大阪万博の136年前、パリ万博の“ジャポニズム”がピカソやゴッホの名画を生んだ


 大阪で万国博覧会(万博)が2025年に開催されると決定しました。これは、大阪のみならず、日本政府の勝利でもあるようです。外務省関係の友人の話では、各国の日本大使館でも、投票権を持った国の関係者のもとに足しげく通い、粘り強く人間関係を構築しながら、大阪で万博を行う意義を真摯に伝え続けたそうです。また、強豪国からは大金の“実弾”が飛び交ったとも巷で噂されるなか、日本のクリーンな誠意が多くの国々の共感を得た、日本外交の勝利であるとも言っていました。

オリンピックや万博は、開催都市のみならず、やはり国の威信をかけて開催するわけです。その後、矢継ぎ早に大阪府の松井一郎知事が、前回の大阪万博のシンボル、岡本太郎の『太陽の塔』の世界遺産登録を目指すと発表しました。今年3月には、48年ぶりに内部を一般公開。これまでに約16万人が来場する人気となっており、前回の大阪万博は、今もなお大阪にとって大きな影響を与えていることがよくわかります。

万博とは、実際にはどんな博覧会なのでしょうか。英語名では“Universal Exposition”です。Expositionは「博覧会」という意味です。そして、Universal は、世界一の美女を決定するミス・ユニバースのユニバースと同じく「世界の」という意味もあるのですが、「宇宙の」という意味もあります。同じ大阪にあるユニバーサルスタジオジャパンは、「宇宙の」スタジオです。そこまで広げないにしても、つまりは地球にある万有のすべてを集めようという展覧会なのです。

万博が初めて開かれたのは、1851年の英国・ロンドン。大きな敷地に、当時は斬新だった総ガラスの巨大な建物がメイン会場でした。それは「クリスタル・パレス」と名付けられ、訪れたすべての人々を驚愕させ、英国以外からの入場者にしてみれば、英国の国力のすごさに度肝を抜かれたはずです。

ちなみに、日本は第12代将軍・徳川家慶の治世で、黒船が来航する2年前。鎖国を謳歌していた時代なので、今で言えば、英国は遠く離れた月の裏側みたいな場所でした。ちなみに、今はクリスタル・パレスは存在せず、広大な跡地が一般に開放された公園となっていて、僕も英国在住時代は家が近かったこともあり、家族とよく遊びに行っていた思い出の場所でもあります。

その後、1853年には、ロンドンに負けじと米ニューヨークが開催。そうなると、大国・フランスも負けるわけにはいきません。これまで民間で開催されていた万博が、ナポレオン3世の主導により1855年、初めて国家主催で開かれました。これが、34か国が参加し約512万人が来場した、有名な第1回パリ万博です。

さて、日本の参加は黒船来航から14年後です。1867年の第2回パリ万博に徳川慶喜の名代として、徳川昭武が渡仏。蒔絵の重箱や、香箱が展示されたのですが、それらはロンドンの博物館が多数購入したそうです。実は初期の万博では、展示物を販売し、外貨を稼いでいたのです。これらの展示物は、現在もロンドン市内のヴィクトリア&アルバート美術館に所蔵されています。

万博のもうひとつの大事な目的は、欧米からすれば極東の未知の島国である、日本の上質な物産品を展示し国力をアピールすることで輸出産業を活気づけ、反対に海外の最先端技術を持ち帰り日本の技術向上に役立てるということでした。かつては、そんな大切な意味合いがあったのです。

●日本ブームが巻き起こり、芸術分野にも大きな影響

その後、オーストリアも負けてはいられないと、大国の張り合いのようになり、1873年にウィーン万博が開催されたのですが、この頃の日本は明治時代。明治政府により日本館が設置され、日本庭園もつくられて高さ3.6mの大提灯や、東京谷中の五重の塔の模型、鳥居、神殿、そり橋を展示。館内では浮世絵や工芸品も紹介し、日本文化を初めて目にする欧米人は大きな感銘を受け、日本ブームが起こりました。

そして、入場者数は2610万人を超え、エッフェル塔が目玉となった1889年第4回パリ万博で、“ジャポニズム”は最高潮を迎えるのでした。

さて、芸術面でもジャポニズムは当時、行き詰まりを見せていたフランス絵画界を大きく変える原因のひとつにもなったことは広く知られています。専門家からお叱りを受けるのを承知で言いますと、モネも、ゴッホも、ピカソも、ジャポニズムがなければ大画家にはなっていなかったと思います。

たとえばモネは、自宅に日本庭園をつくり、池には日本の太鼓橋がかかっているほど日本好きでした。名画『睡蓮』は、その風景でもあるのです。またゴッホは、その短い人生の晩年に、「日本に少しでも近い風景を」との思いから南フランスに移住。地中海の海岸を日本の海岸に見立てていたほどです。ちなみに、ゴッホが浮世絵を模写した絵画が残っているのですが、そこにはオリジナルに書かれている「漢字」までも正確に書かれています。

フランスの画家たちは、日本の芸術文化、特に浮世絵に大衝撃を受けたのです。これまでのヨーロッパの芸術は、基本的にシンメトリーで、画面の中の色彩や形のバランスを整えるのが主流でした。しかし、日本の浮世絵では、たとえば、背景の色とはまったく関係のない派手な黄色で描かれた橋が、大きさもデフォルメされ、大胆にも画面を斜めに横切っていることに、画家たちは度肝を抜かれたのです。そう思って鑑賞すると、ゴッホの『ひまわり』も、日本画のように見えませんか? ちなみに、オランダのゴッホ美術館には、本人が収集した浮世絵400点が収蔵されています。

その後、ピカソをはじめ次世代の芸術家たちも、ジャポニズム画家の影響を強く受けたことも、よく知られています。

音楽の世界でも、フランスの有名な作曲家・ドビュッシーが1905年に作曲した代表作の『海』の楽譜の表紙に、本人の強い要望により、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』が印刷されていたくらい、ジャポニズムはモードの最先端でした。ちなみに、『神奈川沖浪裏』は、日本の銭湯の壁に描かれている有名な絵です。銭湯を通じて、日本とフランスがつながっていると考えると、何か楽しくなります。

大阪万博に話を戻します。僕は2歳の頃に、前回の大阪万博に行った思い出がかすかにあります。少し大きくなってから、名神高速道路上から岡本太郎作の『太陽の塔』を毎回見て驚いていた思い出のほうが強いですが、音楽大学の受験勉強を少し休んで行った1985年の筑波万博では、今では当たり前となった「3Dシアター」を見て、これまで想像もしなかった光景に心から驚いてしまいました。その100年前の欧米の人たちが、日本の浮世絵や工芸、庭園を見て驚いたのも、同じだったかもしれません。

2020年の東京オリンピックも迫ってきました。そして、2025年の大阪万博では、我々に何を見せて、驚かしてくれるのでしょうか。僕は、芸術家としても、楽しみにしています。
(文=篠崎靖男/指揮者)

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