演出家・多田淳之介、SPAC公演『歯車』を語る

SPICE

2018/11/30 12:45



静岡芸術劇場で、SPACの新作『歯車』が上演中だ。1927年、芥川龍之介が35歳で服毒自殺で亡くなるまえに書かれた短篇小説「歯車」を舞台化した作品である。「歯車」は第1章のみが雑誌で発表され、残りは遺稿として発見された。「ぼんやりとした不安」から死にいたる直前にかけて書かれた短篇小説に、東京デスロック主宰の多田淳之介が挑戦する。作品中に色濃く漂う死のイメージを、どのように生へと反転させていくのか、その手法とアイデアについて話を聞いた。

SPAC秋→春のシーズン第2弾


──SPAC秋→春のシーズンは、不条理劇と呼ばれたイヨネスコの『授業』(1951年)に続いて、芥川龍之介の『歯車』です。これは芥川が最晩年に書いた短篇小説「歯車」(1927年)を舞台化したもの。文学史上で重要であると思われる作品を選んだ理由を聞かせてください。

 これはSPAC芸術監督の宮城聰さんから「『歯車』を演出してくれませんか」と……。

──宮城さんからの宿題なんですね。

 そうなんです。作品が指定されたうえでのお話だったので、ぼくはもう「わかりました」とお返事するだけだったんですけど。SPACのラインナップとして、宮城さんがいろいろ考えたうえで、今回はこの作品でというお話だと思います。

──「歯車」は小説で、戯曲の形式にはなっていませんから、まず、そこから始めなければいけない。

 何作か小説を演劇にしたことはあって、たとえば、台詞だけを抜き取って使ったこともありますし、完全に換骨奪胎して別物にしたこともあったし、全部を戯曲にしたこともありました。

 毎回ちがうやりかたでやってきたので、『歯車』はどうしようかなと思っていて。で、ぼくは長いこと台本自体をほとんど書いていないので、できたら小説の言葉だけを使えればいいなあと思って。

 稽古の最初のころに、一回全部を俳優さんに朗読してもらったんですね。そしたら、それはそれでけっこう面白くて、やっぱり、芥川の「歯車」の表現がすごく、言葉だけでだいぶ景色がイメージできる。けっこうとんでもない景色ばかりが思い浮かぶんですけど、それはそれで面白いなと思いました。
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司

小説を舞台化する試み


 そこから稽古はスタートしていて、その後に台本を作って取り組んでいました。でも、やっぱり難しいですね。小説を舞台化するときに思うのは、小説はそれ自体で完成しているので、文字を読んで、そこからイメージを想像することで完結している。だから、舞台上では、その小説のイメージを上演しても、情報がダブッてしまう。

 結局、文字から想像することは、無限というか、広がりがあって、それを超えるものを舞台上で作るのは、やっぱり難しいですね。たとえば、主人公の視野のうちに歯車が見える描写を、舞台上で再現するのも難しいし、再現したところで、たいしたことはできない。小説に書かれている言葉を三次元化するのではなく、イメージを膨らませるとか、ちがう角度や要素を持ってくるとか、今の社会とつなげてみるとか、そういう作業ができたらいいなと思っています。

──ふつうの小説には起承転結がありますが、「歯車」は芥川を思わせるAという男の述懐と、その男の目に映ったもの、耳に聞こえたものだけで構成されています。

 そうなんですよね。本当に筋がない。ただ、すごく微妙な浮き沈みはある。全体は6章に分かれているのですが、第1章の「レエン・コオト」はこれだけで発表されていたので、すごくまとまりがよく、ここだけで成立するような感じがあります。
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司

気分の浮き沈みがきわめて激しい主人公


 たとえば、第2章、第3章は、芥川を思わせるA、つまり、主人公の僕も、けっこうダウナー系というか大変なんですけど、第4章で、ちょっと前向きになったりだとか……。

──いろんなものを見るたびに、自分が復讐の対象になっていると考えたり、地獄に落ちると思い込んでしまうところがありますね。そして、黄色を見て落ち込んだと思えば、緑色を見つけてちょっと持ち直したりだとか、びっくりするほど気分を上下させていく。

 この主人公の僕は、第2章、第3章ではけっこうつらいんですよ。第4章で、小説が書きあがったりして、前向きになったりする。本屋で『アナトオル・フランスの対話集』とか『メリメエの書簡集』を買って、希望を見出したりもするんですけど、やっぱりダメで……(笑)。

──そのあとモオルという言葉が気になり、フランス語で連想する必要はないのに、ラ・モオル、すなわち死を思い浮かべ、連鎖的に死のイメージにとらわれて、不安になっていく。

 ドツボに……。で、いままでだいじょうぶだった本を読んでも、今度は気持ちがあがらなくなってしまったり……。

──落ち込んでいるので、なにを見てもマイナスイメージとして心に映ってしまう。

 第6章では、自分が住んでいる家の話も出てきます。そこは帰りたくない場所だったんだけど、最終的には帰ることになって、頼りたくなかったんだけど、頼っちゃう。で、結局、家に帰ったけど、奥さんに「死んでしまいそうな気がしたものですから」と言われて終わるみたいな。

