日本で唯一“クレイジー競技”アイスクロスに参戦する山本純子はアイスホッケー、テレビマンの三刀流

日刊SPA!

2018/12/3 15:49



「世界一アツい氷上バトルが日本初上陸!」

大会アンバサダーの武井壮が、こうナレーションするコマーシャルを見かけた人も多いだろう。欧米で人気上昇中のアイスクロス・ダウンヒルの世界大会が、12月7日、8日に横浜で開催される。

このCMに凝縮されているように、見た目にはとにかく派手(決着はシンプルで氷上のかけっこ)。大会名「ATSXレッドブル・クラッシュドアイス・ワールドチャンピオンシップ」とあるように、クラッシュ(衝突)が見どころの一つとなっている。

初めて見た人は誰もが「クレイジー!」と驚くワイルドな競技だが、日本人で唯一、2010年シーズンから参戦を続けているパイオニアは、山本純子という女性アスリートだ。彼女もまた、最初はテレビCMを見て、アイスクロスの魅力にとりつかれた一人。今も現役のアイスホッケー選手で苫小牧ケーブルテレビ制作部に所属する“テレビマン”でもある。

何となくタフでバリバリの女性を想像するかもしれないが、近寄りがたい雰囲気もなく、むしろしなやかさを感じさせる。そのうえ、底抜けに朗らか。この「クレイジー!」を危険とも思わず、競技を楽しく追求している姿は、見ていて清々しいほどだ。

とはいえ昨季は、マルセイユ大会の試合前練習で膝を強く打ちつけ、急きょ3針を縫う大けがもした。その時の彼女はというと、「皮膚が裂けて肉が見えちゃった!」「日本の担当ドクターに聞いたら『大丈夫』って言われたし平気です」と笑い飛ばし、そのままレース続行を決断。その結果、準決勝進出を果たしている。そんな彼女の逞しさは、どこから来るのか。

◆カエルの死体があるような池。天然リンクで男の子と上級生と一緒にプレー

山本の出身は長野県軽井沢町。避暑地として知られる同地は、冬はスケートが楽しめる町としても発展してきた。小学校にも授業の一環でスケート教室があったといい、山本も物心をついた頃にはスケート靴を履いていたという。

山本ははじめ、小学校1年生から2年生の途中まで、スピードスケートを習っていたという。だが、2つ上の兄がアイスホッケーをやっていたことがきっかけで、小学校2年生の途中から山本もアイスホッケーに転向。すると、「男の子よりも速い!」と周りも驚くスケーティングを披露し、嬉しくてみるみるハマっていったという。

「冬になると凍る池があって、学校が終わるとそこで滑るのが楽しみで。土日も滑ってましたね。カエルとかが死んでたり、リンクの下にはその卵があったり。ボコボコの天然のリンクですけど、お兄ちゃんたちとも一緒にみんなで滑ってました」

パワー、スピードともに男女差がでてくる中学生以降も、上手くなりたい一心で男子の練習に食らいついた。女子のクラブチームである軽井沢フェアリーズに所属し、試合に負けると悔しさを晴らすため、この天然リンクで滑り込んだという。

◆日本代表候補に選出。1年休学を決断。新卒で地元テレビに務めるも…

大学時代は、アイスホッケー日本代表の夏合宿メンバーに選出されるように。初選出が就職を考える3年生だったこともあり、1年間休学して進路を考えた。結果、所属するBプールの軽井沢フェアリーズをAプールに昇格させたいと思いを募らせ、新卒でまずは地元テレビ局に就職。専属レポーターとして、取材から原稿の作成、読み上げまで、キャリアを磨きながら、アイスホッケーの練習を続けた。

山本は、働きながらも代表候補に選ばれたが、日本代表には遠かったという。24歳になって考えたのは、「こんな練習量では当然だろうなって。このままだと、仕事もホッケーも中途半端になる。年齢を考えたら、最後のチャンスかもって、ホッケーに専念することにしたんです」。

そこで、山本は日本トップのレベルで知られる苫小牧のチームに直談判。「チーム事情もあって、強豪チームの三星ダイトーペリグリンに移籍させてもらえたんです」。さらに仕事も、引っ越しと同時に履歴書を送ると、アスリート活動の優先を了承してもらえる条件で、見事に軽井沢から苫小牧のテレビ局へと“移籍”を果たす。

驚くべき行動力で、道を切り拓いた山本は、その後ほどなく同チームで「日本一」も経験。2015年から大東開発ネクサスに所属しているが、アイスクロスに出会ってからは、パイオニアとして世界中を転戦し、「年々レベルアップしている」と手応えを隠さない。

◆骨折も自力で運転。両親は「心配してない」、友人は「ケガするかも」

アスリート活動の傍ら、現在は苫小牧ケーブルテレビで、主にローカルのニュースと幼稚園の番組を担っている山本。試合や練習の合間を縫っては、テレビマンとして、カメラを回し、取材し、映像を編集する。同局がアイスホッケーの試合を中継するようになってからは、その実況も務める。

「私、丈夫なんです」と自負する山本だが、手術を伴う大けがをしたこともある。2014年にアイスホッケー全日本大会の試合中、左足首を骨折したのだ。この時はボルトを入れる手術を施し、3週間の入院を余儀なくされたのだが、ちょうど試合の応援に来ていた父は、娘の入院準備だけ手伝うと、予定どおり軽井沢に帰ってしまったという。

「手術前日に父を空港で見送って、ケガをしたのも左足だったので、自分で運転して戻りました」とあっけらかんと笑うのだ。

なお、両親ともにアイスクロスを「クレイジー」とは思っていないらしい。「アイスホッケーを応援してくれるぐらいですから」と山本。周りの友人も、アイスホッケーをよく知っているため、「クレイジー」とは思っていないというから、驚きだ。

「ホッケー友だちは『いいなあ』って言うぐらいです。それならとクラッシュドアイスへの参戦を勧めたんですど、『ケガするかも』ってみんな選考会にも来てくれませんでした」と残念がる。

山本いわく、「アイスクロスはダウンヒル競技なので、転んだり、フェンスに当たったりしても、力が“流れる”から、けっこう大丈夫なんです。アイスホッケーの方がぶつかった時、まともに衝撃があって痛いぐらい」。

実際、彼女が骨折したのも、アイスホッケーの大会だったが、それでも今年のアイスクロスで「肉が見える」ほどの裂傷をしたばかりだ。日本初開催の横浜大会では、スタートしていきなり22mの落差の斜面が待ち受けるが、「楽しみしかない」と嬉しそうだ。

実は横浜は、山本が生まれた街。けいゆう病院なのだそう。当時は元町にあったが、今はみなとみらい。奇しくも横浜大会の会場のすぐ隣に佇む。アイスホッケーを経てアイスクロスのキャリアを自ら開拓してきた山本。待ち焦がれた日本初開催に伴う“偶然”も、運命が導く祝福なのかもしれない。果たして自己最高の4位を更新し、念願の表彰台なるか。楽しみしかない。

取材・文/松山ようこ

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