上沼恵美子批判が勃発した『M-1グランプリ2018』に望まれるのは「審査基準の明示」ではないか

wezzy

2018/12/5 21:05


 漫才日本一を決定する年末恒例の『M-1グランプリ』。12月2日に『M-1グランプリ2018』(テレビ朝日系)の決勝戦が開催され、霜降り明星が史上最年少での優勝を果たした。

霜降り明星は、共にピン芸人として『R-1ぐらんぷり』の決勝戦に進出経験がある、ボケのせいや(26)とツッコミの粗品(25)による2人組だ。ひとつのシチュエーションの中でせいやがボディアクションを使ったボケを次から次へと繰り出し、そこに粗品がツッコミを入れていくというスタイル。連続するボケと意外性のあるツッコミワードが絡み合いながら、笑いを増幅させていくのが持ち味となっている。

そんな新星・霜降り明星が優勝するという歴史的大会となった今年のM-1だが、同時に話題となったのが審査員の採点だ。

特に批判が集中したのが、上沼恵美子。上沼は寸評の中で“好み”というワードを出しており、「自分の“好み”に合うかどうか」がひとつの審査基準であったことを示唆している。そして、89点をつけたギャロップのハゲネタに対し「自虐はウケない」とコメントしておきながら、その後に登場したミキの自虐ネタについては「突き抜けていた」として、98点の高得点を与えるなど、審査におけるブレも垣間見られた。さらに、上沼はミキに対して「好き」「がんばれ」とも発言しており、採点の裏側にえこひいきがあったかのようにも見えた。

番組内での発言のすべてが上沼の本音であるわけではないだろうが、“好み”こそが上沼の審査基準になっていたように感じられたのは事実。その結果、客観的な視点ではなく、主観的な視点で審査しているということで、審査員としてふさわしくないのではないかとの意見が噴出、「とろサーモン」の久保田かずのぶと「スーパーマラドーナ」の武智による“インスタライブ泥酔批判”、さらにはそれに対する“謝罪騒動”にまで発展してしまった。

上沼と同じく波紋を呼んだのが、立川志らくの審査だ。志らくは、ジャルジャルに99点、トム・ブラウンに97点という高得点をつけた一方で、ミキには89点と少々辛めの点数をつけている。ほかの審査員と採点傾向にギャップがあり、志らくもまた自らの“好み”を反映しているのではないかとの意見もあった。

しかし、志らくは放送後にツイッターでこんな投稿をしている。

“M1、霜降り明星おめでとう。ジャルジャルに笑えなかったが面白かったというのは最高の褒め言葉。プロ同士、つまりライバルだから笑えない。でも最高に面白いのです。談志の落語を聴いて私は笑わない。でも1番面白い。という事。逆に笑えるけれど面白くないのもある。大衆的でそういったのが売れる。”

“吉田正樹氏が言っていたが最近のM1はテクニックの品評会になっていた。センスを競う場所が好ましい。音楽の世界でもそうです。最後はセンス、魅力が勝ちます。サザンや椎名林檎、フジコフエミング、SMAPを上手いで評価しない。テクニックを競う会は衰退してしまう。落語も上手い人ではなく魅力。”

つまり、自らの“好み”ではなく、プロの芸人から見た“センス”の部分を重視した審査をしていたということなのだ。おそらく、ほかの審査員たちは志らくほど“センス”を重視していなかったのだろう。だから、志らくの採点が浮いて見えたのかもしれない。

おそらく、上沼も単純に“好み”で審査していたわけではなく、かつて「天才漫才師」と呼ばれた芸人としての視点を持ち、なんらかの基準を持って審査していたはずだ。しかし、志らくのようにその基準を説明することはなく、ついにはラジオ番組で「審査員引退」を宣言するに至った。もしかしたら、自分の中の基準が現在のお笑い界にフィットしないと感じたがゆえの「審査委員引退」だったのかもしれないが、いずれにしろ上沼がどんな基準で審査をしていたのか、しっかりと説明すれば、批判的な意見にも反論できるだろう。

審査基準を示すということでは、今回初の審査員となったナイツ・塙宣之はギャロップに対して「M-1の4分の筋肉を使い切れていなかった」とコメントしている。塙は、M-1の漫才は日頃劇場で繰り広げられる漫才とはまた別のものであるととらえ、あくまでも「“M-1の漫才”としてどうなのか」という基準で審査していたことがうかがえる。

“M-1の漫才”というものが明確に定義されているわけではないが、過去の優勝者のネタの傾向から推察すると、ある程度のボケ数、客が一気に沸く大きなボケ、後半につれて盛り上がる展開、斬新な発想などがその要素として考えられる。塙のように、審査員がその審査基準をしっかりと明示していけば、今後のM-1の審査基準も確固たるものとなっていくはずだ。

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バランスよくハイレベルな漫才をした霜降り明星
 審査員たちのコメントや採点からもわかる通り、審査員らの審査基準はまちまちだ。そんななか、霜降り明星が高得点をマークしたのは、さまざまな要素においてそれだけハイレベルだったということだろう。いわば、霜降り明星は“センス”の部分と“M-1の漫才”の部分の両方で高い水準にあったということであり、バランスがいい漫才だったということなのだ。最年少なのだから粗削りな漫才をするかと思いきや、バランスが取れた完成度の高い漫才をした霜降り明星は、優勝にふさわしいコンビであるといえるだろう。

