映画「ボヘミアン・ラプソディ」が描かなかったリアルなQUEEN、代表曲の難解な歌詞に隠された意味

エキレビ!

2018/12/31 09:45

『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒット中だ。まさか、ここまで行くとは思わなかった。

私も、この映画は観た。『ボヘミアン・ラプソディ』は名作である。でも、真実ではない。そこに否定的な心情を持ってはいないが、もし『ボヘミアン・ラプソディ』の描くストーリーが事実だという認識で浸透したならば……。それはそれで否定はしないけれども、本稿ではQUEENというバンドを全く別の角度から私なりの視点で再総括したいと思い立った次第。

QUEENがブレイクを果たすまで
QUEENがスタートしたのは1973年の夏。彼らは少し遅れてきた存在である。と言っても、今となっては全然遅くないのだが。70年代初頭にロックの有り様が変わるビッグウェーブが起き、その波が沈静化したタイミングでQUEENは現れた。
すでにLED ZEPPELINは5枚のアルバムを発表していた。異星人に変身して時代を変えたデヴィッド・ボウイもいた。YESやGENESISは限界にまで達しようとしていた。DEEP PURPLEとTHE WHOはとっくに超大物。アート・ロックのポジションにはロキシー・ミュージックがいた。イギリスの労働者を励ます“国民的”の座席にはエルトン・ジョンやロッド・スチュワートが自薦他薦両者からのリクエストでデンと居座っていた。

QUEENは先駆者ではない。もう革新的な楽器は開発されなかったし、創造の手法も発明し尽くされていた。

では、70年代中頃はどういう時代だったか? 60年代末から活動していた大物バンドの解散や活動休止が目立ち出した時期なのだ。QUEENがヒットシングル「Killer Queen」をリリースしたのは74年である。


70年に解散したビートルズ以来、ロックを自国の誇りとするイギリス……というかEMIは有望株を商業ベースに乗せたがっていた。「Killer Queen」によってQUEENはタイミングを捉えた。

同曲がイギリスでトップ5入りを果たした頃、フレディは発言している。
「僕らはアイデンティティを見つけた。今、僕らは誰にも負けない気がしているんだ。僕らはずっと、最もビッグで、最も優れたバンドを目指してきた。今そこに手が届くところまで来ているんだよ」

ロックが産業化した時期が60年代末~70年代初頭だとすると、70年代中頃は過渡期だった。ビートルズは人生を3分間の曲で表現していたが、後に出てきたツェッペリンはドラムソロに30分を費やした。グレイトフル・デッドのライブなど夜通しである。
1stを“LED ZEPPELIN風”、2ndを“YES風”と喩えられたQUEENが3rdで選んだのは、改めてのコンパクト化だった(「Killer Queen」の尺は約3分)。それまでのバンドに必須だったブルーズっぽい土臭さも彼らには皆無だ。QUEENは70年代型ロックを総括し、洗練させ、締めくくった。

QUEENを発見したのは日本のリスナーである。その中心となったのは女の子。「ロックは汗臭さだけではない」というQUEENによる新境地が、ロックに市民権をもたらした。今とは比べ物にならないほど洋楽がパワーを持っていた当時の日本。時代は洋楽至上主義。中でも、QUEENはさらに先を行った。何しろ、当時のQUEENの日本のファンクラブを運営していたのは渡辺プロダクションである。「ロックに市民権」どころか、ロックを芸能の領域にまでズンズンと押し進めたのがQUEENだ。

「僕らは素晴らしく薄っぺらだ。僕らの歌はビックの剃刀みたいなものでね。大量消費と使い捨て用に作られているんだよ」
フレディの発言は皮肉に満ちており、QUEENの“音楽”の本質はあえて言い当てていないが、QUEENという“バンド”の本質は説明していると思う。

代表曲「Bohemian Rhapsody」の難解な歌詞に隠された意味とは
3rdまでを「初期」とカテゴライズすると、彼らのキャリアにおける華は4~7thだ。何より、4th『オペラ座の夜』にとどめを刺す。


泣く子も黙る名曲「Bohemian Rhapsody」を聴いて何も感じない人間がいるのだろうか? 約180回にまで及ぶオーヴァーダビングを駆使した音作り。多種多様な人間の趣味嗜好の壁をブチ破る極上の「普遍的」をこの曲は提示している。

