「いかにみんなと一緒に楽しめるか、楽しんで作っていけるか――」 ~冨田明宏 劇伴作家インタビュー連載~「俺の劇伴を聴け!」Vol.2 なるけみちこ

SPICE

2018/11/27 18:00


映画、アニメ、そしてゲームの音楽はその作品の数同様に多数存在する。しかし、そういった多数ある楽曲を手掛ける作曲家のインタビューが世に出ることは少ない。この不定期連載は音楽評論家であり、音楽プロデューサーでもある冨田明宏が、今だからこそ話を聞きたい音楽家へインタビューするというもの。今回は「ワイルドアームズ」シリーズなど多数のゲーム楽曲を手掛けるなるけみちこ氏との対談。音楽を始めたきっかけ、影響を受けた音楽など、貴重なお話を訊いた。

■Profile:
なるけみちこ

1967年生まれ。作曲・作詞・編曲家。元日本テレネット第一開発部(RENO、RIOTブランド)所属の作曲家。現在はフリーランス。『天使の詩』シリーズや、『ワイルドアームズ』シリーズの作曲を手がける。2013年からは自主制作アルバム「Feedback」シリーズも手がけ、2018年12月15日には『ワイルドアームズ』の楽曲コンサート『Score Re;fire #1 ~WILD ARMS Vocal Songs Concert~』の開催も決定している。

ピンク・レディーは好きすぎて振りマネ番組に出演した


冨田:先ほど雑談の際に伺いましたが、メディアに出始めたのがここ10年くらいのことと聞いて驚きました。数々の大作に携わってらっしゃったのに。

なるけ:たとえば『ワイルドアームズ』にしても、発表当時は大作とは思われていなかったし、自分も思っていませんでしたからね。やっぱり『ファイナルファンタジー』とか『ドラゴンクエスト』の“影に隠れた名作”みたいに言われていましたから。PCエンジンの『天使の詩』というゲームの時も、『天外魔境』とかあのへんの大作の影に隠れて、という感じで。いつもチャレンジャーのような気持ちはありましたけど、大作をやってるという自覚もあまりなかったですね。

冨田:完全に僕の思い出の話なんですけど、『天使の詩Ⅱ』が近所のおもちゃ屋さんで売っていなくて、中二の頃に千葉の松戸からわざわざ新宿まで行って買った覚えがあるんですよ。

なるけ:私も千葉市出身なので、近所に売っていないゲームは秋葉原で買っていましたね(笑)。

冨田:そういうハードルを乗り越えてプレイしたからこそ、強い思い入れも芽生えたりしました。

なるけ:ありがとうございます。

冨田:改めていろいろと伺いたいのですが、生まれも育ちも千葉市ですか?

なるけ:生まれたのは佐原のほうなんですけど、ずっと千葉です。習志野と千葉市の間を転々としていました。小学4年生ぐらいから鼓笛隊に入って、打楽器をやっていました。何だか格好良く見えたんでしょうね。あの頃は男の子ばっかり10人ぐらいで、私だけしか女の子がいなくて。昔から私が興味を持つものって男の子が好きなものばかりだったんです。好きだったアニメもロボットアニメだったので。近所の男の子に混じって、野球とかやっていましたから。

冨田:鼓笛隊が最初に自分から触れた楽器ですか?

なるけ:いえ、音楽的なことを言うと、幼稚園からオルガンは習っていたんです。それでずっと普通のオルガンをやっていて、小学3年生からピアノかエレクトーンのどちらかにしようと先生が仰って。クラスの子はみんなピアノだったのですが、レバーがいっぱいあったりして、エレクトーンがちょっと格好良く見えたんです(笑)。それで小学3年生からエレクトーンを習い始めて、専門学校まで行ってそのあとも何年か習い続けていました。専門学校に入ってからの数年間に編曲の基礎を叩き込まれましたね。

冨田:ピアノと違ってエレクトーンは特殊な鍵盤楽器ですよね。

なるけ:全身で弾くから。左足でベースを弾きながら右足でエクスプションペタルを踏み、膝でサスティンを操作しながらも両手で三段の鍵盤を弾き、合間に音色も変えたりして。あの時に腰をちょっと悪くして、それを今もずっと引きずっているんです。一週間ほど前もSIEのJスタ音楽祭の直前にギックリ腰になってしまって大変でした。それはさておき、エレクトーンのほかに吹奏楽もやっていました。高校生のときからです。

冨田:なるけさんの楽曲ってメロディに強いインパクトがある印象を持っているのですが、たとえば歌謡曲であったり当時のポップスで好きだった曲はありますか?

