙しいだろうに、大変だろうに、大したものだなあ、と。つんく♂の活動の全容まではとても把握していないけど、こういう福祉的な側面を持つ場にも参加するんだな、と感心した。

思えば生の彼を初めて見たのは、この20年近く前の、武道館以来だった。あの頃とはさまざまなことが変わっていたのだ。

と、自分にはそういうこともあったりで、この長い間に、つんく♂へのイメージはかなり変化したという次第である。

時間というのは、さまざまなものを見せてくれる。最初はよくわからない人だったり、いい印象がなかった奴でも、そこからの出来事やドラマによって、その人間の本質的な部分や根本、あるいは成長した姿を見せてくれたりする。

あのチャラい男にしか見えなかったシャ乱Qのつんくが、今ではミュージシャン、プロデューサー、ビジネスマンとして有能で、しかもひとりの人間としても魅力的なつんく♂に感じられるのだから。これは僕だけじゃなくて、世の中的にもきっとそうだと思う。

なんとなくでしかシャ乱Qを、つんく♂を見ていなかった自分が、今さら偉そうなことを言うつもりはない。それに、繰り返しになるが、先日の紅白で振り返られなかった平成のポップスは、シャ乱Qやハロプロ関連以外にも、たくさんある。ただ、つんく♂の影の不在を感じて、ちょっと残念な思いがよぎったのは、確かだ。

あれこれと好きなことを書いたが、音楽やその活動を通じて、これだけ多くの思いを巡らせ、感じさせてくれた、また人生についてまで考えさせてくれたつんく♂には、感謝している。

●あおき・ゆう。
1966年、島根県生まれ。男。
94年、持ち込みをきっかけに音楽ジャーナリスト/ ライター業を開始。
洋邦のロック/ポップスを中心に執筆。
現在は雑誌『音楽と人』『テレビブロス』『コンフィデンス』『 ビートルズ・ストーリー』『昭和40年男』、
音楽情報サイト「リアルサウンド」「DI:GA online」等に寄稿。
阪神タイガース、ゲッターロボ、白バラコーヒー、ロミーナ、 出前一丁を愛し続ける。
妻子あり。
Twitterアカウントは、@you_aoki

当記事は日刊サイゾーの提供記事です。

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