早野龍五・被曝論文の重大誤りに糸井重里は? 福島原発後に“放射能汚染たいしたことない”論を振りまいた責任

リテラ

2019/1/10 20:10


 福島第一原発事故について「安全」神話を振りまいてきた東大名誉教授の論文に、とんでもない問題が発覚した。早野龍五・東京大学名誉教授らが、原発事故後の福島県伊達市の住民の被曝線量を分析した論文について、市民の被曝線量を3分の1に少なく見積もっていたことを本人が認め、この論文が掲載されたイギリスの放射線防護専門誌「Journal of Radiological Protection」に修正を求めたというのだ。

この早野氏らの論文をめぐっては、以前から高エネルギー加速器研究機構(KEK)の黒川真一名誉教授が論文データに矛盾があると指摘しており、論文掲載誌に問題を指摘するレターを投稿。早野氏は昨年12月28日付けの毎日新聞の取材に対し、「計算ミスがあり、線量を3分の1に過小評価していた」と答えていた。また、伊達市が住民に線量計を配って測定した被ばく線量のデータについて本人の同意を得ていないものが含まれていることが発覚しており、住民は東大に研究倫理違反の申し立てをおこなっている。

同意が得られていないデータが使用されている時点で論文としては大問題であり、なによりも衝撃的なのは個人の被曝線量が3分の1に過少評価されていたことだ。だが、早野氏は「重大な誤りだが、計算プログラムの書き間違えによるもので、意図的ではない。被ばく量が3倍になっても1年の平均では1ミリシーベルトを超えないレベルに収まると考えている」などと回答。データの同意問題についても「住民の同意を得ていないデータが含まれていることは知らなかったが、データを使ったことは事実で申し訳なく思う」(NHKニュース8日付)と答えている。

無論、これは「意図的ではない」「論文は修正する」で済まされるような問題ではない。実際にこの論文は、昨年の放射線審議会の会合において、放射線基準を検証する資料として使用されるなど、国の政策に影響を与えているからだ。しかも、早野氏が8日に示した見解に対しては、すでに複数の科学者らから“ほんとうに計算ミスなのか”などという矛盾や疑問点も寄せられている。

そもそも早野氏は、原子力の専門家でも放射線医学の専門家でもない。だが、原発事故後から積極的にTwitter上で発信をおこない、たとえば2011年3月11日にメルトダウンに言及した吉岡斉・九州大学大学院教授に対し、水野義之・京都女子大学教授が〈理解できないなぁ〉と投稿した際、〈全くです〉と同意。現実にはこのツイートが投稿されたときにはメルトダウンは起きていた
わけだが、さらに関東地方で雨による放射性物質の降下が心配されていた同年3月21日、早野氏は〈首都圏でも雨の日には外出するなという意見もあるそうですが、私は以下のソースから推測して、普段どおり外出します〉と投稿し、翌日にはこんなツイートをしていた。

〈(Metroおりて地上に出たら広尾は雨.「春雨じゃ、濡れてまいろう」と洒落てみたいが,そもそも傘持ってないし,隣に雛菊もいない.でも,気分だけは半平太.ゆるゆると濡れて帰ろう.たまには体動かさないとね.)〉

実際には21~22日に放射性プルーム(放射性雲)が関東地方を流れ、雨によって汚染が広がった。〈特に21日朝は茨城県南部や千葉県北東部で放射性セシウム濃度が急上昇。その後、東京湾北東沿岸部へと南西に移動した。その間、雨で沈着し、各地で「ホットスポット」と呼ばれる局地的に線量の高い場所を作った〉と考えられている(毎日新聞2014年9月5日付)。そんな最中に〈「春雨じゃ、濡れてまいろう」と洒落てみたい〉と、あえて“雨に濡れても大丈夫”とアピールするとは、「プルトニウムは飲んでも平気」などと安全神話を喧伝するのに躍起になっていた原子力ムラの御用学者たちと何ら変わりはない。

果たして、被曝線量を3分の1に過少評価していたのは、たんなる「計算ミス」なのか、それとも「意図的」な捏造なのか──。今後、第三者の専門家による徹底した検証が求められるが、本サイトが注目したいのは、早野氏を“信頼できる学者”としてスターダムに押し上げた、あの人物について。そう、糸井重里氏である。