なるけ:世代的にはピンク・レディーですね。それが小学校5年か6年、中1ぐらいまでの第一次青春期で。ピンク・レディーは好きすぎて振りマネ番組のオーディションを勝ち抜いて、出演するところまで行きましたね。

冨田:パートナーがいて?

なるけ:そうです。同じクラスの女の子と喧嘩しながら練習して(一同笑)。今もある有楽町のよみうりホールで、5年生ぐらいの時に何回もオーディションを受けに行って。本番は麹町にあった日本テレビの収録スタジオでした。『NTVザ・ヒット! ピンク百発百中』という番組で、私が出させてもらった回のゲストがデビューしたばっかりの桑田佳祐さんだったんですよ。「思い過ごしも恋のうち」を歌っていたぐらいの。井上順さんと石野真子ちゃんが司会をやっていて。

冨田:すごい! それくらいピンク・レディーにのめりこんでいたんですね。

なるけ:そうですね。歌って踊れるお姉さんを目指していました。別にアイドルになりたかったわけではなかったのですが、歌って踊るのも好きだったんです。でもあの当時の女の子はみんなそうですよね。たまたま勝ち抜くぐらい根性を見せてしまって(笑)。

冨田:野球をされていたこともそうですが、スポ根的なガッツがあったんですね。もっと言えば『ワイルドアームズ』にも通じる男臭さと言いますか。

なるけ:はい。もともとスポ根的なものが好きなんです。なのでその影響はあると思いますね。
撮影:岩間辰徳
撮影:岩間辰徳

楽しい思い出も、楽しくない思い出もいっぱいの日本テレネット時代


冨田:ゲーム音楽に携わるようになったきっかけは?

なるけ:専門学校に行っている時からKORGのデジタルピアノなどを演奏しながら販売する、通称「デモギャル」をやっていたんです。土日はそれをやりながら、地元の楽器店でバイトも始めて。それで結局KORGを辞めて、その楽器店の社員になったんです。最初はエレクトーンのデモンストレーターとか、チケット制のレッスンの受付嬢とかをやっていたんです。というのも、エレクトーンを一生懸命やったけどあまり上手くならなくて。そもそもエレクトーンの先生にはなるつもりはなかったんですけど、「じゃあ何になるの?」という目標がその時はなくて、ただ漠然と「エレクトーンに携わる仕事」という形で就職して。ちょっと親にうるさく言われたこともあって、焦って就職した感じ(苦笑)。地元の稲毛駅の構内でエレクトーンを定期的に弾くという仕事もあったんですけど、「やっぱり人前で弾くのは楽しいな」と。だんだんとエレクトーンじゃちょっともの足りないなと思って、バンドを始めたんです。始めたらやっぱりみんなとアンサンブルした方が楽しかった。それで楽器店の中の部署を、当時ヤマハでシンセサイザーとかギターを売るほうのコーナーの売り子に移ったんです。そこでギターとかシンセサイザーとか、たとえばEOSシリーズとかKORGのM1を売ってたんです。

冨田:懐かしい!

なるけ:それをいじっているうちにDTMというのがあるというのを知って、それを勉強してお客様に教えることになって……。

冨田:「コンピューターで簡単に曲が作れますよ」と?

