タモリが愛され続ける理由は? 番組で飛び出した名言や『弔事』に称賛の声

grape

2018/12/4 13:46

ビートたけしさんや明石家さんまさんとともに『お笑いビッグ3』と呼ばれ、広く知られているタモリさん。

独特の感性から発する言葉が『名言』として、人の心を打つことも少なくありません。

そんなタモリさんの活躍ぶりや、伝説となった『弔事』、話題になっている名言の数々など、さまざまな情報をご紹介します!

タモリってどんな人?

まずは、タモリさんのプロフィールをチェックしていきましょう!

本名:森田一義

生年月日:1945年8月22日

身長:161cm

血液型:O型

出身地:福岡県福岡市

所属事務所:田辺エージェンシー

タモリさんは、終戦から1週間後の1945年8月22日、福岡県福岡市で生まれました。

幼少期から独特の感性を持っていたようで、幼稚園への入園を拒否して1日中坂道に立ち、人間観察を行っているような子供だったそうです。

好奇心旺盛で、中学時代には剣道部と陸上部に入部。高校時代は剣道部と吹奏楽部に所属し、アマチュア無線クラブや居合道場にも通うなど、興味の対象になったものを追求していったといいます。

高校を卒業後は1年間浪人を経験。浪人中は押し入れの中で中国や韓国のラジオを聴いていたそうで、この経験が、現在の持ちネタである『外国人モノマネ』につながったといわれています。

※写真はイメージ

やがて早稲田大学第二文学部に進学し、モダン・ジャズ研究会に入ります。トランペットを担当しましたが向いていなかったようで、すぐにマネージャー兼司会を担当することに。このころのニックネーム『タモリ』が、現在の芸名になったとのこと。

大学2年生の時に友人の旅行費用を肩代わりしましたが返済されず、大学3年生の時に学費未納のために抹籍処分となり、故郷・福岡に戻ることに。

福岡に戻ってからは、保険外交員や旅行会社の社員、ボウリング場の支配人を経て、『喫茶店のマスター』に転職。

このころに出会ったミュージシャンとの縁で、月に一度、上京して『即興芸』を行うという変わった生活を送ることになります。

そんな生活の中で、人生の恩人となる漫画界の巨匠・赤塚不二夫さんとの運命の出会いを果たしました。

タモリさんの即興芸を一目見て気に入った赤塚不二夫さんは、タモリさんを自宅に招き、居候させます。

奇妙な同棲生活を送る中で、赤塚不二夫さんはタモリさんを芸能界入りさせることを決意。自らの番組にタモリさんを特別出演させ、その知名度向上に努めました。

そして1976年、タモリさんが30歳の時に、コメディ番組『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組! 空飛ぶモンティ・パイソン』(東京12チャンネル・現テレビ東京系)で、正式に芸能界デビューします。

その後、ラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)や、バラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ系)などの出演でファンを増やし、広く認知されていきました。

[caption id="attachment_599614" align="alignnone" width="510"] タレントとしての活躍が注目され始めたころのタモリさん 1981年

そして、1982年に伝説のバラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)がスタート。2014年3月の放送終了まで、31年半続く長寿番組となり、まさに、『お昼の顔』となりました。

タモリさんは現在も、バラエティ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)や音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)など多くの番組を担当しており、精力的に活動しています。

タモリの名言が話題に 「頑張ると続かない」「やる気あるものは去れ!」

独特の考えかたを持つタモリさんは、これまでの芸能生活の中で、たくさんの名言を生み出しています。

例えば、タモリさんの名言として広く知られているのが、「やる気のある者は去れ」という言葉。

その真意が、2014年4月21日放送のラジオ番組『タモリの「われらラジオ世代」秘蔵版』(ニッポン放送)で紹介されました。

やる気があるヤツは、暑苦しいんだよ、そばにいるとさ。TVでも、やる気のあるADっているじゃん。大嫌いなんだよね。

大体ね、やる気のあるヤツっていうのは、中心しか見てないんだよね。

お笑いっていうのは、大体、周辺から面白いものが始まってるから。「アレ?」っていうね。そこから広がっていくから。やる気のあるヤツは、真ん中しか見てない。
タモリの「われらラジオ世代」秘蔵版 ーより引用どうやら、「やる気がある人は集中するあまり、視野が狭くなっている」という意味のようです。

