聖地転変 ~あのとき『らき☆すた』と鷲宮と埼玉県に起こったこと~ Vol.2

SPICE

2018/12/3 12:00

実在する場所がアニメの舞台になり、そこにアニメファンが訪れる。そしてアニメの舞台になった場所、地域がアニメファンを迎え入れることで、地域が活性化されるということが当たり前になってきている。そんなアニメファンがアニメの舞台になった場所を訪れることを「聖地巡礼」と呼ぶ。
聖地巡礼プロデューサー・柿崎俊道氏によるアニメファンとアニメの“聖地”になった地域との関わり方を問うコラム連載の第二回。アニメファンの想い、“聖地”となった地域の人々の想いに直に触れたきた柿崎氏が語る、聖地巡礼の走りとも言える『らき☆すた』と鷲宮の姿とは?


第二回 聖地の担ぎ手

37年前の千貫神輿

埼玉県久喜市鷲宮にある鷲宮神社は関東最古の神社として知られている。年6回、神楽殿で行われる「鷲宮催馬楽神楽」は関東神楽の源流とされ、昭和51年に重要無形民俗文化財指定を受けている。(久喜市ホームページより)

鷲宮神社はその由緒は正しく、地域の信仰を集める。一方、鷲宮で生まれ育った人間に話を聞くと、鷲宮神社の違った側面が見えてくる。鷲宮神社の境内や奥の雑木林、傍らを流れる用水路「青毛堀川」は子どもたちの格好の遊び場だ。

昭和初期から続く和菓子屋「島田菓子舗」を営む島田菓子舗の店主島田吉則さんは嬉しそうに子ども時代を振り返る。

「僕ら、地元の子どもたちは何かっていうと鷲宮神社に集まっていました。よく釣りをしましたね。コイやフナを釣るんですよ。青毛堀川と東武伊勢崎線が交わっているところがあります。川の流れが直角に曲がっていましてね、そこがよく釣れたんですよ。もう1箇所、東武鷲宮駅から鷲宮駅入口の交差点に向かって歩くと新道橋という橋がありますよね。この橋の下も釣りスポットでした。川の流れが違って、そこに魚が溜まりやすいんだろうな。よく釣れました」

鷲宮神社の敷地沿いに流れる「青毛堀川」。この直角カーブがかつての子どもたちの釣りスポット。撮影:筆者
鷲宮神社の敷地沿いに流れる「青毛堀川」。この直角カーブがかつての子どもたちの釣りスポット。撮影:筆者

その島田さんが高校2年の頃、鷲宮に転換期が訪れる。地域の衣料品店を営む成田靖さんを中心に、千貫神輿の復活と神輿を担ぐためのお祭り「土師祭」の準備がはじまったのだ。神輿と祭りには商店街を少しでも盛り上げたい、という商店主たちの思いが込められていた。37年前のこととなる。

千貫神輿の「千貫」とは重さのこと。約3,750キログラム。つまり、3トン以上もあるのだ。鷲宮神社に眠っていた千貫神輿は関東最大級であり、担ぐためには1度に100人の男たちが必要になる。だが、その100人がずっと担いで参道を往来するわけではない。5分毎に交代する。5分以上も頑張る力自慢がいるが、それでも20分が限界だ。神輿はゆっくりゆっくり進んでいく。交代のために、少なくても400人は必要だ。だが、祭りを円滑に進めようとすれば1600人ほど担ぎ手を揃えたほうが安心だという。担ぎ手のいない千貫神輿は70年以上、鷲宮神社の境内に鎮座していた。

当時、40代なかばの成田靖さんは同世代の地元の仲間とともに、このあまりに重い千貫神輿を復活させた。

島田吉則さんは当時のことをよく覚えている。

「最初、千貫神輿の担ぎ手は地元の人間だけでした。高校生も学校の終わりに集められて練習するんです。私もやりましたよ。でも、部活があったので、1回しか参加しませんでしたけど(笑)」

11年前のらき☆すた神輿

平成19年。土師祭がはじまってから25年が過ぎたこの年、鷲宮は第2の転換点を迎える。桜が満開となった4月、アニメ『らき☆すた』の放送が開始。そして、放送を見たファンたちが鷲宮神社を聖地として訪れ始めたのだ。

休日はもちろんのこと、平日にも関わらず多くの『らき☆すた』ファンが商店街を訪れはじめた。全国で『らき☆すた』ブームが起き、そしてアニメにおける「聖地巡礼」という言葉が広まり始めた。それがもっとも顕著になったのが初詣である。前の年には13万人だった参拝客が30万人に増加したのだ。