 けっこう、つらい、つらい、つらいで頼れるものがなくなっていくという微妙な流れはあるにはあって、そこはちょっと拾いたいなとは思っています。

──歯車も数がたくさん見えるだけではなく、最後の第6章では、まわりはじめたりもするので、動きを加わりますよね。よりパワーアップしている。

 些細な変化があるにはある。ただし、いわゆる小説と比べると、もうぜんぜんと言っていいほど、筋らしいものはないし、話らしいものもない。つらい、つらい……「絞め殺してくれるものはないか?」で終わっている。

 物語がないことは、そんなに気にはしていないんですけど、そういう些細な変化は取りあげたいなとは思っています。ちょっと拡大解釈もしながら。芥川が最終的に自殺しちゃってるんで、なんとも言えないんですけど、やっぱり、ふつうに生きている人たちともつながるところはすごくあるので……。
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司

死の苦しみを創作のエネルギーに変える


──芥川が生きていた当時は、精神病は遺伝すると言われていましたが、現在では医学的に誤りであることが明らかになっています。その事実を前提にして「歯車」を読むと、どうしてこんなに疑心暗鬼にならざるをえないのかと思うんですが、ある観念にとらわれてしまっている人は、そこからなかなか抜け出すことができない。

 そうですね。

──渦中にいる人にとっては、ものすごく深刻な問題だけど、一歩距離をおいている読者にとっては、笑える事柄になってしまう。

 けっこう笑えるんですよね、本当に。

──本人からしたら大変なことで、どんなものを見ても、それが原罪や死を意味しているものだと思い込でしまう。芥川のように頭のいい人だからこそ、過剰にそういった徴(しるし)を目に映るものから拾い、結びつけてしまった気がします。

 この小説は、文壇でも評判はいいんですよ。最高傑作だと言っている人もいっぱいいたりして。実際、小説の構成としては見事というか……伏線の回収のしかたも、うまくできている。

 死の直前に、死の苦しみのなかで書かれたと言われているんですけど、同時に、小説家として、しっかりこれを書いているなという感じはすごくして、そのことが逆にたまらない感じもします。苦しいんだけど、逆にそれを利用して、いい作品を作ろうとしているみたいなところもあって、すごい。

──いちばん苦しいときでさえも、それを作品として昇華しようとしているAさんがいる。

 小説の中でもドッペルゲンガーの話とかが出てきたりして……。

──ふたりが目撃しますね。帝劇の廊下と、銀座の或煙草屋だったかな。

 そうですね。で、けっこう芥川が、自分を単純にドッペルゲンガーということと、それから、もうひとりの自分を、自分の作品というか、自分が書いた小説に置き換えている。

──「第一の僕」「第二の僕」という言いかたをしていますね。

 たとえば、もし自分が死んだとしても、「第二の僕」が生き残っていて、それは自分の作品のことであったり……などの説もあって。それを考えると、なおさら自分のいろんな嫌な部分を見つめたり、精神的に追い詰められていることを作品にガンガンつぎ込んでいる姿が、なかなかつらいなあと。ぼくらとしてはいい作品が読めるということではあるんですけど。
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司

生への執着が見えない


──ふつうの場合は、小説に書くことで自分のなかからそれらの不安を追い出すことができて、作者は立ち直って生きていく……自分を客観的に見ることができるようになるんですけど、芥川の場合は、二重、三重にいろんなものに包囲されているところがあって、結局、抜け出せないまま亡くなってしまいます。

 たいていの場合、自殺した人の遺書には、生きていたかったとか、これがつらかったと書かれていることが多いんですけど、芥川の遺書はそうではなく、生への執着が見えないというか、死を受け入れている。

──死がどんどん迫ってきて、はじめはその色が薄かったのが、どんどん濃くなってきて、その徴として歯車が見える。やがて、そのなかに包まれていき、最後には薬を飲んでしまう。

 そこもすごく不思議な気持ちになるんですよね。この死、もちろん、自殺なので、ショッキングなことではあるんですけど、本人がそれほど死にたくないと思っているわけではないし、すごい恨みつらみがあるわけでもない。芥川本人は「ぼんやりとした不安」で死んだと言ってますけど……。

──迫ってくるものを諦めて受け入れて、死と和解するみたいなかたちで亡くなっていく。

 稽古場でも俳優たちがいろいろ調べてきてくれて、この「歯車」という小説、そして芥川の死をどういうふうにお客さんに伝えるか、試行錯誤しています。われわれが解釈するか、みたいな話もするんですけど、なかなか……。逆に、解釈して提出しなくてもいいんじゃないかみたいな話も出ていて、やっぱり「歯車」は小説として、ちゃんと面白いので、まず、それをしっかり伝えつつ、芥川の死に関しては、いろんな人がいろんなことを考えればいいなという感じで、いまは考えています。