なるけ:意外と難しくて全然できなかったんですけどね。あの頃ってシンセサイザー内蔵タイプもあるけど、シーケンサー単体でMC800とかSQD-8とかがあって、そういう機材の勉強をしてお客様に接客しているうちに、「これだ!」と思ったんです。そう思ったある日、突然楽器店をやめることにしたんです。「とりあえずDTMをやろう」と思って、楽器店をやめる時に機材をいくつか買って。まだ仕事にしようとは思わず、とにかく家で機材をいじっていたかったから。

冨田:衝動的に動いたんですね。

なるけ:脊髄反射ですね。ただ、仕事を辞めて家で機材をいじっていたら、やっぱりお母さんに怒られるんですよ(笑)。 でももう「これだ!」と思ってしまったので、お母さんに「一年だけ見逃して!」と言って。実はその頃、私の親戚が次々に亡くなったんですね。「生きているうちに本当にやりたいと思ったことをやらないと」って、人生について真剣に考えて。その結果仕事をせずに家でシンセをいじる日々を選んだんです。

冨田:後悔したくないという思いで。

なるけ:はい。それでとにかく曲を作ろうと思って。それまで作曲はあまりやったことなかったのですが、機材をいじっていたら楽しく作れて。じゃあちょっとデモテープを作って、どうせだからどこかに売り込もうかなー……と思っていたら、お母さんも我慢の限界が来たのかうるさくなってきたので、楽器店をやめた次の日に求人誌の『フロム・エー』を買ったんですよ。それを見ていたら、たまたま日本テレネットという会社が“ゲームミュージックを作る人”を探している求人が載っていて。

冨田:『フロム・エー』に作曲家の求人を出していたとは。

なるけ:そこにデモテープを送ったら、わりと早く返事が来て。面接に行ったら「70人ほど応募があった」と言われたのですが、私が採用になったんです。そもそも担当者がお茶汲みとかもやってくれる女の子が欲しいという意図があったようで。それが90年だったと思います。当時の日本テレネットって、本当に専門学校みたいで。できる子とできない子がはっきり分かれていたり、会社にずっと泊まっている子とか、ちゃんと定時に帰る人もいたり。ゲーム業界的にも「これから上を目指して行くぞ!」という時代で、日本テレネットはPCゲームでとても勢いがあった頃です。
撮影:岩間辰徳
撮影:岩間辰徳

冨田:その当時のことで、特に印象に残っている思い出は?

なるけ:いーっぱいありますよ! 楽しい思い出も、楽しくない思い出もいっぱい(笑)。色んな人がいましたからね。田舎から出てきたばかりの人とか、ちょっと変わった仕事から転職した人とか。ワイルドアームズのゲームクリエイターの金子彰史くんはわたしのあとに入社しまして。他にもゲームクリエイターの遠藤正二朗くん(現・ウイッチクラフト代表)とかも。遠藤くんは社内で唯一縦書きで企画書を書く人で。「何書いてるの? 見せてー」と言ったら縦書きの明朝体で(一同笑)。あんな企画書を書く人ほかにいないからビックリしました。した。

冨田:青春時代、という感じですね。

なるけ:そうですね。あれを青春と言わずして何と言う? みたいな感じです(笑)。仕事が終わると、毎日どこかで同僚とお酒を飲んではゲームや仕事談義で熱弁をふるって。まったく家に帰らないで、床とか椅子で寝ている人も大勢いましたけど。

冨田:聞いた限りだと女性が働く環境としては……。

なるけ:ありえないですね(笑)。自分で言うのもおこがましいですけど、掃き溜めに鶴でした(笑)。開発部に女性は2人くらいしかいなかったから。そんな日本テレネットを辞めてフリーになってから『ワイルドアームズ』の制作に入るんですけど、その汗臭いノリは残っていたと思いますね。業界全体的にも、そんなムードだったと思います。

撮影:岩間辰徳
撮影:岩間辰徳

『天使の詩II』のラスボスの曲は雑魚バトルの曲をリアレンジしたもの


冨田:現在のお仕事に直接的な影響を与えた音楽のルーツって、ご自身ではどういった要素だと思われていますか?