こうした様子を目の当たりにした成田靖さんはある決意をした、と妻の昭子さんはいう。

「鷲宮神社に集まっているアニメファンたちを神輿のファンにする」

「らき☆すた神輿」の制作がはじまった。布に描かれた『らき☆すた』のキャラクターが内側から灯りによってほのかに輝く。「万灯神輿」と呼ばれる様式だ。

平成20年9月1日、第26回土師祭。誕生したばかりの「らき☆すた神輿」は千貫神輿に続いて参道を練り歩いた。お揃いのTシャツを着たアニメファンたちが息を合わせて神輿を担ぐ。

「萌ーえ! 萌ーえ!」

「かがみ! かがみ!」

奇妙な掛け声とともに、「らき☆すた神輿」はすぐに土師祭の名物となった。当初の担ぎ手はアニメファンだけだった。しかし、千貫神輿を担ぐために集まったさほどアニメファンでもない男たちの中からも「らき☆すた神輿」を担ぎたいと言い出す者が現れた。従来の伝統と、新しく生まれたばかりの伝統が熱気で溶け合い、ひとつになろうとしていた。

成田昭子さんは「らき☆すた神輿」が生まれる瞬間を鮮明におぼえている。

「主人が『らき☆すた』ファンの若い人たちに作り方を教えながら、神輿を作りました。布には透明絵具で塗ります。普通の絵の具で塗ると、裏側から光を当てると、黒くなって色が見えなくなるんですよ。そういうことをひとつひとつ教えていました」

アニメ聖地巡礼界隈では、とかく成功と失敗が問われる。やれこの地域は成功した、やれ失敗した。地域への来訪者の数や経済効果をもって勝ち負けが語られがちだが、私は違う指標もあると思っている。

それは、地域のアニメ聖地巡礼企画にどれだけのファンが参加し活動しているのか、という指標だ。

地域に来て、アニメの舞台となったスポットを見て、写真を撮って、SNSで発信する。聖地巡礼のファン行動はこのように語られることが多いが、これは入り口に過ぎない。地域の住人と親しくなる、新しい友人ができるよういなると、徐々に聖地巡礼と自身の生活が融合しはじめる。地域へ毎週のように通い詰める、転居する、起業する、結婚する。

ひとつのキーワードがある。

「参加」だ。

ファンは地域活動に参加したいのだ。それが自身の好きなアニメ作品に関連した面白い企画ならなおさら参加したい。

参加して、活動をし、なおかつ素晴らしい体験を得る。その地域に行けば、人生が前に進んでいるような実感を得られる。そういう思いがあってはじめて、アニメのファンは地域のファンになるのではないか。

平成20年、成田靖さんは鷲宮に集まったアニメファンを神輿作りに参加させた。ファンが中心になって「らき☆すた神輿」は作られ、ファンの力によって土師祭というハレの場で担ぎ出された。

それは参加した全員にとって強烈な体験であり、人生における確かな実感だったに違いない。

神輿とともに受け継がれる

平成30年1月に成田靖さんが急逝した。地域に根付く衣料品店にとっては毎年1月から3月は1年のなかで繁忙期にあたる。小学校、中学校、高校の入学に備え、多くの家庭が制服や黄色い帽子、ジャージを求めに来るからだ。お子さん、おひとりずつ寸法をはかって対応するのだという。

また、お客さんは制服を買うだけではない。兄や姉のお下がりを下の子がもらう場合がある。そんなときは名札の付替えの依頼がくる。レジの奥にあるミシンで対応する。

「古い名札はご家庭で事前に取ってもらうようにお願いしています。名札を剥がすときに服が破れてしまうこともありますから」

破れた箇所に当て布をあてがう作業は衣料品店で行う。

繁忙期はそういったお客さんでいっぱいになり、しかも、学校が終わった3時くらいから夕方までに集中する。

長い間、衣料品店は成田靖さんを中心にして営まれていた。残された昭子さんは帳簿付けや名札の付替えの縫い物などの慣れない作業に追われることになった。

目の回る忙しさのなか、嬉しいことがあった。

「主人が亡くなったあと、神輿の作り方を教えた若い人たちがやってきました。『らき☆すた神輿』は僕たちがしっかり守って、これからも活動していく、と言ってくれたんです」(成田紹子さん)

平成30年7月20日、鷲宮では八坂祭が行われた。猛暑の中、多くのアニメファンに担がれた「らき☆すた神輿」が姿をあらわし、衣料品店「ナリタ」の前にしばし留まった。

「鷲宮神社に集まっているアニメファンたちを神輿のファンにする」

成田靖さんの想いは若い世代にしっかりと受け継がれていた。

<つづく>

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