しかし、曲とは反対に歌詞には不明瞭な部分が多い。「ママ、人を殺してしまった」と告白し、「まだ人生は始まったばかりなのに/時々、生まれてこなければ良かったのにとさえ思う」と諦めの感情を吐露する主人公。彼が殺めたのは一体誰なのか? 映画『ボヘミアン・ラプソディ』で字幕監修を務めた音楽評論家の増田勇一氏は以下の解釈を提示した。

「この曲で彼が殺したのは、外ならぬファルーク=バルサラ(=フレディの本名)なのだと僕は考えている。イギリス生まれの白人ではないという出自を隠し、類いまれな才能の持ち主であるにもかかわらずコンプレックスめいたものを抱えながら、セクシャリティの部分での苦悩も抱えていたファルーク。その彼が自分自身のそれまでを消し去り、フレディ・マーキュリーという新たな名のもとに生きていくことを決意したことによって、この楽曲と歌詞は生まれ得たのだと思う。彼がどうしてもこの曲をシングルにしたかった理由、この歌詞の背景について多くを語ろうとしなかった理由もそこにあるのではないだろうか」(「BURRN!」2019年1月号より)

QUEENと精神性は水と油
QUEENの音楽は、間口が広い。最大公約数のリスナーにアピールするような曲ばかりだ。マジョリティゆえに、産業化したロックの象徴と捉えられてしまったこともある。「QUEENを嫌う態度がロック」とする風潮さえあった程。

少なくとも日本において、80年代のQUEENは冴えてなかった。84年に、まだアパルトヘイトが存在していた南アフリカのサン・シティで8日間にわたるコンサートを開催し、世界中から非難を浴びたQUEENであるが、ここで言いたいのはそんな大仰な問題についてではない。当時のQUEENが攻撃されたのは、スピリッツ(精神性)である。

彼らの精神性の希薄さを端的に表しているのは、1977年にリリースした6th『世界に捧ぐ』だ。このアルバムには、代表曲の一つ「We Are the Champions」が収録されている。


空気、読めなさ過ぎではないだろうか? パンクが全盛を迎える時期のイギリスで、「友よ、俺たちは王者だ」と脳天気に歌い上げるフレディ。偽悪的に言うと、彼らは何も考えていない。ロックに夢見るリスナーの仮想的となるのは必然だったのかもしれない。
(ちなみに、『世界に捧ぐ』とSEX PISTOLSの『勝手にしやがれ!!』が同時期に同じウェセックス・スタジオでレコーディングされたことは有名。パンクの永遠の名盤が生まれようとしている隣で、あんな大右翼作が制作されていたというのも運命的である)

フレディの死因によって“劇的”とさえ評されがちな彼らだが、実のところ、活動期間中のQUEENはドラマ性とは無縁のバンドだった。だって、ロックミュージシャン然とした精神性を持ち合わせていないから。
「グラフィックデザインかファッションの仕事に就こう」とぼんやり考えイーリング・カレッジ(卒業生にピート・タウンゼントやロン・ウッドがいる)に入学、次第に音楽の世界に入り込んでいったフレディ。元は天文学者で、バンドに参加した当時は大学院で「惑星間ダストの動き」の研究をしていたブライアン・メイ。ロジャー・テイラーは歯科医から転身したドラマーだ。ジョン・ディーコンは科学を学ぶ学生だった。

では、何がQUEENをスターへ押し上げたのか? 元も子もないが、音楽である。QUEENのわかりやすさは、その“ポップさ”にある。
QUEENのやっていることは複雑だ(未聴の人は『QUEENII』収録の「The March Of The Black Queen」を体験してほしい)。複雑なものを簡単に見せる能力を彼らは持っている。曲展開だけではない。ブライアン・メイのギター・テクニックは数多いるギター小僧をはねのけたし、フレディの声には天賦の才があった。

精神性の欠如が、逆にQUEENの音楽性を際立たせている。手垢にまみれた表現で恥ずかしいが、彼らの音楽は間口が広くて奥が深い。

四面楚歌を打ち破った「LIVE AID」
今まで偉そうに語ってきた筆者だが、QUEENに初めて触れたのはベスト盤である。きっかけは、かの有名な『GREATEST HITS』。