なるけ:いっぱいあるのですが、まずメロディラインに関しては歌謡曲、アニソン、そして吹奏楽曲かな。吹奏楽にはすごく良い曲が多いんですよ。割とお約束的な展開も決まっていて、必ず泣かせるメロディがあって。その同じ曲を二ヶ月も三ヶ月もコンクールの前にやるので、自然と刷り込まれていると思います。あとアンサンブルとして楽曲を捉えることも大きな影響を受けています。あとはエレクトーン時代は、いわゆるジャズ・クロスオーバーと言われていた楽曲をたくさんやっていました。ボブ・ジェームスとかヒューバート・ロウズとか、クルセイダーズとか。専門学校に行ってからスタンダードジャズの楽曲もよく弾いていたので、やっぱりジャズ・クロスオーバーの影響はとても大きいと思います。

冨田:今改めて振り返ると、『天使の詩II』のラスボス戦の曲とかって、全然当時のRPGの曲っぽくないんですよね。今聴くとフュージョンやクロスオーバーっぽいなと思っていたのですが、そこにルーツがあったのかと。

なるけ:そうそう、フュージョンですね。やっぱり世代的にはフュージョンが流行り始めた頃で、カシオペアとかT-SQUAREの前身のTHE SQUAREの時代に、さんざんコンサートに行ったりコピーバンドやったりしました。海外のミュージシャンも含めてあの界隈のインストものはすごく聴いていたし、一番ハマった音楽だったかもしれませんね。

冨田:あの当時のなるけさんのBGMは、スピーディーな展開だったり、アンサンブルの作り方だったり、メロディのちょっとブライトな感じとか、ものすごくフュージョンっぽいなと改めて。

なるけ:ありがとうございます。初めて指摘していただきました。

冨田:クラシックやメタル、もしくはプログレ調のBGMが多かった当時のRPGの中で埋もれずに浮き立って聴こえたのは、そこに理由がありそうです。

なるけ:でも社内受けはあまり良くなかったなぁ……ゲーム然としていない曲が多かったから(苦笑)。しかも『天使の詩II』のラスボスの曲は、多分誰もやってなかったと思うんですけど、雑魚バトルの曲をリアレンジしたもので。「私は絶対にこれが良いと思います!」と言って、半ば強引に押し通したんですけど(一同笑)。

冨田:駆け出しであっても押しは強かったんですね(笑)。

なるけ:すごく強気でした! 今あんなことはとてもできない。私が「絶対これ!」と言い張って、あのゲームのディレクターだった金子君にも最終的には納得してもらえました。

冨田:金子さん、今はすごく厳しいディレクターでありシナリオライターであり演出家、という印象がありますが。

なるけ:お互い、まだ若かったので(笑)。

――フュージョンといえば、当時六本木にあったWAVEというレコード・ショップでフュージョン、ジャズ、ワールド・ミュージックなどを買っていた記憶があります。スクエア(現スクエア・エニックス)の植松伸夫さんも行っていたと。

なるけ:同じですね。バイト代が入ったらそのままWAVE行きましたもの。

冨田:ですね。地元のレコード・ショップにはないものがWAVEにはありました。

なるけ:ジャケ買いをしたり、新しい音楽との出会いの場所でしたよね。

冨田:あの時代はピーター・ガブリエルとかがワールド・ミュージックを取り入れたり、その流れからニューエイジ系が流行ったり、アフリカのアフロ・ビートのアーティストが特集されたり、今思えば豊かな時代でしたね。

なるけ:すごくよく分かります。WAVEで音楽的な幅を広げた音楽家は、とても多かったと思いますね。あとはスティーヴ・ライヒ(現代音楽におけるミニマル・ミュージックの大家)とかも好きだった。WAVEがなくなった時は本当にショックで、「これからどこで音楽を買えばいいんだろう?」と思いましたから。

冨田:改めまして、なるけさんの代表作と言えば『ワイルドアームズ』シリーズになると思うのですが、ラテンや西部劇的な音楽がフィーチャーされていたのが衝撃で。それまでのRPGの概念ってヨーロッパの音楽がベースになりがちだったからこそ、すごく新鮮だったんですよね。

なるけ:それはもう金子君の最初からの意図ですね。特にクラシカルなものを避けるというわけではなかったんですけど、「『マカロニウエスタン』っぽく口笛を使ってテーマを作ってほしい」と言われて。私、ウエスタンっておじさんが聴くものと思っていたからあまり聴いていなかったんです。でも普通にテレビで日本の時代劇は見ていたんですよ。改めて聴き直してみたら、あの当時の時代劇ってウエスタンの音楽をずいぶん踏襲してるんですよね。そういう発見もありながら、いろいろな西部劇の音楽を聴きました。たとえば『荒野の用心棒』とか、ああいった作品のBGMは全部。
撮影:岩間辰徳
撮影:岩間辰徳

あの頃の『ワイルドアームズ』の音楽を聴くことで自分の中にある何かを再発見してもらえれば


冨田:せっかくなので最新作とも絡めながら『ワイルドアームズ』について伺っていきたいのですが、今年9月に『ミリオンメモリーズ』がサービスを開始しましたが、『ワイルドアームズ』シリーズに関しては『フィフスヴァンガード』でElements Gardenの上松範康さんが担当されたことはありましたが、今回なるけさんにオファーがあったときは、どのような心境でしたか?