また、最近では2018年10月2日放送の情報番組『news zero』(日本テレビ系)に、タモリさんがゲスト出演した際に語った言葉が話題になりました。

番組では、同年にフリーになったアナウンサー・有働由美子(うどうゆみこ)さんとタモリさんが対談。有働由美子さんは以前、タモリさんから番組が長続きするコツは「頑張らないこと」と教えられたそう。

その真意について有働由美子さんが尋ねると、タモリさんはこう語りました。

頑張ると疲れる。疲れるとやっぱり続かないですよ。

頑張れって、いまの世の中いいすぎじゃないですか。

「頑張れ」とか「生きかたのなんとか」とか、あんまりいいすぎて、ちょっとみんな重いことになってるんじゃないですかね。
news zero ーより引用この言葉に、ネット上では「その通り」「同意見。マイペースでやったほうが続く」といった共感の声が続出しました。

タモリさんの言葉には、人を惹き付ける不思議な力があるのでしょうね。

何も変える必要はない タモリ、有働由美子アナへのアドバイスが深い

タモリ 赤塚不二夫への弔辞が感動的すぎる!

2008年8月、タモリさんが世に出るきっかけを作った恩人・赤塚不二夫さんが、肺炎のため亡くなりました。

葬儀に参列したタモリさんは、本名の森田一義として弔辞を読むことに。

弔事を読むタモリさん 2008年

約8分間にも及ぶ弔事は訃報を聞いた時の心境から始まり、赤塚不二夫さんの活躍ぶりや自身との出会い、思い出など、さまざまなことが語られます。

そして、このような言葉で弔事を終えました。

私はあなたに生前お世話になりながら、ひと言もお礼をいったことがありません。

それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼をいう時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。

あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。

しかし、いま、お礼をいわさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。

合掌。

よどみなく別れの言葉を述べたタモリさんでしたが、手に持っていた巻紙はなんと白紙。

一部報道によれば、タモリさんは何を話すかを紙に書いていこうと思っていたそうですが、前日に酒を飲んだことで「面倒くさくなった」といい、今回の白紙を読み上げる弔事になったのだとか。

現在もこの弔事は語り草になっており、ネットにも「あれはすごかった」「いまでも思い出す」といった声が上がっています。

タモリの『ピーマン』料理が絶品と話題に!

料理通で知られているタモリさんが以前、『笑っていいとも!』で紹介したピーマンの美味しい食べかたが、ネット上で話題になりました。

その料理は、いわゆる『ピーマンの煮浸し』で、材料は以下のようにシンプルなものです。

・ピーマン(5個)

・サラダ油(小さじ2)

・醤油(大さじ1)

・みりん(大さじ1)

・酒(大さじ1)

・水(50cc)

・だしの素(適量)

・カツオ節少々
タモリめし ーより引用そして作りかたもとても簡単。

1.ピーマンは洗ってタネやヘタを取り、4~6等分に切る。

2.鍋にサラダ油を熱し、中火でピーマンに軽く焦げ目が付くまで炒める。

3.上記の調味料を全て加え、ピーマンがくたっとなるまで3分ほど煮る。

4.お皿に盛ってカツオ節をかける。
タモリめし ーより引用手間がかからず、それでも「めちゃくちゃ美味しい!」と評判のピーマン料理。作ってみてはいかがでしょうか。

タモリの現在・これからは?

タモリさんは現在、テレビ朝日で放送中の『タモリ倶楽部』、『ミュージックステーション』、そしてNHKで放送中の『ブラタモリ』と、多くのレギュラー番組を持っています。

前述の有働由美子さんとの対談で「TVは見るもんじゃない。出るもんだね」と語っているので、これからもまだまだ、タモリさんのTVでの活躍が見られそうですね!


[文・構成/grape編集部]

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