『1964年の東京オリンピック メダルなき勝者たち②』安藤馨×服部金太郎

TheNews

2018/11/30 16:00


 1964年(昭和39年)の東京オリンピック。日本の技術力をオリンピックという舞台で発揮した人もいます。その中で特筆すべき人物が、日本のコンピュータのパイオニアと称された安藤馨です。

安藤馨は東京出身。父は英文学者の安藤勝一郎、母はバイオリニストとして女性初の文化功労者に選出された安藤幸。兄の高木卓(本名は安藤煕)は小説家・ドイツ文学者・音楽評論家として活動、芥川賞を辞退したことでも著名な人です。1932年(昭和7年)に渡米し、インディアナ州立大学ビジネススクールに留学、計量経済学を学びました。その際に参加した学会で、カウルス経済研究所が保有するパンチカードシステム「IBM405」が展示されているのを見て興味を持ちます。パンチカードシステム(PCS)とはタビュレーティングマシンとも呼ばれる会計などの作表を補助する機械群のことです。コンピュータが普及するまでデータ処理に広く使われました。

墓石前面は「河本家墓」妻の文子の実家が河本家であり、男子が早死されたため、娘の文子、嫁ぎ先の安藤家が墓所を継承したと推察する。
(写:*墓石前面は「河本家墓」妻の文子の実家が河本家であり、男子が早死されたため、娘の文子、嫁ぎ先の安藤家が墓所を継承したと推察する。)

1937年帰国し、日本IBMの前身の日本ワットソン統計会計機械(株)に入社。営業責任者となりPCSのセールスを担当しました。後に統計研究所も設立します。戦後、アメリカ留学の人脈を活用しGHQの顧問となり、PCSを活用しつつ戦略爆撃調査や社会統計、経済統計、社会分析のシミュレーションなどを手がけました。
日本IBMの発足に伴い復帰し、日本における汎用計算機ビジネスを確立。そして、1960年代は東京オリンピックのオンラインシステム開発チームを統括しプログラマーの養成などに努めました。東京オリンピックの時には、IBM1410計算機とオンラインシステムを駆使した集計システムの開発と運用に注力。これは計算機を使ってオリンピックの記録を集計した最初の試みとなり成功を収めました。オリンピックの影の立役者となった安藤馨は、1966年IBMから富士通に移籍。日本のコンピュータ産業の育成、情報化への貢献に尽力しました。

1964年の東京オリンピックの公式計時を担当した会社はセイコー(精工舎)です。セイコーは戦後、1951年に日本最初のラジオコマーシャル、1953年に日本最初のテレビコマーシャルを行いました。共に精工舎の時報です。その後も時計業界で世界のセイコーと呼ばれる躍進を遂げていきます。そのセイコー創業者は服部金太郎です。

墓所近くにある碑石形像「服部金太郎翁記念碑」
(写真:墓所近くにある碑石形像「服部金太郎翁記念碑」)

服部金太郎は東京出身。1872年(明治5年)12歳で洋品雑貨問屋に丁稚奉公。奉公先のすぐ近くに時計屋があり強い印象を受けます。時計は販売するだけではなく修繕もでき両面から利益を得られる。以降、修理技術を学び、1877年「服部時計修繕所」を開業しました。1881年21歳の時に「服部時計店」を創立。質流れで出た古時計を買い、それを修繕して右から左に売る商売方法で繁盛します。ところが、2年後貰い火を受けて全焼。しかし、貯金があったため、銀座に新店舗を出します。当時の時計は輸入に頼っていましたが、時計製造にも乗り出しました。また工場敷地内に寄宿舎を設立し、熟練工が数名の生徒に秘術を現場で修得させる養成部もつくります。
1930年(昭和5年)服部金太郎は古希を記念して私財300万円(現在の30億円に相当)を投じ、学術奨励を目的とする財団法人服部報公会を創立します。助成を受けノーベル賞を受賞した湯川秀樹など、時計研究以外の分野の研究者も補助しました。

『急ぐな、休むな』。服部金太郎がつくった土台を息子たちが継承し、時間を刻む時計技術は、オリンピックの記録を証明する機械へと進化をしました。この時の社長は3代目の服部正次です。

安藤 馨 埋葬場所: 16区 1種 3側〔河本家〕
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/A/andou_ka.html
※墓石は「河本家墓」。安藤馨の妻の文子の実家が河本家であり、継承者がいない河本家に代わり安藤家が引き継ぎました。

服部金太郎 埋葬場所: 6区 1種 1側
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hattori_k.html

【筆者プロフィール】
小村大樹(おむら・だいじゅ)
掃苔家・多磨霊園著名人研究家
1976年生まれ。1997年、大学生の時に多磨霊園の横にある石材屋でバイトをしたことをきっかけに多磨霊園に眠る著名人の散策を始める。1998年、当時インターネットが出始めた頃より「歴史が眠る多磨霊園」のホームページを制作。2018年開設20周年を迎える。
足で一基一基お墓を調査し、毎週1,2名ずつ更新をすることを20年間休まず実施(現在も継続中)。お墓をきっかけに眠っている著名人の生き様や時代背景の歴史を学ぶことをコンセプトにしており、掲載している人物は3000名を超える。
サイトを通じて多くの著名人のご遺族とも親交。歴史学者や郷土史家、出版社らの協力も惜しまず提供。一橋大学名誉教授の加藤哲郎『飽食した悪魔の戦後 731部隊と二木秀雄「政界ジープ」』(花伝社)では論文として考察される。『有名人の墓巡礼』(扶桑社ムック)では一部執筆を担当。中学社会科・高校地理歴史の免許を取得し、通信制高校で教壇にも立つ。
『歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだけではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことだ』『私が著名人だと思った人物は全て著名人である』がモットー。

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