なるけ:「うれしい!」という思いと、「やっと新作の開発がはじまるんだな……」という思いですね。正直に言って最後に『ワイルドアームズ』を作った時からもう10年以上経っていて。開発環境も、それを取り巻く雰囲気とかも全然変わったなって。金子君も偉くなっちゃったし(笑)。打ち合わせでソニーに行って「金子君ー!」なんて呼びかけると、周りのスタッフがすごいビックリするんですよ(笑)。

冨田:今までとは少し勝手が違うと言いますか。

なるけ:もちろんこの体制になって良いこともたくさんあったと思います。思いがけずスムーズに話が通ることもありますからね。ユーザーも開発スタッフも若くなったから、そういう部分でちょっとだけ戸惑いみたいなものはありましたね。

――1997年、『FF7』が年明けに出て大騒ぎの中、目ざといユーザーは「昨年末にとんでもないゲームが出てたぞ」とこぞって『ワイルドアームズ』について語っていました。「やったことない」と言うと、「なんでもいいからまずはOPだけ再生しろ」と言われて。

冨田:あのアニメーションはマッドハウスが制作していて、音楽と相まってインパクトがすごかった。

なるけ:あれは本当に肝入りの企画だったと思います。アニメーターの方がレコーディングやミックスにも来てくれたり、とても熱心に取り組んでくださいました。『FF7』の件は、確か同じ日に発売予定だったのにそれが1ヶ月ほどずれて97年になったと記憶していますが、もう「ありがとうございます」という感じでしたよ(笑)。



冨田:さきにプレイした友人から「とにかくヤバい! 泣ける!」みたいに勧められて。「RPGで泣けるってどんな感覚だろう」と思ってやったのを覚えています。それまでも感動的だったりドラマチックな作品は数々ありましたけど、「ヤバいくらい泣ける」ところまで説得力が持てた作品って、そこまで多くなかったなと思うんですよね。

なるけ:シナリオが本当によく練られていました。名台詞もたくさんあったし。

冨田:それもそうですが、音楽の力も絶大でしたよ。

なるけ:あの当時、ユーザーからはアンケートはがきとかが一応来るんですけど、「音楽CDを出してほしい」とか「すごくよかった」とか強い筆圧の鉛筆で書いてあって。もちろん嬉しかったんですけど、今ほど大きく取り上げられることもなかったし、ファンから直接言われたこともなく。歳をとってからたくさん言ってもらえて、本当に戸惑うばかりです。

――濃いストーリーにぴったりと沿った楽曲の作り方をされていて、見事としか言いようがなかったです。

なるけ:ありがとうございます。すごく話し合って作ったからこそなのですが、たとえば演出的に私が音楽でちょっと外したことをしても、シナリオの方が合わせてくれる、というすり合わせはよくあったと思います。じっくりとやれたからこそ、生まれた一体感だったと思いますから。

――『2nd Ignition』だとラストバトルも曲の演出ありき、という印象でした。



なるけ:『セカンド』はもう『天使の詩』のラストバトルみたいに、私のゴリ押しで(一同笑)。やっぱりRPGの最後ってパイプオルガンを「わーっ!」とやって、コーラスが「AH~♪」と鳴って、オーケストラっぽいアレンジの曲が「バーン!」と流れて、宇宙に行ってラスボスと戦って勝つ!……みたいなお決まりのパターンがあるじゃないですか。『ワイルドアームズ』も結局宇宙みたいなところに行くのですが、BGM含めてトータルで考えたときに、一つずつ積み重ねてきたのに最後にお決まりのようなクラシックを持ってくるのは、なんか違うなって。だからやっぱり最後は、主題歌をインストアレンジしたものだろうと。「これでいかしてください!」って。