内容は、もちろん抜群だった。いい! 当然、『GREATEST HITS II』のほうにも食指を伸ばした私。期待十分で再生ボタンを押した。
「あれ? あんまり良くないかも……」

初期QUEENの売りの一つに、「nobody played synthesizer」なるクレジットがあった。どのように作られたかまるで見当のつかない摩訶不思議なサウンド。QUEENの1st~4thでプロデューサーを務めたロイ・トーマス・ベイカーは「QUEENはシンセサイザーを使うべきではない」と確信していた。特殊効果が必要な箇所に差し込まれたのは、エフェクトの効いたブライアン・メイのギターである。なのに、80年代の幕開けとともにリリースした『THE GAME』では“禁じ手”だったはずのシンセを大っぴらに大量導入!


『GREATEST HITS II』に収録されているのは、82年発表『HOT SPACE』以降の楽曲だが(アナログ期には『HOT SPACE』収録曲「Under Pressure」は『GREATEST HITS』のほうに入っていた)、次第にQUEEN熱が冷めていく日本のファンの心模様は後期の楽曲に触れると何となく察することができる。産業ロックっぽいし、フックがないし、ヤワい。我が国でオワコン化していくQUEEN。「買って損した!」「もう、ここからは聴かなくていいんだな」と、中学時代の筆者はヘコみながら確信していた。

そんな私の落胆を打ち消してくれたのは、1つのライブ映像だ。「LIVE AID」である。


ロケットのようなライブだった。「Hammer To Fallってこんなにいい曲だっけ!?」「Radio Ga Gaで大観衆が頭上で手を叩く光景はノーベル平和賞もの!」と、ライブを契機に一曲一曲への印象が180度変換されてしまうのだ。

南アフリカでのライブ開催が原因で、「LIVE AID」出演者リストにQUEENが加わった際は非難の声が上がったという。当時、彼らは四面楚歌だった。「LIVE AID」でのパフォーマンスをブライアン・メイは振り返る。
「本当に素晴らしい時間だったよ。ほとんど期待していなかったんだ。何しろ、僕たちはあの出演ラインナップの最後に加わったバンドだったからね。しかも僕たちの参加が発表される前に、チケットは完売になっていたんだ。だから、あの場にいるのはQUEENのオーディエンスではないということを僕たちは把握していたし、ステージに出て行く瞬間もさほど大きな期待は抱いていなかった。むしろ、ちょっと部外者のような感覚も持っていたと思う。だからこそ、あの反応にはものすごく興奮したよ」(「BURRN!」2019年1月号より)

映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、QUEENならびにフレディの歴史に必ずしも忠実ではない。彼らにとって最初の全米ツアーはモット・ザ・フープルの前座としてだし、フレディがエイズに冒されているとメンバーに告げた時期にも明らかな差異がある。
しかし、今作を近年のロック伝記映画の中でもベストの一つに挙げることに何の抵抗感も抱かない。QUEENというバンドならびにフレディ・マーキュリーの特異さと不可思議な魅力を存分に伝えている。フレディが死の間際まで制作に携わっていた遺作『INNUENDO』(1991年)について描写せず、「LIVE AID」をクライマックスに配したのにも合点が行く。エイズと闘うフレディの姿を客の想像に任せ、余韻を残して突っ走るには「LIVE AID」をエンディングにするのも手である。Don’t Stop Me Nowなのだ。

ただ、QUEENのキャリアは「Killer Queen」で始まり「LIVE AID」で終わったわけではない。もしも映画で彼らに興味を持ったならば、是非とも『INNUENDO』にも触れてほしいし、映画でさほど触れられていなかった初期2作も体験してほしい。何しろ、QUEENは最初から出来上がっている。1stも凄いのに、2ndはもっと凄い。『QUEENII』でフレディが全曲を手がけた通称「サイド・ブラック」は、ロック史上最強のB面だと私は評価している。個人的に、ビートルズ『ABBEY ROAD』のB面メドレーより凄い。
QUEENの真骨頂は、音楽。何度も言うが、間口が広くて奥が深いのがQUEENの音楽だ。
(寺西ジャジューカ)

当記事はエキレビ!の提供記事です。

あなたにおすすめ

ランキング

ランキングをもっとよむ

注目ニュース

注目記事をもっとよむ

あなたにおすすめ