 この前、樹木希林さんが亡くなったじゃないですか。がんで亡くなられたんだけど、あの人はたぶん満足して亡くなっていったようなイメージがある。その死にざまというか、生きざまが、すごく不思議だなあというのがあって。

 がんで亡くなられる方も、病気で亡くなられる方も、たいていの場合、もう少し生きていたかっただろうなとか思ったりするんですけど、樹木希林さんの場合、あんまりそういうことを思わなくて……。

──樹木希林さんは「人生、上出来でございました」と語ったと報道されていました。

 芥川は自殺ですけど、その死を受け入れている感覚がすごく不思議なんです。
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出) 撮影/青木司

「第一の僕」と「第二の僕」


──小説の終わりの時点で、おそらく主人公は、死にいちばん近付いている。でも、なにかのきっかけで、そこから反転することができるかもしれない。どう思いますか。

 もちろん、生きることは死にゆくことでもあるんですけど、やっぱり芥川自身の死は、もうひっくり返せないので……。

──厳然とした事実としてありますよね。

 ただ、彼はこの小説を書くということに、かなり喜びというか、生きる意味を見出していて、かつ、芥川が「第二の僕」を感じていたとすれば、いまもその「第二の僕」が生き続けていて、実際にぼくたちは、それを演劇にしている。

 後世になにかを残すということだけではなく、生きているとは何なのかということ……芥川の場合は、小説を生みましたけど……われわれだったら家族と幸せに過ごすでもいいですし、なにかそのあたりをちょっと膨らませたいなあとは思っているんです。もちろん、死のイメージしか、ほとんど出てこないんですけど。

──そう言われると、同じように、太宰治の小説も、亡くなってから、いろんなかたちで作品が上演されている。

 芥川の場合は、亡くなってから、ある程度、時間が経ちました。だから、芥川はぼくらにとって、このとき自死していなくても、もう寿命で死んでいる人なんですよね。

──著作権も死後50年経過して切れているので、青空文庫で読めるんですよね。

 そうですね。生とつなげるのはなかなか難しい。もう、どうやっても暗い話になるので。
最後も「そっと絞め殺してくれるものはないか?」で終わるんですけど、言葉としては「殺してほしい」なんです。でも、それはこの苦しみから逃れたいということが、たまたま死ということなんで、本当は殺してくれれば、もっと楽しく生きられるのにっていう……そういうことだと思うので……。


──「第一の僕」と「第二の僕」という考えかた、ちょっと面白いです。

 そう、面白いんですよ、すごく。演劇的にも面白いんで……うまいことやりたいなとは思っています。お客さんがどの視点で観るかみたいなこともいろいろ工夫しながらやっていて、もちろん芥川の視点でも観てほしいし、ちょっと引いたところからも観られたらいいなと思っていて。
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出)のチラシ。
SPAC公演『歯車』(芥川龍之介原作、多田淳之介構成・演出)のチラシ。

演劇に初めてふれる中高生に向けて


 特に今回は、中高生の鑑賞事業公演がいっぱいあるので、この作品をどう届けるかというのが……(笑)。

──おそらく生徒たちは、生と死が入り混じった、微妙なバランスのなかで暮らしている。

 思春期の子たちには、けっこういいんじゃないかなという気がしています。生死というよりは、悩みかたというか、みんなが自分のことを冷たく見ているんじゃないかとか、自分だけ苦しいんじゃないかとか……そういうところはすごい思い当たるんじゃないかな。

──第1章では、主人公の僕が現在のJRに乗っている場面で、同じ車輛に乗りあわせた女学生たちが「ラブシーン」がどうとか気楽に話していたり、ほっとする部分があります。でも、第2章からは、生きてることが点滅状態になって、第5章以降は、一気に死のイメージに塗りつぶされていく。

 もう、何から何までという感じになりますからね。中高生にこの小説を延々と聞かせるわけにはいかないので(笑)。初めて劇場に来る子たちも、SPACの鑑賞事業公演ではいっぱいいるので、そういう子たちにも楽しんでもらえるようなものにしたいなと思っています。多感な時期ですから……。

──多田さんの『歯車』にふれられるのは、ラッキーな生徒さんたちだと思いますよ。

 なかなか楽しみですけどね。

──やっぱり、原作のみで作られますか?

 そうですね。

──後日談とか、あるいは同時期に書かれていた話などは?

 エピソードとしては少し出てくるかもしれないです、「或阿呆の一生」とか「河童」とか。「河童」を出したいねという話はしています。ちょうど「歯車」の設定中に「河童」も執筆されているし、もろもろ出てくるので、そのへんのものも要素としては出したいなとは思っています。

 「歯車」から、芥川自身の話にもしようと思えばできちゃうんので、そこをうまくやっていきたいです。

 「歯車」自体も、当時の芥川のすべてを書いていたわけではなく、完全なフィクションの部分もいっぱいあって、たぶん彼は小説としての完成度をかなり気にしながら書いていたんじゃないかなという気がします。そこをちょっとリスペクトしつつ、あんまり芥川論に陥らないように、「歯車」のお話をうまくできればと思っています。

取材・文/野中広樹

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