冨田:あれは今体感してもグッと来ますからね。

なるけ:泣きますよね。テーマソングのテーマ、首尾貫徹ですし。演出も合わせてくれて素晴らしかった。

冨田:なるけさんの音楽は今でいう“エモさ”があると思うんです。悲しい音楽で泣かせるだけではなくて、熱さで泣けるというか。

なるけ:言ってしまえば、熱血的な感じですよね。ただ大切にしていることは、メロディライン。インスト曲でも「歌」のように書いているところとがありますね。歌詞を乗せたようにということではなく、そのメロディの1フレーズが持つリズム感が、何かの意味を持った一つの言葉のようなかんじで、絶妙に印象に残るようにとか。でも、メロディが立っているほうが良い曲と、そうじゃない曲というのがあるので、書き分けは必要だなと。わきまえないと、いつも流れていてうるさく感じるんですよね。曲の中でメインテーマというか、モチーフをうまく使う方法は好きですね。ストーリー的に意味のあるモチーフ……たとえばボスバトルに至るまでに、キャラクターと敵が戦い続けてきたドラマがあるわけじゃないですか。そこで流れていた曲とか、重要なイベントとか、そういう時に使ったメロディの印象的なものをサブリミナル効果を狙って使ったり、間奏に入れたり。そうするとそこに至るまでの物語を反芻しますよね。そういうことは音楽でできる演出として、敢えてやっていますね。
撮影:岩間辰徳
撮影:岩間辰徳

冨田:さて、12月15日には『ワイルドアームズ』の楽曲コンサート『Score Re;fire #1 ~WILD ARMS Vocal Songs Concert~』が開催されますね。

なるけ:絶賛準備中です。あー、やばいやばい(笑)!

冨田:(笑)。どんな形のコンサートになるのでしょうか?

なるけ:基本的には『ワイルドアームズ』が最新作を入れて8タイトルありますが、過去作の主題歌・挿入歌・エンディングテーマなどをできるだけ演奏したいと思っています。

冨田:シリーズのファンにはたまらないコンサートになりそうですね。

なるけ:私も「やっとやれる!」という感じですね。新作が出たこのタイミングで、やっとやらせていただけることになりました。10代や20代の若い時にゲームとして体感した物語や音楽も、歳を重ねて大人になって、働くようになってから反芻することで、受け止め方がまた違うかもしれないなと思うんですよ。ただ回顧主義的に「あの頃はよかったな」だけではない、新しい何かが必ず生まれるはずだと思っているんです。再びあの頃の音楽を聴くことで、年月を経て熟成された「受け止め方」や「解釈」を、自分の内に再発見してもらえればと考えています。今回のバンドは“渡り鳥バンド”という名前で編成して、大好きなプレイヤーを連れてきました。私は主に監修や語り部という立場で関わるのですが、自信と覚悟を持ってお勧めできるコンサートにするぞ!と画策しております。何年か前に「風とキャラバン」という、和楽器バンドの神永(大輔)君を中心にアイリッシュバンドみたいな形でやったときも「アレンジや音響がすごい良かった」と言っていただけたんです。そういう出音にこだわった音作りも今回はしっかりと表現したいと思っています。

冨田:今後についてですが、どんな活動をしていこうと?

なるけ:まず腰痛を治したいですね(一同笑)。「健康で長く仕事ができるように」をまず一番心がけていきたいです。それは身体もだし、心の面もそうですね。あとはこういうコンサート活動や、オーケストラとの共演などもやっていきたいと思っています。ここ数年関わり続けている「TOKYO GAMETAKT 2019」というゲーム音楽の総合イベントに来年も出演するのですが、こういった活動に今後も精力的に挑戦していきます。周りの様々な思惑に流されず、自分の直感に素直に従って音を紡いでいけるか、いかにみんなと一緒に楽しめるか、楽しんで作っていけるかが、やっぱりこれからの人生の目標です。健全に音楽と関わっていきたいですね。

インタビュー:冨田明宏構成:加東岳史 撮影:岩間辰徳

当記事はSPICEの提供記事です。

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