そして、霜降り明星と同じくらいの高評価だったのが、3大会連続で準優勝となった和牛である。ファイナルラウンドでは霜降り明星が4票、和牛が3票であり、まさに僅差。和牛が優勝してもおかしくなかったことは間違いない。

とはいえ、今年の和牛は単純に笑いの量や衝撃度では昨年に比べると劣っていただろう。1本目に披露したゾンビのネタなどは、前半ではあまり笑いが起きず、審査員や視聴者もヒヤヒヤしていたはず。しかし、後半でしっかり大きな笑いをつくりだすのは、さすがといったところだ。

ただ、これがもしも決勝初進出の無名なコンビであったら、どうだっただろうか。審査員も視聴者も「和牛のネタは構成力がすごい」と知っていたからこそ、ラストの盛り上がりを待つことができたのではないだろうか。

そういう意味では、今回が決勝初進出となった見取り図は、自分たちのキャラクターを知られてなかったがために、点数が低くなってしまったとも考えられる。見取り図も和牛のネタと同様に前半は静かにスタートし、後半で前半の伏線を回収しながら一気に盛り上がっていくというパターンだ。しかし、見取り図は前半の重めな雰囲気を挽回できずにネタが終了した形となった。もしも、審査員や観客、視聴者が見取り図の芸風を把握していたのであれば、「あたおか」などの特異なツッコミフレーズが登場したところで、大きな笑いが生みだされていたのでは……そんな想像をしてしまうのだ。

審査の寸評をブログで公開するオール巨人
 基本的に現在のM-1の審査は、「その日のネタの出来を評価する」ということが建前となってはいる。しかし実際にはコンビを取り巻くさまざまな文脈を考慮したうえで審査されている。和牛に関しては、その文脈がメリットにもデメリットにもなったといえるだろう。実力者であることは明確なのであるから、当然点数も高くなる。しかし、実力者であるがゆえに何か新しい要素を求められるわけであり、新要素の有無が点数にも影響してしまう。ほかのコンビであれば98点のネタであっても、和牛の場合は95点くらいになってしまうこともあり得るのだ。

一方、決勝初進出のコンビにとっては、M-1における文脈からの影響は受けづらいが、こちらはこちらでメリット・デメリットがある。それこそ見取り図のように、“ネタの見方”を周知されていないがゆえに点数が伸びないこともあれば、トム・ブラウンのようにあまり知られていないがゆえの“衝撃度”による加点の可能性もある。

本当にその日のネタの出来のみを審査するのであれば、一切の文脈は排除されるべきだ。しかし、実際には文脈ありきですべてが審査されており、さらにはその文脈が与える影響はそれぞれの審査員によって異なるものとなっている。それこそ事前に出場者のネタを予習している審査員と、そうではない審査員とで、評価はかなり異なってくるはずだ。

つまり、もはや審査員によって審査基準が異なるのは仕方ないことなのだ。そもそも漫才とは定量的に評価できるものなどではなく、仮に同じ審査基準を持っていたとしても、まったく異なる採点となる可能性もある。この点については割り切るほかない。

でもだからこそ、審査員はどんな基準で審査を行ったのか明確に説明する必要があるのではないだろうか。審査員がなんとなく採点しているわけではないということを明示しないと、いつまでも感情だけで審査しているかのようにとらえられてしまう。それはあまりにも不毛であり、芸人にとっても好ましいことではない。芸人が審査員に対して不審感を抱いたままであれば、M-1は間違いなく衰退し、そして漫才も衰退する。だからこそ、審査員はしっかりと審査基準を明確にすべきなのだ。

たとえば、塙が言う「M-1の4分の筋肉」がどんなものなのかが明示されれば、M-1で勝つためのネタがつくれるようになるかもしれない。あるいは、上沼がネタのどんな部分を重視して審査したのかを具体的に話せば、幅広い層の視聴者に愛される漫才の形が見えてくるかもしれない。そして、松本人志は何を基準に審査をしているのかがつまびらかにされれば、今後の若手の漫才の進化を促すことができるかもしれない──。芸人たちは、審査員が何を基準にネタを見ているかを知ることで、ネタをパワーアップさせることもできるはずなのだ。

ちなみに、これまでオール巨人はM-1後に各コンビの寸評をブログに掲載、何を評価して、何を評価しなかったかを事細かに説明している。各審査員がこのような寸評をしっかり残し、さらにはお笑いファンや芸人を含めて、その意見を共有することで、何かと批判されることが多いM-1グランプリの審査が、よりフェアなものとなる可能性はあるだろう。

すでに14回を数えているのに、今なおその審査についてさまざまな異論が投げかけられているというのは、コンテストとしては少々未熟すぎるような気もする。確かに、お笑いを審査するということは簡単なことではないが、それをあえて真正面からやるのがM-1グランプリだ。ネタだけでなく、審査もまた進化する必要があるのではなかろうか。

(文/青野ヒロミ)

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