54歳にして発達障害だと診断された男の苦悩「なぜもっと早く気づけなかったんだろう」

日刊SPA!

2018/12/3 08:54



「54年間の努力が水の泡になって悔しい。他にもっとやりようがあった…」

精神科で54歳にして発達障害の診断を受けた帰り道、暗い川原で石山誠さん(仮名)は泣き崩れた。今年9月まで4年間にわたって父親を介護し、看取り期には新聞配達事務所のアルバイトも辞めて専念した。発達障害の診断を受けたのは、介護の末に父を送り出してからわずか20日後の出来事である。

◆「自分はおかしい」と感じ新興宗教へ

「自分は何かがおかしい」と感じ続け、その「何か」を探し求めてきた半生だった。

ある霊能者には「前世は茨城か栃木で生きていた幕末の志士だ」と言われ、北関東に近寄らないよう諭された。催眠術師のもとを訪れると「あなたは宇宙人である」と指摘され、理不尽な罵倒を受けた。

入信した宗教は3団体で、それぞれ2~3年ずつ過ごした。いつも感じていたのは、「この道を外れたら俺は生きていけないのに、ここで求められるレベルについていけていない」という焦りだった。これまで集会に参加したことのある宗教団体は、合わせて30を超える。

ほかにもヨガや波動、空手などの経験を通じて暗中模索する日々が続いたが、中でもエネルギーを注いだのが自己啓発セミナーだった。グループを組んだメンバーたちと交代で四方を囲み合い、「あなたはできる!」と声を張り上げた。「プラス思考を身に付けられた」と確かに感じていたが、次の日仕事に行くと上司にどやされ、すぐにうなだれてしまう自分に嫌気が差した。これらに注ぎ込んだ金額は100万円では利かない。

今年の10月に発達障害の診断を受けた石山さんだったが、精神科を訪れたのは今回が初めてではなかった。最初の受診は7年前。医者は石山さんの話をひと通り聞いた後、「社会が怖いなんてなめるな」と怒鳴りつけた。処方された抗不安剤は体に合わず、気を失って鎖骨を折った。治療にかかった半年の間に当時の仕事は辞めている。精神科には自分の求める「何か」はないと当時悟ったという。

末期がんになった父の介護を始めたのは4年前のことだった。

戦中から戦後にかけて青春時代を過ごした父との関係性は、幼い頃から難しかったという。父は、石山さんの人生に強烈に介入し続けた。大学時代に好んで取り組んだ中国拳法は、「あの師匠はだめだ」と一方的に言う父によって突然辞めさせられた。

幼少期から青年期にかけては引っ越しが多く、いつでも急に始まるのが嫌だった。あるときは朝食の途中に「公団が建った。今から引っ越す」と告げられ、家はいきなり売り払われた。石山さんはいつも唐突に幼稚園や学校を変えられ、友達作りに苦労した。

◆父の介護疲れで仕事のミスを連発、発達障害の特性が表れる

そんな父の介護に直面した際、石山さんは「なんで俺が?」と率直に感じたという。しかしながら、父とのふたり暮らしは父の年金と自身のアルバイトの収入でまかなうほかない状況で、選択肢が与えられないまま石山さんは介護と向き合っていくことになった。安くてにおいの強いタバコがよく進んだ。

夜中の2時から4時にかけて父のたんの吸引をする必要があり、石山さんは毎日欠かさずに機器で吸い続けた。睡眠すら十分に取れないままアルバイトに出かけ、ミスを繰り返しては怒られた。今になって振り返れば、積み重なる疲労によって発達障害の特性が強く表れてしまっていた結果だった。

石山さんは、チラシを数える業務に困難さを抱えていた。なぜか「5枚」と「6枚」を数え分けるのが苦手だったのだ。例えば「26枚」と「27枚」を数え分けることは問題なく出来るにも関わらず、「5枚」と「6枚」をどうしても間違えてしまう。先輩や上司も不思議に感じていたし、石山さん自身もなぜそうなってしまうのかまるでわからなかった。

「数え分け」に限らず、一連の動作を段取りよくこなす必要のある新聞配達事務所の業務は、石山さんにとって鬼門だった。新聞紙の束を運んだ後、頃合いを見て機械のスイッチをオンにし、その間に紙ゴミをエアーで飛ばす。会話は専門用語で飛び交っている。どんどん量をこなさなければならないため、メモを見る余裕もない。先輩にどれだけ手本を見せてもらってもうまくこなせず、石山さんは機器を写真に撮って復習するなどの努力をしていたが、実らなかった。後から振り返ると、時間に追われてしまうこと、またミスが許されないことがプレッシャーとなり、発達障害の特性が強く表れてしまっていた結果だったという。

反対に得意だったのは、ビルの清掃のアルバイトだった。あらかじめ決められた時間で特定の範囲内の清掃を任されれば、自分のペースで黙々と業務にあたって誰よりも綺麗にして見せ、よく褒められた。

発達障害の可能性に気づいたきっかけは、間近で石山さんの仕事の様子を見てきた新聞配達事務所の先輩の一言だったそうだ。「石山さん、俺の嫁と似てるとこあるかも」。先輩の妻は、発達障害の当事者だったのだ。

◆主治医を変えて再診、発達障害だった

当時の主治医に発達障害の可能性を伝えても取り合ってもらえなかったが、かねてから先輩に指摘を受けていた石山さんは、9月に父を看取ったことを契機に転院に踏み切り、診察を受けることとなった。以前は「帰ったら死んでいるのではないか」と考えてしまい遠出できなかったため、やむを得ず家の近くの精神科に通っていたが、家に待つ人がいなくなり、少々遠くとも発達障害に強い精神科へとたどり着くことができたのだ。

診察は、問診票を提出した後、その日最後の診察枠を用意され、小一時間かけて入念に話を聞かれた。約10回の転職経験や、直近の仕事で生じていた困難さなどを石山さんが伝えると、珍しい例ではあるが、発達障害の診断は初回の診察のうちに出され、またアダルト・チルドレンの傾向も指摘された。

「半分は、発達障害ではないと言われたかった」という石山さん。過去のさまざまな経験が思い出され、帰り道で涙が止まらなくなってしまったのだった。

現在、石山さんは障害の受容もままならない中で実家の整理に追われている。介護のためにアルバイトを辞め、父の年金もなくなった今、収入はゼロだ。役所では、診断を受ける前にはいつも「働きましょう」と促されてしまいほとんど支援を受けられなかったが、診断を受けた現在、担当課が移され、「しばらく休みましょう」と言われている。今後は生活保護の申請をする予定だ。障害者手帳や障害年金の申請も検討しているが、手続きのためには最初に訪れた精神科に連絡を取らなければならない。弱っているときに怒鳴られたトラウマが思い出され、連絡を尻込みしてしまう。

探し求めてきたものは、「発達障害」だったのかもしれない。「何か」に手を掴みかけている石山さんは今、過去のさまざまな努力を「合わない薬を飲み続けているような感じだった」と振り返る。今、率直に感じるのは「何もかも失ってから発達障害と言われても困る」という思いであり、また一方では「介護はやりきった思いだが、金があればもっと適切な医療をつけてやれた」と父の最期への後悔も口にする。

最近の趣味はYouTubeで音楽を聴くことである。日本語の歌詞は、脳の特性上ことばの意味を拾いすぎてしまうため、Eaglesなどの洋楽を好む。

過去へのやりきれなさを抱えながら、石山さんはこれからも生きていく。

<取材・文・写真/えんどうこうた(@kotart90)>

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