金メダル以上の驚き…『1936年のベルリンオリンピック メダルなき勝者たち③』丹羽保次郎×村野四郎

TheNews

2018/12/7 16:00


 1964年の東京オリンピックの話をしてきましたが、それよりも以前、戦前のテレビもない時代のオリンピックは、国民はどのように知り、盛り上がっていたのでしょうか?当時の日本の情報元はラジオか新聞、映像ニュースは映画館での視聴でした。スポーツの醍醐味はリアルタイムですが、新聞や映画は時間差がでてしまいます。

1936年(昭和11年)にドイツで開催されたベルリンオリンピックの女子水泳200メートル平泳ぎ決勝に日本の前畑秀子が出場した際、ラジオ実況のNHKアナウンサー河西三省が「前畑がんばれ」を24回繰り返し、結果、日本人女性初の金メダリストとなった実況が有名です。音で聞いて妄想する。当時の異国の地でのスポーツの楽しみはここまででした。できることなら、より早くリアルを追求したい。それに挑み写真電送技術を発明したのが丹羽保次郎です。

丹羽保次郎(にわ・やすじろう)は三重県出身。東京帝国大学を卒業し、逓信省電気試験所に入ります。当時の日本の電気技術は欧米からの技術導入が中心で、日本独自の研究開発の必要性を感じていました。文字はモールス信号が主流だった時代、現地の様子はわかりません。そこで、写真を電送できないか。研究に取り組み、写真電送のNE方式(有線写真電送装置)を発明します。この装置は現在のFAXの基になるもので、取扱いが簡単であるばかりでなく、完全に写真が再生できるもので、我が国初の写真電送装置でした。1928年(昭和3年)昭和天皇即位式をこの方式で京都から東京に電送することに成功しています。

有線電送のみならず、無線写真電送の研究も始め、1929年に東京‐伊東間で、日本初の長距離無線写真電送の実験を成功させました。そして改良を重ね、1936年のベルリンオリンピックを迎えます。この装置をベルリンに送り、ベルリン‐東京間8000kmの無線写真電送に成功しました。リアルタイムに現地の写真を見ることができる画期的な技術は、金メダル以上の驚きをもたらしました。この丹羽の方式は現在世界で使われている写真電送の基本となっています。

スポーツを題材とした詩に組み合わせた斬新さと新鮮な感覚で注目を浴びた詩人が村野四郎さん

ベルリンオリンピックで撮影された写真を活用し、スポーツを題材とした詩に組み合わせた斬新さと新鮮な感覚で注目を浴びた詩人が村野四郎です。村野四郎は東京出身。高校生から詩作を始め、慶應義塾大学入学後も詩作を重ね、新しい詩的思考による知的作風を樹立しました。卒業後は理研コンツェルンに勤務。ドイツ近代詩の影響を受け、感傷を表さない客観的な美をつくり出します。1926年処女詩集『罠』を刊行。その後も多くの詩誌に、20世紀西欧文学に学びつつ実験的作品を発表。モダニズムの代表的詩人として知られていきました。そして、ベルリンオリンピック翌年に発表したのが、スポーツの詩と写真を組み合わせた『體操詩集』(體操=体操)です。詩が添えられたスポーツ選手の競技写真集は、当時としては画期的であり、オリンピックを生で観たいという風潮に掻き立てられたことでしょう。

なお、村野四郎は戦後も多くの作品を発表しており、国語の教科書に取り上げられることが多い『鹿』は代表作の一つ。卒業式の定番曲として知られる『巣立ちの歌』の作詞や、アウグスト・ハインリヒ・ホフマンの詩を日本語詩にした曲「ぶんぶんぶん はちはとぶ~」の歌は有名です。

丹羽保次郎 埋葬場所: 10区 1種 2側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/N/niwa_ya.html
村野四郎 埋葬場所: 8区 1種 14側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/M/murano_s.html
参考リンク:體操詩集
http://www.nichigetu-do.com/navi/info/detail.php?id=188
(古書日月堂)

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

あなたにおすすめ

ランキング

もっとよむ

注目ニュース

もっとよむ

あなたにおすすめ