吉永小百合、高倉健…昭和大スターが『週刊大衆』に語った真実

日刊大衆

2019/1/9 17:30


写真はイメージです

1960年代、錚々たる有名人に突撃取材した本誌人気連載『突如参上』。当時の貴重なインタビューを「復刻再現」! あの名優がまだ若かりし頃の名言・珍言を一挙紹介します!

■大人気女優は看護婦さんになりたかった!?

 日活のドル箱女優として、吉永小百合(当時19歳)のブロマイドが売れに売れたのが1964年。その年の主演映画の興行収入は20億円を超えた。翌年1月、そんな超売れっ子のもとへ、全国のサユリストを代表して参上!

本誌の「初めてニキビができた年齢は?」などという意地悪な質問にも、いたずらっぽく笑いながら、「あれはネ、中学2年生のときかな。初め、自分では全然知らなかったんです。お友達に言われちゃって……。どんな気持ちがしたかって? そりゃもう恥ずかしいような嬉しいような……ほら、ニキビは青春のシンボルって言うでしょ。だから私も、いよいよ年頃になったのかなァ……と思って……」

そんな彼女が小さいときになりたかった職業は、「看護婦さん。あの白衣がいいなァと思って、憧れちゃった。お友達なんかもみんなそうで、自分たち同士で話し合って、どうやったら看護婦さんになれるのかしら……なんて言ったりしてたものです」

高校在学中、『キューポラのある街』のヒロインに抜擢され、中退した彼女は、大学入学資格検定試験を受けた。本誌の「苦手な課目は?」の問いに彼女は即座に「物理です」と答えている。「どうも、これは苦手だワ。大学入試の検定試験でも、物理が一番、出来が悪かったんです。好きじゃないからヤマかけちゃって(ペロリと赤い舌を出す)。そしたら、それがみんな外れちゃってね(ポツンと)ツイてないワ。それに自動車事故で体育の実技試験が受けられなかったし……」

インタビューで「今年こそは、なんとかものにしようと思っているんですけどネ」という小百合様は、その言葉通り、早稲田大学第二文学部に合格した。本誌との一問一答を続けよう。

――電車のシートに泥だらけの靴で上がっている子どもを見たら。

「注意してあげるワ。でも最近は、お母さん方が、ちゃんとしてらっしゃるようですね(中略)それよりも、この間、母が言ってたんですけど、近頃の若い人、お年寄りにあまり席を譲ってあげないでしょう。子供の靴より、そのほうが問題じゃないかしら」

――浪曲を聞きに行こうと誘われたら。

「(笑顔で)喜んで行きます。ヘンでしょう。そんなに笑わないでよ。私ね、好きなのよ。義理とか人情っていうんじゃなくて……なんていうのかな、日本本来のね、良さがあると思うんですよ」

●テレビプロデューサーと電撃結婚

 本誌の珍問にもきちんと答え、その答え方がまた、かわいらしい。そんな彼女にも欠点があるという。「そう、よく忘れ物をするワ。慌てんぼうなのね。学校へ行くのに、ノート忘れたりして……でも、絶対に忘れないものがあるの。なんだと思う?」 お茶目な笑いを浮かべた彼女がひと言、「それはね、オベントウ」。

28歳のときに15歳上のテレビプロデューサーと電撃結婚するが、本誌のインタビューで「結婚したらカカア天下になる?」と問われ、「(真面目な顔で)そういうふうになるかもしれません。(表情が柔らかくなって)というのはね、私って、すごい勝ち気なんです。負けるのが大嫌い。だから、私、大変なお嫁さんになるかもしれなくってよ」

いえいえ、結婚後も女性らしい女性像を演じ続けた吉永小百合は、平成が終わろうとしている今なお、輝き続けているのである。

■スター俳優の映画『網走番外地』封切前の貴重なインタビュー

 高倉健(1963年当時32歳)といえば、『網走番外地』や『昭和残侠伝』シリーズ(東映)などで一気にスターダムにのしあがるが、まだ、その代表作が生まれる前の話だ。デビュー10周年を控え、参上した本誌に開口一番、健さんはこう答えている。「野球なら実績に報いられる権利を持つとこかもしれないけど、ぼかァ、俳優です。10年たって、まだ、これだけかっていう反省だけが残ります」

後の大スターもこのときまだ、鶴田浩二主演の『人生劇場飛車角』(同)で準主役を射止めたばかり。「偶然入った店に、自分の大きなポスターがあったら?」と問われると、「照れくさくて、やりきれなくなるんです。逃げ出しますよ。とても、ご対面なんかしていられない」

一方、映画俳優という仕事については「ワルクナイ商売」と断言。同年輩のサラリーマンに「共感するか」という問いには、「共感というよりは尊敬したくなる。ぼかァ、ああいう型の中で決まった時間を送れない男なんだな。自分の力で、はっきり結果が出せなければイヤなんです。俳優ってのは、いつも自分の才能とツラ突き合わせているんで、サボれないんだな」

●江利チエミとの夫婦喧嘩は!?

 インタビューの大半は、歌手で女優の妻、江利チエミとの話に割かれている。「(女房は)大変な泣き虫ですね。(思い出したように)それにオッチョコチョイ、これは絶対だな。でも、いい……」

そのあと「女房」といいかけたようだが、照れくさそうに言葉を途切れさせた。本誌は「女房が女優であることの不便さは?」という問いも投げかけている。「ウチのやつは、プロダクションでスケジュールを立ててくれるんで、わりあいに不便じゃないですよ。ぼくが帰る10分ぐらい前に帰ってくるらしいんだけど、(ここで突然吹き出すように)もう3時間ぐらい前から、ぼくを待っていたような顔してるんですよね」

夫婦ゲンカについては、「どうもウチは盛大じゃないな。ぼかァ、やたらに腹が立つとケンカを吹っかけるんだけど、まるっきり向こうが相手にならないんだな。ニコニコ笑ってるんですよ。ノレンに腕押しだ」

――夫婦が死ぬまで一緒にいるには諦めが必要?

「これは難しい質問だな。ぼかァ、夫婦が一生涯愛し合うための条件は、思いやりだと思うんですが……」

――もう助からないと思ったとき、女房に何を言い残すか。

「(驚いたようにエエッと聞き直した後、楽しそうに)早く、いいのを探せよって言ってやる。(中略)いろいろ苦労かけたなってのは、やっぱり体裁悪くて言えないな」

やはり、そこは不器用なのだ。当時、そんな健さんには密かな楽しみがあった。

――女房のヘソクリに興味はありや。

「見つけるのは楽しいです。この間も見つけちゃった」

その後、離婚する2人だが、このときは理想の夫婦。だが、インタビューの1年前、京都市民映画賞を受けたチエミが「忙しくて行けないから、代わりに(賞を)もらってきて」と健さんに言ったところ、「女房の賞を、まだ賞も取ったことのない亭主がもらいに行けるか」とケンカしたという。そこに、“俳優・高倉健”の意地が見える。『網走番外地』が封切られるのは、このインタビューの2年後のことであった。

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