●早野龍五にお墨付きを与えスターダムに押し上げた糸井重里の責任

原発事故後、早野氏は上記のようにTwitter上でさまざまな投稿をおこなっていたが、その投稿を目にした糸井氏は早野氏を「信頼できる」と考え、2014年には共著『知ろうとすること。』(新潮文庫)を出版。さらに2016年には18歳未満の入場を制限していた福島第一原発構内を高校生と一緒に見学したほか、ふたりは親交を深め、現在、早野氏は「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイエンスフェローを務めている。

こうして早野氏は一躍名を馳せ、他のメディアでも〈科学的で冷静〉(読売新聞)、〈「事実」を分析し、ツイッターで情報を発信し続けた〉(BuzzFeedNews)人物として登場してきた。このように早野氏を「信頼できる学者」として社会的な評価を押し上げたのは、言うまでもなく、糸井氏による“プロデュース”と“お墨付き”があったからだ。

実際、ベストセラーとなった『知ろうとすること。』で糸井氏は、「正しい方を選ぶ、っていうときに考え方の軸になるのは、やはり科学的な知識だと思うんですよ。ところが、放射線に関しては、怖がってる人たちに正しい知識がどうも伝わっていない」と述べた上で、早野氏とこう会話している。

糸井「とりわけ、早野さんがご自分で実際に計測や分析を重ねて、はっきりといえることはなんでしょう」
早野「いまの時点で明らかなのは、さまざまな調査や測定の結果、起きてしまった事故の規模にたいして、実際に人々がこうむった被ばく量はとても低かった、ということです」

論文の大きな間違いが指摘されたいまでは、なぜこうもはっきりと言い切れるのかと疑いをもたずにはいられないが、同書のなかで早野氏は、1973年に中国が大気圏内核実験をおこなった際の東京のフォールアウト(放射性降下物)の数値と、福島での事故の数値を気象研究所のデータを使って比べ、このように話している。

「少なくとも首都圏に関しては、1973年のフォールアウトと比較しても、それほど心配するレベルではないなと」

これと同様のことを早野氏は2011年3月14日にツイートしていたため、糸井氏は「ああ、そのツイートはよく覚えています」と言い、こうつづけるのだ。

「そうそう、当時、早野さんのツイートを読んでいたときの気持ちを思い出してきました。早野さんは「安心しなさい」みたいなことは一言もおっしゃってなくて、ただ事実をツイートしてたんですよ。みんなが大騒ぎしているときに、淡々と」
「(事故発生当時は)ネット上でいろんなことを声高に主張している人がたくさんいて、ちょっと怖いくらいでしたよね。そんな中で、早野さんは冷静に事実だけをツイートしていて。ああ、この人は信頼できる人だ、と思ったんです」

だが、じつは糸井氏が「事実」「冷静」と評した早野氏のこの話には疑義が呈されている。今回、早野氏の論文の間違いを指摘した黒川真一KEK名誉教授が、「気象研究所のデータを見るとそんなことは全然ない」と反論しているのだ(「週刊金曜日」2017年6月30日号)。

たしかに、1950年代半ばから記録されている気象研究所のデータを見る限り、2011年の原発事故直後から、セシウム137の平方メートルあたりの月間数値は桁違いに増加している。早野氏の言う1973年と比較しても圧倒的に高い値を示している。どうしてこれが「それほど心配するレベルではない」と言えるのか。黒川氏は「何の根拠も示さずに「心配するレベルではない」と言ってしまう態度は不誠実です」と早野氏を批判しているが、それは根拠を問いただすこともなく「事実」「冷静」と評価した糸井氏にも同じことが言えるだろう。

●放射能汚染を矮小化した早野・糸井“放射能”対談に疑問の声

ほかにも『知ろうとすること。』のなかで早野氏は、「事故の後、最初の年、できたお米を測定してみると、これが驚きなんですけど、土の汚染度と米の汚染度の比例が、まったく確認できなかったんですよ」と述べているのだが、これについても黒川氏は「確かに農林水産省と福島県が測定したグラフを見ていると、一見バラバラなように見えます。しかし、対数表示のグラフにすると、土の汚染度が高ければコメの汚染度も高い比例関係がはっきりと浮かび上がってきます。早野氏でなくても、物理学者なら相関をしっかりと調べなければなりません。もし、わかっていて「比例関係にない」などと話しているなら問題です」と批判している。

そもそも、黒川氏が早野論文を読んだきっかけこそ、『知ろうとすること。』だった。黒川氏は「2人が対談し、福島の放射線影響や、科学的に考えることについてまとめているのですが、オヤッと思う点がいくつもあったのです」と言い、危機感をもったことをこう語っている。

「物理学は量をはっきりさせることが大切な学問で、ものを言う前提として具体的な数値に基づかないといけません。しかし、早野氏はこの本の中で曖昧な言い方を多用しながら、福島の放射能汚染がたいしたことがないような印象を読者に与えてしまっています。こうした科学的でないことを東大の物理学教授という肩書でやっている。これはまずいと感じたのです」

この、福島の放射能汚染はたいしたことがないという印象を与えようとする早野氏に“信頼感”を与えているのは、もちろん早野氏に同調する糸井氏の存在であるのは間違いない。いや、信頼するよう誘導していると言ってもいい。たとえば糸井氏は、こうも語っている。

糸井「本当に取り返しがつかない、ひどいことが起こってしまった。でも、あえてそこでもう一度、「……でも」と続けたい」
早野「はい」
糸井「でも、放射線のことを闇雲に怖がっていても先に進めないんです。いま必要なことは、事実を正しく知って正しく怖がることなんだと思います。早野さんのような人にきちんと噛み砕いてもらって、ちゃんと怖がるために、本当に危なかった、という話はちゃんと踏まえた上で、「科学的に正しい事実を、人間が暮らすという視点から見てみよう」ということが、必要だと思うんです」

本人も認める“科学のド素人”である糸井氏が、どうして早野氏のことを手放しで「科学的に正しい」と信じ、「怖がってる人たち」は「正しい知識がどうも伝わっていない」と断じることができるのか。事故後、即座にメルトダウンの可能性を指摘した学者たちのほうがよほど信頼がおけるはずだが、どうしてそれを否定した原子力の専門家でもない学者を「冷静に事実だけをツイート」していたと感じ、「この人は信頼できる」と思ったのか。

●糸井重里は早野龍五論文問題にいつまでダンマリ続けるのか

ようするに、糸井氏は「科学的に正しい」かどうかを検証したわけでもなく、たんに“被害は大きくない”という声を信じたかっただけで、その自分が信じたものを「科学的に正しい」とお墨付きを与え、読者に広めただけではないか。

実際、『知ろうとすること。』のなかで、糸井氏はこんなことを述べている。

「ぼくも、原発に関しての政治的な意見を簡単に出すことはしたくない、と思ってきました。実際にそういうことを言わないように、意識して気をつけてきたつもりです。ただ、原発に対するイデオロギー的な部分は置いといて、とにかく誰もが望む当たり前のこととして、「人が生活する上で、何が何でも危なくないようにして欲しい」ということだけは、言いたい」
「あえていえば、なくてまったく問題ないなら、ないほうがいいですよ、原発なんて。でも、それは「はい・いいえ」だけじゃ言えない」

「人が生活する上で、何が何でも危なくないようにして欲しい」と望むのであれば、どう考えても原発をなくすしか方法はない。にもかかわらず、糸井氏は「「はい・いいえ」だけじゃ言えない」として答えないのだ。

原発事故後、糸井氏は〈ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます〉とツイートし、多くの人が“名言”と褒めそやした。このツイートについて、糸井氏は『知ろうとすること。』のあとがきで〈いまにして思えば、早野龍五さんの姿勢を語っているとも言えそうです〉と述べているが、糸井氏はこうやってふんわりと良識めいた言葉で包んでいるが、ようは異議申立てを封じ込め大勢に従えと言っているだけ。このような詭弁で、早野氏による原発事故による影響の過小評価に積極的に手を貸してきたのである。

そして、糸井氏は、早野氏の論文に重大な誤りがあると発覚した年末以降、いまだにこの問題について見解をあきらかにすることもなく、論文問題を無視して、通常運行のツイートをおこなっている。共著者として、さらに早野氏をほぼ日のサイエンスフェローに据えている責任者として何らかの反応があってしかるべきだと思うが、これこそが糸井氏の態度であるということを“信者”の方々には早く気付いていただきたいものだ。
(編集部)

当記事はリテラの提供記事です。

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